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3.11&コロナ禍に苦しんだ2人のサッカー選手の話

3.11が来てから12年が経った。当時大学生だった私は被災し、結構大変な目に遭った。詳細は省く。それでも私は「もうこれ以上やばいことは起きないだろう」と内心思っていたが、新型コロナウイルス感染拡大という予想の斜めを遥かに上に行く厄災に襲われた。

新聞やテレビで報道記者をやっていた私は、この3.11とコロナ禍の取材を強いられたわけで。もう正直うんざりしていた。3.11は家族や居宅を失った悲惨な過去を持つ人を取材し、コロナ禍は青春を奪われた若者を取材。心がすり減るとは正にこのことで、SAN値がガンガン下がっていった。

ただ取材していて良かったと思える出来事もあった。昨日J2いわきvs仙台戦でいわきが今季初勝利を挙げ、J3沼津vs富山戦で沼津が初勝利した。どちらの試合も過去に取材した選手が大活躍したのだ。

J2いわきFC嵯峨理久

嵯峨理久選手

嵯峨理久選手は取材していて、こんなに努力してんのに報われない人間っているのかと思った。彼を知る関係者はみんな彼を努力の天才や病的に努力すると口を揃えて言う。そんな彼はコロナ禍でJリーグクラブキャンプの練習参加やスカウトが集まる主要コンペティションが軒並みキャンセルとなった。

当時の彼をよく知っているが、彼は計り知れない絶望を抱いていたことを覚えている。なぜならコロナ禍がなければ恐らくJ1、J2チームに加入していた可能性があったからだ。彼は謙遜するが、実際関係者からの評価はすこぶる高かった。だがコロナ禍で全て話は流れてしまい、あれだけサッカーが好きで努力している人間に、こんな無慈悲な…と胸が苦しかった。

そして昨日Jリーガーとなった嵯峨理久選手がベガルタ仙台相手に先制点をクロスでアシストしてみせた。やっと、やっと報われたんやなと、ふと思い返した。色々なことが沢山あったよね。だから震えたし、私もコロナ禍で取材続けてきて良かったと心から思った。もっと上に行く選手だから今後が楽しみで仕方ない。

コロナ禍で諦めずに前を向いて戦ったインタビューがありますので、良かったら一読お願いします。


J3アスルクラロ沼津菅井拓也

菅井拓也選手

以前から凄く取材したかった選手で、以前彼の大学時代の先輩を取材したことで紹介して頂けた。念願かなっての取材だった。

アマチュア時代から彼のことをよく知っていて、菅井選手の地元の知り合いや弟の慎也さんを取材した際も彼の話をよく聞いていた。会ったことはなかったけど、誠実で実直な人間だと聞いていた。会って予想以上に素晴らしい人間だと確信した。

実を言えば彼を取材するまで、3.11の取材はできるだけ避けて通りたいと思っていた。あの震災によって友人や恩人の命を奪われて、思い返したくなかったからだ。毎年3.11になればテレビも新聞も震災の特集を組む。私は見たくなかったし、読みたくなかった。なぜならあの悲劇を忘れること、解放されることも大事だと思っていたからだ。だからマスコミの‪「震災を忘れてはいけない‪」‬といったお題目に嫌気がさしていた。報道記者をしていたときは、震災を忘れないことが正しいと無理矢理自分に言い聞かせて仕事をしていたが、心の底は震災を忘れたい、震災から解放されたいと葛藤していた。

ただ菅井選手を取材して、伝える大切さを改めて学んだ。誰に取材しろと強いられたわけでもなく、自分の意志で取材したのも自分の中の矛盾に決着をつけたかったから。震災と一度真剣に向き合った結果、菅井選手の過去を文字に残したいと強く思うようになった。忘れることも大事だけど、伝えることによって震災を知らない人たちの命が救われるのなら。そんな祈りに近い感情を抱いて今回の取材に臨んだ。

クラブや菅井選手の協力もあってインタビュー記事を3月11日に掲載することができた。命の大切さや震災という逆境への向き合い方など、多くのことを菅井選手は記事を通して伝えて頂けたと思う。だからあの記事は一切脚色や記事を彩るような表現を入れなかった。ありのままの菅井拓也選手の言葉を伝えたかった。

その翌日に沼津のホーム開幕富山戦が行われた。1-0の後半31分にミドルシュートからこぼれたボールを、全力疾走で駆け込んだ菅井選手が決勝点となる2得点目を泥臭く叩き込んだ。そのときインタビューで聞いた亡きお父さまの‪「枠に打たないと入らないし、枠だよ‪」‬というアドバイスが脳裏に響いた。感動や歓喜とも言い表せない形容し難い感情を抱いた。多分お父様が観に来て応援していたんだろうと。そんな不思議な気持ちになった。

菅井拓也選手のインタビュー記事はこちらです。


2人が震災翌日に素晴らしい活躍をして、私は勝手に報われた気持ちになっていた。コロナ禍や3.11の取材を続けていたことが良かったかどうかは未だに分からない。ただ気持ち的に抱えていた葛藤だったり、辛さから解放されたというか。サッカーってすげぇなと改めて思った。紛れもなく2人はヒーローだった。今後も2人の英雄の活躍を追っていきたい。

p.sそういえば2人とも仙台大OB。沼津といわきが対戦した際は、嵯峨選手は先輩の菅井選手にあいさつしているそうです。2人とも在籍期間は被ってないけど、しっかり仙台大サッカー部の絆があるんだなと思いました。


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