自分のできなさについて

現時点での自分を書くとしたら、それまでの自分とこれからの自分を書かなければいけない。現時点でのできていない点は何なのか、それをどうするつもりで、今はどうなのか。

自分のできなさについて、出来るだけありのまま書くことで、それがセールスポイントに変わるという面白さ。できることを自慢することは余り意味がない、というのも、それはただの中間地点であり、今後どのように成長していくか、ということの方が大切だからだ。

だからできなかったことを、どうやってできるようになったのか、ということが問われてくる。

その過程の優秀さで今後の移り変わりの激しい時代に対応できる人なのかがわかる。つもりになれる。


セルフブランディング、セルフプロモーションという考え方。

自分の現状、今後の目標を話し、それを達成するまでの試行錯誤を記録する。それが間違ったアプローチだったとしても、それに気づいた時点でそれは成果に変わる。結果、未来のその時点でできている必要はあるが、ただ寡黙に努力していれば良い、その努力を人はわかってくれる、とは思わない方がいい。というよりも、相手が分かったとしても、世間はそれを理解しない。世間と商売をする上では、世間との対峙の仕方が問題になってくる。ただスキルを見て、圧倒的に良い、つまりわかりやすく良くなければ、そのスキル以外の自己管理力ともいえるようなものが問われてくる。そうでなければ単純に可能性という点でも若さが重要になってくる。

あなたが今何歳だとしても、そこに達するまでには様々な経験をしたはずで、例えその経験がしょうもないものだったとしても、それに対してどう解釈し、反省し、それをどう自分の糧にしたのかを示すことが必要だ。

歳をとる度、その自分の生きてきた道のりに対する言語化された取得物を持っている必要性が上がる。

今の自分というのは、言語化できないもので大半が構成されており、自覚できたと感じるものも、正しいとは限らないが、言語化する過程でわかりやすく、パッケージ化しつつ引き出しに閉まっておかなければならない。

今の自分の成り立ちを正しく把握している人、出来る人など誰もいない筈だ。ある程度こんな感じで表現すれば自他ともに納得するであろうという曖昧性の中で自己を定めている。

だからわかりやすい事件をでっちあげ、つまりそれを事件と受け止め、それを理由に話を展開する方がわかりやすいので、そうするというだけのことだ。


学習ということ。

何を学んだか、ということは、何ができていなかったか、ということでもある。その何ができていなかったか、ということと、それは何故できていなかったか、ということ。それと今度は何によって何故それができるようになったのか、ということ、それらは学習において重要な認識の1つであるように思う。

できなかったことができるようになった。というだけでは浅く、何故それまでできておらず、何故それにより今回できるようになったのか、という視点は自分の状況の理解を必要とするものだ。

どんな本を読んだ。それによって何がわかった。何故その本を今読んだのか。何故それを理解できたのか。

仕事のやり方が1つわかった。何によってわかったか。何故それまでわかっていなかったのか。何故今回それがわかったのか。

といったように書いていきたいと思う。


できなさの自覚についての問題点。

できるようになった。ということは単純に見えるのに対して、何故できていなかったか、ということはとても複雑で、単純化したとしても意味が余りないということ。

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