中年オタクの時間管理と期待管理
先週、小説投稿サイトにライトノベルを載せました。それについては、別途記事を書きたいと思っています。企画から投稿までのスケジュールや、投稿サイトの規約や著作権関係の対応、その後のサイト内での交流の方法など、初めて経験することも多かったので。あ、リンクは貼っておきます。
今回は、ちょっと脇道というか、自分が自分の創作活動の時間をどうやって制御しているか、という話をメモしておきたいと思います。別に僕は成功者ではないので、参考にはならないと思いますが、共感してくれる人がいると嬉しいです。
1. 時間を作ろうとすべきではない
僕はこのブログを始めた時は無職でしたが、この春に再就職していまして、最近は任されることが増えて忙しくなってきました。オンライン大学にも通い続けているし、家には小さい子供がいるので、趣味の時間が足りないです。でも僕は、何かを創作していないと生きる気力が湧いてこないタイプなので、その時間を作ることは本当に大事です。大したものは作れないくせに、そういう病気なんです。
で、飲み屋とかで趣味と仕事の話になると、「時間ってのは無ければ作るんだよ」って言ってくる人っていますよね。「それができないってことは、結局そんなにやりたくないってことだろ?」みたいな。・・・え? いないすか。僕の場合、三人くらいから言われたことがあります。そして、そういうことを言ってくる人に限って、決まって何も創作活動なんかしてないんですよ。まあ、個人的経験からくるバイアスかもしれませんが、実際に時間の無い中で何かを作ってる人は、そんな言い方はしないと思います。
僕の場合どう考えているかというと、「時間の管理」よりも「期待の管理」のほうが大事だ、ということです。ここ半年、このアカウント名で活動を始めてからの経緯を考えると、常に誰かの期待を想定して何かを作っていたと思います。
2. 誰かの期待を想定することで動ける
自分の話ばかりになりますが、ここ半年のこのアカウント名での活動を振り返ります。仕事を辞めてからしばらくやる気が出なかったけれど、オンライン大学で課題のレビューを受けるうちにネットに投稿する気力を取り戻した、ということは前にも書きました。
去年の10月、Qiitaに技術記事を書き始めました。理由の一つは、仕事を探しているときにフリーランスエンジニアの友人に相談したら、カジュアル面談のネタになる記事があるといいと言われたからです。それに、ブログで変なことを言わないでおけば、公の場でマトモに振る舞うことができる人物という印象も与えられるそうです。正直、僕は自分のソースコードを自慢できるようなハッカーではありませんが、勧めてくれたので、やることにしました。ついでに、ロシア人のクラスメートがフォローしてくれたので、GitHubにもコードをアップするようになりました。
11月にNoteを始めたのも、同じように友人が1人やっていて勧めてくれたからです。12月には、初音ミクの歌をアップしはじめました。その時期、iTalkiという英会話マッチングサービスで、哲学科卒のフィリピン人と仲良くなり、そのうち彼に英語の歌詞を相談するようになったからです。同じ時期、インドネシアのYouTuberと『チェンソーマン』についてやりとりしたので、彼に見せるために、バ美肉でその登場人物の名前の抽象的意味を分析する動画を作ったりもしています。
1月から2月までは、家族のために家系図と先祖の伝記のような資料をまとめていました。実は、その作業を通じて、父と少し話すことができました。父が僕の文章を読んで校正してくれたのは生まれて初めてで、それが嬉しかったのか、ニか月ほどその作業に没頭していました。地方の役所に何度も申請書を出して戸籍を取り寄せただけでなく、曾祖父が筆で書いた崩し字の手紙を解読したり、大正時代の車の車種を特定したり、戦間期のニュースと古い日記の記述を照らし合わせたりしながら、江戸、明治、大正、昭和を振り返ることができました。そこに書かれていることは、今のところChatGPTも知らない家族だけの秘密です。
3月に、再就職しました。この時も人の期待が大事でした。僕は氷河期といわれた新卒の時にマトモに就職活動はしなかったし、その後も、声をかけてくれた場所にだけ転職し続けています。エージェント経由で就職したことは一度もありません。何かを期待されていると思えれば動けるけれど、何も期待されていない場所に履歴書を送りまくると心が折れてしまうと思います。
そういう経緯があったので、就職後にも創作活動を続けるために、なるべく特定の誰かにやりたいことを話すようにしています。5月に出したライトノベルは、昔からの友人との飲み会で書くと宣言し、通勤電車や枕元のスマホで書き続け、なんとか2週間でアップすることができました。就業後に大学の課題をやりながらなので時間は足りませんでしたが、彼らの前でやると言ったからやれたのだと思います。
3. 動機をくれた相手に甘えない
でも、その飲み会でライトノベルについて話した相手からは、今のところ何の反応もありません。まあ、別にそれでいいと思います。最初に「やってみれば?」と言ってくれたこと、そして「じゃあ、やってみる!」と宣言したこと、それが全てです。
だから、「期待」という言葉は不正確かもです。今まで話した人たちは別に僕の才能を認めてくれているわけではないし、作ったものを評価してくれるわけでもありません。実際にその後の僕の活動を彼らは特にフォローしていないし、僕の方が勝手に、この人に届けようと思っているだけで、そういう気力が大事なんだと思います。言ってみれば、「承認」を欲求しているのではなく、「期待」を調達したいということです。
あ、そうそう、僕の妻は、僕の趣味に無関心です。彼女は僕の作品を見ないし、応援もしません。でも、彼女は僕に家族の中での役割を「期待」していて、それに応えることも生活の上では重要です。
4. 時間管理は関係ない
とにかく、作業のための「時間」というのは、動き始めるためのモチベーションを作れば自然と生まれます。だから、趣味と仕事の両立の上で、時間の管理はほぼ関係ないと思います。でも、「期待」の管理は極めて大切です。
職場で仕事を引き受けるとき、できることには上限がありますよね。「やってやるぜ」という気になっていれば、中年を過ぎてからの徹夜も平気だったりするけれど、たまに自律神経が壊れたり体調を崩したりします。その時の上限を測る基準は、僕にとって「時間」ではなく「期待」です。
5. 期待の上限値
時間はツール上で可視化しやすいし、他の人とも感覚を共有しやすいのですが、この「期待」というのは、可視化しにくい。それでも、働いていれば生活のために仕事上の「期待」には応えないといけないですから、生活の中での「期待」の空き容量が狭まっていくのは明らかです。
オンライン大学の方も、休職中はずっといい成績だったので、自分で「期待」を高めに想定していましたが、仕事を始めてからは少しその想定値を下げることにしました。「期待」をコントロールして減らすと、それにかける「時間」は勝手に調整されて減っていきます。
そして、創作活動の時には、その「期待」を制御しやすいように、僕は動機付けの発生源を一人に絞っています。それは、実際に話す友達だったり、全く無関係のネット上の人物だったりしますが、とにかく、一人です。たぶん無意識にやっていると思います。相手が二人だったり集団だったりすることもあるけど、あまり大幅な集団になると、「期待」がコントロールできなくなってしまいます。
6. 散らし過ぎるのも問題かも
ある企画が終われば、また別の人を想定読者にします。だって、「面白かったよ、また書いて!」みたいなこと、まず言われたことないですからね。でも、そうやって、そのたびごとにただ一人の相手を想定して何か作っていると、方向性が散逸してしまう。創作活動で成功する人は、しっかりと作品を見てくれる話し相手がいるのか、あるいは、もう少しターゲティングの感覚が優れているような気もします。
他の人はどうやっているのか知りません。人それぞれかもしれないし、動機付けの源泉について、あまり僕と似た人と話したことがないです。いや、心理学の本を読めば、マズローの欲求階層理論とか、フレデリック・ハーズバーグの二要素理論とか、まあ、そういう話は載っているのでしょうけれど、そういうのじゃなくて、中年オタクの生き方の話ですよ。
あ、ただ、ライトノベル投稿サイトの交流はちょっとまた違う傾向がありましてね。今後は少し僕も考え方を変えるかもしれません。それについては別途書きます。少し散らかったメモですが、今日の所はこの辺で。
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