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文化に金を払わないやつは

大学生のとき、半年だったか情報科学系の履修科目があった。そのときの先生が、放った言葉がずっと残っている。

どんな文脈でそのフレーズが出たのか、思い出せない。この情報科学系の科目は興味がない同級生も多く、少し気だるい雰囲気だったように思う。そんな教室で一人、その先生は大きめの声で訴えた。

「文化に金を払わないやつは、文化を滅ぼすぞ!」


本当にその回は何のテーマで話してたんだろう。公開鍵だとか暗号について説明を聞いたり、OSを立ち上げるときブートストラップの話を聞いたりした記憶がある。そういえば先生は「ブーツの紐を結ぶ人」の絵を板書してたけど、なんかアンバランスな絵だったなぁ。

※気になって調べたらブートストラップは靴紐じゃないらしい...先生は後輩の代にもずっとブーツの紐って説明してたんだろうか。

なんとなく、メインの履修科目ではなかったけど、私はその先生の情報科学系の科目は好きだった。先生の、淡々と話していく感じとか。内容自体も、毎日詰まった専門的な講義とは全然違う内容だったから新鮮で面白く感じていた。

で、その講義の中で先生は、文化に金を払わないと、文化が滅びることを熱弁していた。

というか、めちゃめちゃ憤っていた。


聞いたときは、先生の熱量にちょっと圧倒された感じになった。文化が発展してきたのは、それをサポートする者がいたからこそで、文化を尊重し、それに対して金を払わなくなったら文化の担い手がいなくなって文化は滅びる!そういう主張だった。

なるほど確かに、とは思ったものの、親に仕送りしてもらって、バイトしながら学生していた自分には、そう言われましても...と思う気持ちもあった。しかしそのフレーズは私に罪悪感のような棘を残した。ある種の呪い、かもしれない。文化は滅ぼしてはならない、文化にお金を払わないといけないんだという漠然とした危機感を感じた。

あれから十年以上経った。

公開鍵の暗号の仕組みは説明できないし、情報科学を勉強した成果は正直これといってない。

でも社会人になって、「文化」にきちんとお金を払う人でありたいと考えて行動している。微々たる額だけれど、作り手や担い手にお金が届くように意識している。

無くなってから「好きだったのに残念」だなんて寝ぼけたことは言うべきでない。行動で、お金を支払うという行動で示さないと、それは滅びてしまうかもしれないのだ。「買い物は投票」と同じ原理だと思う。

また親になって、子供が「文化」に触れる機会を意識している。文化にお金を払うことが当たり前な人になってほしいと思う。だから私は、前よりも意識して、続いてほしい文化にお金を払う。


マサイ先生、お元気ですか。

私は今も、先生が憤っていたことをときどき思い出します。「文化」って、先生はどんなイメージでお話されてたんですか?


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