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神様の暇つぶし

 大学を卒業して一年が経とうとしている。優等生とはかけ離れた学生生活を送っていたけれど、なんとか社会に繰り出したりしている。

 先月の終わり頃から急に自分の中で読書しよう、という気持ちが高まって結構いいペースで本を読み進めているんだけど、新しい作家さんに出会いたいな、と思いながらYoutubeで自分が好きな作家さんを読んでる方の購入本を見る日々。そんなときに出会ったのが千早茜さんだった。

 もともと千早さんの作品はエッセイの表紙が一度見たら忘れなさそうだな~本屋さんで見掛けたらちょっと見てみよう。とかどれから読んでみようかな、とか考えてなんとなく手に取ったのがこの「神様の暇つぶし」だった。

学生時代に美術大学で写真を専攻してたこともあって、あらすじを読んでピンときた。とはまさにこの事だ、という感じがした。


 時間は記憶を濾過していく。この一行目に心をぐっと掴まれた。
時が経つにつれて綺麗な記憶しか思い出せなくなっていく。でも写真は時間も感情も閉じ込めることができる。記憶と自分を繋ぐ鍵みたいなものだなと自分は思っている。

 その人と出会ってしまったら、出会う前には戻れない。何一つやり直せないけれど、毎日生きるしかないのだ。

 誰かを神様だと感じるほど愛したことはないけれど、この作品には刺さるものが多すぎた。里見みたいな友達が欲しかったな。

 先輩が昔何かの投稿で「写真はどこまでもリアルだ」と言っていたのを思い出す。そこに写ってるのは真実なのだ。いつしか写真に対する恐怖心みたいなものが芽生えていたのかもしれない。

 今年はもう少しいろいろなものに向き合って生きていきたいな。

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