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他所の子の成長は、はやい

他所の子の成長ははやい。


コロナ禍になって友人たちと会う機会が減り、落ち着いたら会いに行くとか言いながら、目処が立たないままである。

このあいだ久しぶりにLINEでやりとりしたら、互いの子供の成長に話が及んだ。最近撮られた写真を見せてもらうと、お祝いを持って遊びに行ったとき赤ちゃんだったその子はすっかり幼児になっており、まるで別人だった。


本当に...他所の子の成長は、はやい。

いや、本当に?

こんなこともあった。


先日、広い公園で、偶然息子の同級生家族と会った。帰宅後、夫は同級生の成長に対して、他所の子の成長ははやいねぇ!と反応していたが、私はそうでもなかった。

他所の子といえど、成長をはやく感じるとも限らない。


せっかくなので他所の子の成長スピードの話から、自分自身の成長について考えたい。


例のフレーズを分解すると、成長スピードをはやく感じるのは、「他所の」「子供」であることが条件である。


そもそも「子供」の成長は目まぐるしい。
「大人」になっても成長できると信じているし、成長すべく日々励んでいるけれど、前年比の成長率を比べたら太刀打ちできないなぁと感じている。

子供に対して、この人の身体の中でどれほどの細胞が分裂し、神経が増え、脳内のネットワークが日々張り巡らされているのだろうと考えると気が遠くなる。

しかし、毎日一緒に過ごしていると、うっかりその成長スピードに慣れてしまうのか、いちいち感激している余裕はないからか、他所の子に感じるあの、はやっ!!という衝撃は感じにくい。


「他所の」とは成長スピードを実感する適度な期間があるため、差分が大きくなるのだろう。ましてや年齢を重ねるほど時間の経過ははやく感じるようになるとも聞く。分母は小さくなり、分子は大きい...自ずとスピードもあがるってものか。


ちなみに、公園であった子供の同級生に対して、夫と私の感じ方が違ったのは、おそらく送り迎え頻度の違いによるものだろう。他所の子であっても頻繁に会っていると着々と成長しているなという感覚を持つ気がする。



さて、ここで自分自身の成長を考える。

「他所」と真逆の観測値点と対象が完全一致の自分自身であり、私はもう大人だ。

自然と成長が感じられる可能性が低いことは明らかである。


だからといって諦めたくない。

私は諦めない。
成長を実感したいし、その方がやる気が出る。

ではどうするか。

成長スピードとはすなわち変化/期間なので、適度な期間毎に、自分の変化に気づき、差分を見いだす必要がある。

変化を見やすくすることの工夫や定期的に自身を振り返る習慣が大事だと思う。

例えば、勉強の工夫として、資格試験を受けることがある。これは非常に差分がわかりやすいので、よく使う。受験タイミングも決まるので、半ば強制的に期間と目標が設定される。ただし、手段が目的に刷り変わらないようにしておく必要があるが...。

記録を取るという方法も良さそうだが、私の場合、単に記録に取るだけでは不十分だった。
食事管理をして体重と体脂肪率の変化を記録しているのだが、手帳にメモしていたのをアプリを活用し、グラフで見えるようにしたところ、グラフが効いた。変化が見えて、良いときもそうでもないときも冷静に受け取れる気がしている。
毎日食事内容も記録するので、アプリは1日二、三回開く。自然と振り返る機会にもなっており、よく考えるとこれは一石二鳥だった。

自己満足だけど、私にとって効果的な方法を探りつつ、大人なりに成長し続けたいなと思う。


そして「他所の」ではなく我が家の子に対しては、日々の生活に流されず、敏感に成長を感じ、本人と共有しながら過ごしていきたい。



最後に。

大きくなったわねぇなどと言われても、そうかなぁ?と思っていた子供時代の自分よ。

他人が頼みもしないのに自分の成長をほめてくれるなんてありがたいことなんだぞー!

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