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詩を書くということ

季節の変わり目のつらい症状も治まってきて、日々身体を温めるように気をつけていたらが少し楽になった。結婚式に向けて肌と髪のケア、リンパマッサージ、ストレッチをしている。今までいかに自分のことを大切にしてあげれていなかったかがよくわかる。少し気をつかうだけで、身体はきちんと応えてくれるんだね。


最近インスタグラムに詩を投稿している。詩集を読んで勉強したりもしている。つくづく、詩というものは奥が深いと思う。直接的な表現ではないからこそ、分かりにくくて理解し難い部分はもちろんある。だけれど、直接的ではないからこそ、言葉の裏面にも横面にも意味を含ませることができる。それが、たのしい。解説をしようと思ったら文字いっぱいにして書き出すことができるし、伝えたいこともたくさんあるのだけど、あえて書かない、引き算をしている。解釈は読み手にゆだねる。わからないのなら、それでいい。そんな遊びのある詩がとてもすきだ。

詩を書くときは、自分の思考や生活のなかのことをヒントにする。人間の行動特性について、感情について、朝ごはんを食べているときの気持ち、読んだ小説のタイトル、何回も聴いている曲の歌詞。いくらでもヒントは転がっているから、逃さないように丁寧に掬うようにする。あとは言葉にその状況を乗せる。書いては消して、書いては消して、最後に題名をつける。iPadで写真に文字入れして、投稿。

noteでエッセイを書くのは思考をまとめる作業、詩を書くのは表現活動という明確な違いがある。同じ言葉なのに、不思議だ。脳の使い方が明らかに違うのが自分でもわかる。言葉を書いている時間が本来の自分なような気がして、楽しい。話すのは相変わらず苦手。書くのがすきだから、こうして続いるのだと思う。


自分の思考が丸ごと見える詩と文章というものを公開するのは相変わらずすこし恥ずかしいけれど、それで表現をすることでしか私は生きられないのです。だからこれからも見守っててください。もっといろんなことやりますのでね。ではまた。




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