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「戦争反対」の一歩先のマニフェスト

新年早々、世界が騒がしくて、緩やかに軋んでいる。
オーストラリアの森林火災やゴーン氏の会見もショッキングだったけど、何よりもみんなの心をざわつかせているのは、イランとアメリカの対立模様だろう。

1月2日夜(現地時間)にアメリカ軍はイラン、そして中東においての重要人物イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官を殺害した。

3日夜のTwitterでは(日本以外の世界各国で)#WWⅢ がトレンド入り。
8日未明、イランはアメリカ軍などが駐留するイラク西部のアサド空軍基地と北部のアルビルの基地にミサイルを発射。イランの革命防衛隊は、前述の攻撃を「ソレイマニ司令官を殺害されたことへの報復」だと発表した。

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「戦争反対」
「戦争大嫌いです」

ここ数日、ツイッターのTLにはそんな意思表明のような投稿がたくさん流れてくる。
アーティストや識者、一般人も、みんな、戦争が起こりそうなこの状況にアンチテーゼを唱えている。
そりゃ、当然だ。
ましてや日本は敗戦国。第二次世界大戦で、本当に多くの犠牲を払い、失ったものが多すぎる。
戦争は恥ずべき歴史であり、あまりに愚かな行為で二度と起こしてはいけないことだと、私も小さい頃からずっと思っている。

TLをスクロールしていくたびに出てくる「戦争反対」の文字。

ここ数年、ツイッターは何か事件が起きるたび、己の正義を表明する場所となっている。
これはすごく当然のことだ。
インターネットは誰しもを「発信者」にし、政府やマスメディアによる不正や”マヤカシ”は容易に暴かれるようになり、個人の人間らしい主張が全世界に向けてできるようになったから。
だから、何か事件が起きるたびに、こういう投稿が溢れ出ることは、至極まっとうで民主的な行為だと思う。

でも。

なんか最近、この感じに閉塞感を感じてしまう。

「戦争反対」
「戦争大嫌い」

じゃあ、あなたはどうしていくの?
この"ありえない”ことが起きまくってる時代に生きている1人の人間として、何を大事にして、どうやって生きていく?
戦争が起きないために、何を考え、どう行動していく?
ツイートボタンを押したら、もうそこで、満足しちゃってない?
そんな風に感じてしまうのは、私がひねくれてるからだろうか。
でも、TLのなかで消耗されていく投稿からは、何も生まれない感じがして、なんだかすごく、違和感を感じてしまう。

そんな風に偉そうに言っているけど、私も小学生の時にひめゆりの塔を訪れたあの日から、ずーっと頭の中で「戦争反対」と唱え続けてるだけだ。

だから改めて「戦争を起こさない世界を実現するために、自分ができること」を言葉に起こして、行動指針にしようと思う。
いわば、自分自身のマニフェストのようなもの。
決意表明なんて意味ないかもしれないけど、自分が、そしてこれを読んでいる誰かがより良く生きられるために、書いておく。

---戦争を起こさない世界の実現のための、行動指針---

①対話を大事にする
これは私が普段から一番意識していることの一つ。
そして、戦争の対義語は「対話」だそうで。
ここで重要なのが、対話と会話は違うってこと。
劇作家の平野オリザさんの言葉を借りるなら、以下のように定義できる。

会話=親しい人同士のおしゃべり。
対話=異なる価値観や背景を持った人との価値観のすりあわせや情報の交換。あるいは知っている人同士でも価値観が異なるときに起こるやりとり

世の中には、人の数だけ思想があって、全ての人と考えが一致することってないと思うんです。そして人間は「知らないこと」や「自分の考えにない」ことに拒否反応を起こしやすい。怖いから。そういう感情が、戦争や争いの火種になると思っていて。
だからこそ、「自分と違う」人と対話を重ね、「知らないを知る」ことで、世界が少しずつ柔らかくなるんじゃないかと。
対話の先に、「やっぱり分かり合えない」ってなってもいいと思う。
でも、「自分と違う考えがあること」を知り、その存在を認める(同意しなくてもいいから)だけで、他者に寛容になれる。対話を重ねることで、争いは減るんじゃないかと、そう思ってます。

②真実の目を凝らす
今の世の中を生きていくためには、本質を考え「真実」を追求すること、ジャーナリズム精神がすごく重要なことだと思ってます。
そして第二次世界大戦時の日本は、ありえない情報操作が行われており、国民は洗脳され、終戦が遅れたという事実もある。
(ちなみに私の祖母は、終戦後にその洗脳に気づき、国家批判の文章を某新聞社に寄稿したらしい笑。もちろん掲載されなかったけど)

特に日本は、メディアの伝える情報が全て真実だとは限らない。
政府や企業の大きい圧力みたいなものによって、情報がひん曲がることも多いわけで。
そして、インターネット上にある情報が全て確かなものとは限らない。
グーグル検索も、上位表示されているものが正しいわけじゃない。
フォロワーが多いインフルエンサーの発言が、全て正しいとも限らない。
インターネットは、情報の流通を広げて世界を繋げたけど、その一方で、「正しい情報」を取得するためのスキルが必要とされている。
だから、パッと目に入った情報を全て鵜呑みにするのではなく、まず本質がどこにあるかを考え、正しい情報を享受するために、本を読んだり信頼できる人の意見を聞いたり、調べたりする、能動性が必要だと思うのです。
何も考えずに感情に任せて簡単にリツイート・シェアしてちゃダメだ!(自戒も込めて)

③汚い言葉を使わない
これは人間として基本の基本なんですけども。
特にネット、SNSにおいてのこと。
すごくやだな〜っていつも思うのが、特定の誰かに対して「〜○ね!」とか言ってる人がいること。
卑怯なことをしている人、平気で人を傷つける人がいることも事実だし、憤りを感じるのはわかる。
特に政治家に対して、私も腹が立つときは山ほどある。
でも、「安倍○ね!」じゃ何も変わらない。
理解できない、嫌いな人にも最低限のリスペクトを。
汚い言葉は、怒りの渦を作り出すことはできても、変化は促さない。
世界を変えたいなら、できれば愛を込めたメッセージを発信しよう。

③非言語コミュニケーションのスキルを磨く
音楽、アートなどのカルチャーはいつだって世界中で人の心を動かしている。そしてそういったカルチャーは、非言語のコミュニケーションツールでもあると思う。
私は音楽が大好きなので、音楽を介して異国の歴史を知ることもあれば、好きなDJの前で外国人と一緒にダンスをしてハイタッチをすることもある。
外国語ができなくても、感性で異国の人とコミュニケーションができるのだ。
そうやって、非言語コミュニケーションをしていれば、世界中に友達を作ることだってできると思う。
そして世界中に友達がいれば、宗教や思想、国籍の違いで差別をしたり、もとい戦争を起こそうなんて気にはならないと思うんだ。
磨いていこう、言語以外の感覚を。

③愛をもって生きる。どんな時も。
色々言ったけど、最終的にはLOVE&PEACE。これ絶対だと思う。
愛って、高尚なものでもなく、特定の誰かに対する恋愛感情でもなく、もっと気軽なもので、広義な意味での愛。
美輪さん的なね。
生きていれば、ちょっとしたことで落ち込んだり、腹たったりすることもあるけど、それでも愛をもって誰かと関わったり、日常の何気ない瞬間を愛でることで、心は満たされて、戦争しようなんて邪悪な気持ちにはならないと思うんだな。
と言いつつ、小さいことで悩んだり、怒ったり、落ち込むのが人間だけど。
でも、いつでも心に愛の火を灯し続けることを意識していれば、世界は平和に近づくんじゃないか。
そう思ってます。

以上。
すっごく長くなってしまったけど、スッキリした。
2020年、いやそれ以降もこれを大事にして生きていきます。
皆さんもよかったら、自分のマニフェスト、改めて書き出してみては??

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