殻を破る~美術こぼれ話余談
中に墓室を抱えた三層から成る巨大モニュメント。
それを飾るのは、四十体もの、等身大かそれ以上の大きさの彫刻群と、レリーフ。
それが、資金やクライアントの意向に振り回されることなく、イメージそのままに実現していたら、彫刻家ミケランジェロにとって新しい可能性を開く大作となっただろう。
しかし、そのプロジェクトを中断させたのは、誰であろう、依頼者であるユリウス二世だった。
「システィーナ礼拝堂の天井に絵を描け」
「お断りします」
当然のように嫌がるミケランジェロ。
挙げ句、教皇が留守の隙をついて、フィレンツェに逃げ帰ってしまう。
もちろんユリウス二世はカンカンに怒り、最後はミケランジェロが折れて、頭を下げる形で決着した。
天井画制作という、「専門外」の仕事を引き受けたのである。
しかも、ユリウス二世が提案してきたシンプルなプランに対し、より複雑な構成プランを提案する形で。
やるからには、徹底的にやる。
ミケランジェロという人は、手抜きをしない(できない)人なのだろう。
ユリウス二世の方は、ミケランジェロのプレゼンに驚嘆すると共に、内心しめしめと思っていたかもしれない。
ユリウス二世自身の気まぐれからとは言え、結果的に、ミケランジェロの殻を破らせるきっかけになったのではないだろうか。
ミケランジェロは、もともとフィレンツェでは画家ギルランダイオのもとで修行し、フレスコ画が全くできないわけではなかった。
ただ、自身の天分はあくまで彫刻にあり、彫刻こそが芸術の最高のジャンルと考えていた。
ユリウス二世のための墓廟(モニュメント)は、確かに「彫刻家」ミケランジェロの才と技を示す傑作となってくれただろう。
ミケランジェロも、「彫刻家」としての自分に満足し、また同じような仕事を依頼されたかもしれない。(実際、ユリウス二世の後に即位した教皇から、メディチ家礼拝堂の墓作りを依頼されている)
しかし、天井画制作を命じられたことで、ミケランジェロの思わぬ局面が切り開かれた、とは言えないだろうか。
ユリウス二世の無茶振りも、例えるなら、鳥が孵る前の卵をつつくのにも似ていないだろうか。
いつまでも同じような仕事をしていると、自分の周りに殻が構成されていくようにも感じる。
それを破るには、自分一人の力では難しい。
ユリウス二世は、図らずも、殻を破るきっかけを作り出す親鳥の役目を演じたとは言えないだろうか。