見出し画像

大丈夫になりたかった、

毎日、大丈夫なふりをして生活している。大丈夫か、と聞かれれば「本当は大丈夫じゃないよ」と言いたいくらいには不安定で、綱渡りをしているみたいな精神状態。

たくさんの挫折を経験してきた。4度の休職と転職で、手に職をつけられず、大人になりきれないままもうすぐ27になる。精神的にも経済的にも人に縋ってばかり。

心を亡くす、と書いて「忙しい」というけれど、3ヶ月間まさにその状態だった。大好きな文章を書く活動も一旦やめてしまうほと心の余裕がなくなったわたしは、一度の体調不良で見事にすべてが崩れ、4度目の休職期間に入ってしまった。

今はすこしずつ穏やかさを取り戻すことができている。わたしは周りの人に、家族に生かされている。ひとりだったらこんなふうに穏やかに過ごすことができていなかったと思う。


先日母が「栄の文喫にいこう」と誘ってくれた。東京六本木にある店舗にはいったことがあったので、名古屋の栄にできたと聞いてとても嬉しかった。入場料制でたくさんの本と出会えるその空間は、今のわたしにとって癒しの楽園みたいな場所だった。

実家にはいつも本が山積みになっていた。小さい頃から詩集や小説に触れてきたから、本を読むという営み自体がわたしの栄養補給みたいなものだ。

思いがけず、好きな作家さんのエッセイ集に出会うことができた。短歌が趣味の母は短歌の本を手に取り、わたしはエッセイ集を購入することにした。書店でなかなか出会えなかった本だった。



鬱の発作が出て仕事を早退した日、県外に住む母がわざわざ様子を見に自宅に来てくれた。そこで母はわたしに、お母さんは躁状態に気づいていたよ、そのときに頑張りすぎだよって伝えればよかったね、と言った。労働環境にも疑問を持っていたと。それでも結果を出そうと必死なわたしを尊重してくれていたのだとそこで初めて知った。

躁状態になると周りが見えなくなる。それは双極性障害だと診断を受けた3年前から、いやそれより前からずっとそうだった。それでも一つ前の仕事のときは大きく体調を崩さなかった。それが唯一の成功体験。これは環境によるものだと、やっと気づくことができた。

3年ぶりに鬱の発作を起こして、すべてを思い出してしまった。あの発作の苦しさとか、これからに対する不安、お金に対する不安、周りに迷惑をかけてしまうしんどさ。もうわたしは大丈夫だと思っていた。大丈夫になったのだと錯覚していた。でも、環境によってそれを思い出してしまうことがあるんだと、知ってしまった。


発作が出た日、すぐに旦那が帰ってきてくれて、そのあとに母が来てくれて、わたしは助かったと思った。以前の発作のときは一人暮らしだったのだ。1番苦しいときにひとりで、もうこのまま死ぬのだと何度も思った。

苦しいときに誰かがいる、ってこんなにも救われるんだ。何もしてくれなくていいから、ただいてほしかった。なにも気の利いたことを言わなくていい、そこにいてくれればいい。「ひとりじゃない」という実感が、暗闇に堕ちそうになっていたわたしを救ってくれた。



文喫に行ったあと、名古屋駅のゲートタワーにあるカフェでお茶をした。いかにも元気そうなプルプルとしたブルーベリーのタルトと、大好きなクリームソーダ。その可愛い見た目に魅了され、何度もシャッターを押す。

思わずシャッターを押したくなってしまう瞬間がある。あとで見返すのか、友達に見せたいのかわからないけれど、この瞬間をこの瞬間だけのものにするのはもったいないと、心が叫んでいる。可愛い、ときめき、美しい、心が動いたその光景は半永久的に写真に閉じ込めてしまいたい。その瞬間の感情とか、会話とか、空気感まるごと閉じ込めてしまいたい。


今でも自分が大丈夫なのかどうかわからない。休職して2週間、相変わらず不安は拭えないけれど、それでもわたしはひとりじゃない。一緒に生活する旦那がいる。心配して連絡をしてくれる友達がいる。ご飯を作って一緒に食べてくれる家族がいる。ひとりでご飯を食べることも、ひとりで眠ることも、ひとりで苦しむこともなくなった。その事実だけがわたしを生かしてくれる。

これからどうなるか、なんてなにもわからない。自分がどんな仕事が向いていて、どんな生活をして、どんな大人になっていくか、なんてわからないことだらけだ。全然大丈夫じゃなかった。それでも生きていくしかない。

わたしはたくさんの人に支えられながら、すこしでも大丈夫になるために、生きていくしかない。ここで終わってたまるか、の気持ちだけ抱えて、明日も大切な人たちと生きてゆく。



「温かで穏やかな光を見失わず、貴方が生きていけますように。」 そんな気持ちでnoteを届けています。 気に入ってもらえたら【スキ】【フォロー】 さらに【サポート】で応援して頂けるととっても光栄です。