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ヘルメス・トリスミクロス(三重の些細なる転回)

お久しぶりです。B3QPです。noteの日記を1年ほど書いていませんでしたので、これは振り返り記事となります。つまり直近の活動のまとめのようなもので、特に面白くもできないとは思いますが、この期間の自身の創作活動の変化という観点で、3つのことを書き残しておこうと思います。


執筆活動の変化

まず、小説についてです。僕は2023年の春から小説投稿サイトに投稿しているのですが、概ね月1作のペースで発表し、掲載作は計16作になりました。全てR15レーティングがついています。まだ少ない読者の皆様に、衒学趣味の変態として自分のキャラクターが定着してきたとしたら幸いです。個別には紹介しませんが、作品一覧の記載されたノベルアッププラスのプロフィールはこちらです。

ほとんどが、何らかの小規模な企画賞への応募作です(長めでも5万字程度)。当初は、近しい人だけに届けばいいという感覚でしたが、書き続けるうちに、コンテストに応募して評価を下して欲しいという動機付けが強まりました。2024年6月と8月にはカクヨムにも参加し、犀川よう様主催の個人企画賞に2回応募しています。それらは公募の練習のようなものとして企画されており、審査員による選考過程や受賞作の発表を待つ感覚などを体験することができ、たいへん良い刺激になりました。※応募2作は落選後、ノベプラに転載しております。

そのような流れで、9月末には、愛媛県松山市の主催する坊っちゃん文学賞に4000字の短編を提出しました。未発表作のみ受け付ける公募に応じたのは初めてです。これは自分の中ではかなりの転回に思えます。今までは、「趣味なのだから名誉などは要らないし、無料でもせめて誰かに届けたい」「作品には同時代性や仲間の状況を意識したメッセージを込めているのに、未公開のまま数ヵ月待っていたらその間に世界が変わってしまう」などと親しい人に話していたからです。

つまり、そこには宛先不明の独り言から、ある種の競争への移行がありました。書き続けると自然とそうなるのかもしれません。この感覚は自分の中でも未だ整理中で、今後どうなるか分かりません。ただ、読者投票のある賞にはまだ参加する気になりません。人間関係を害するような営業活動や、その界隈での誹謗中傷の噂を耳にすることがあるからです。この感覚は、2点目の変化とも少し繋がっています。

音楽活動の変化

作曲についてはnoteにも記事を書いてきました。2009年の5曲は病んだ自嘲的な歌詞、2022年の3曲は思弁的な英語歌詞というコンセプトでしたが、2023年の4曲は一転してラブソングのようなものが多かったと思います。これらは、続いて発表しているコラボ作品2作にも共通しており、創作仲間との内輪ネタでした。

以前も記載していた通り、投稿サイトで人間関係を築くうち、その交流が空き時間の全てを埋めるようになりました。そして、そのような濃密な関係は、時には弊害もあります。現時点でも、僕はSNS上での適切な距離感と時間の使い方を模索している途中で、この文章も、そういったものを一区切りし頭を整理するために書いているのかもしれません。僕はその後しばらく、コラボ作品を発表していません。もちろん、機会があればやりたいとは思っています。

また、ミク歌については、生成AIで簡単に作曲ができるようになってから作りにくくなりました。もともと作曲はど素人でして、それでも努力して作ることには意味があると思っていましたが、誰でもお手軽に楽曲が作れるとなると、やる気を出すためのハードルが上がってしまいます。代わりに僕は地声でミク歌のセルフカバーをアップし、それ以降の音楽活動は、今のところカラオケアプリで絶叫するだけとなってしまいました。次に僕がミク歌を作るとしたら何らかの再定義が必要だと感じます。これは下記の3番目の変化とも繋がっています。

技術利用の変化

思えば、ここ最近の生成AIの進歩に合わせて、僕の創作活動は変化してきました。

このブログは、人間はAIには生成できないような怪文書を書くべきだと宣言し始まっています。Dance Diffusionが発表された直後には、AI生成音源をサンプリングしたミク歌を作りましたが、Suno AIが登場した辺りで僕は作曲をやめています。ChatGPTの進化によりAIの生成した小説が発表されるようになると、性的に過激な表現はローカルLLMを組まない限り出力できないのだと自分に言い聞かせ、R15作品を発表し続けました。直近では、生成AIが(RAGにより拡張されない限り)まだ知らないという前提で、arXivのプレプリントをネタにした小説を書いたりしています。まるで、人間にしかできない領域へ逃げ続けているかのようです。

AI生成画像についても積極的には使わなくなりました。2023年5月、初めて投稿したライトノベルではStable Diffusionを用いた挿絵を用いていましたが、当時はまだ画像生成の為にPythonの理解が必要でした。不自然な骨格にならないためのネガティブプロンプトにも試行錯誤が必要だった時代です。しかし、2024年6月、同作を改稿してマンガ原作コンテストに応募するに当たり、キャラクターの挿絵を全て自筆のイラストに置き換えました。その頃には既に、誰でも勉強せずにAI画像が作れるようになっていたからです。僕が過去のマンガ3作を黒歴史と称してアップしたのも、恐らくこの流れと関連しています。「自分の画風はこのようなものである」ということを先に示しておけば、後にそれをLoRAで学習させて画像を生成したとしても、まだ「自分」が保てるような気がしました。そこには、全てが生成AIに飲み込まれる前に、溜め込んだものを吐き出しておかなければならないという焦燥感すら感じられます。

もちろん、何らかの工夫で自分らしさが保てるのであれば、生成AI技術を使うことにも意味を感じられます。2024年5月の短編では、取材時に英語論文を読むためAIの力を借りました。しかし、その小説自体には複数の個人的な歴史を反映させているため、その内容がAIに書けるとは思いません。2024年9月には、OpenAIのAPIとXのAPIを接続して毎朝挨拶をするbotを作りましたが、これは自分が今までDiscordなどで演じていたアバターの口調をOpenAIに教え込ませたものです。共通しているのは、生成AI時代に自己同一性を保つことについての葛藤だと思います。今後も、技術の進歩の中での自己表現を模索していきたいと考えています。

まとめ

以上、まとまりのない文章でしたが、直近の創作活動についての、3つの重なり合う変化を記載しました。これらは遠くから見れば些末な変化であり、僕と関わっている人から見ても、そんなに重要なことではないかもしれません。結局のところ僕は僕のままです。

先月、WordPressサイトのドメインをb3qp.netに変更し、複数サイトでの活動をまとめ直しました。バラバラの趣味や人間関係の点と点を、繋ぎながらも繋ぎすぎず、うまく生きていきたいものです。そうやって残る一貫性のようなものを、いつか誰かに個性や作家性と称していただけることを願いつつ、今日の日記を閉じたいと思います。

トップ画像:Adobe Firefly




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