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劇団TipTap「夜明けを待ちながら」観劇レポ

 6月28日(日)、たった一夜限りの特別な公演を、なんと劇場で観劇することができました。コロナ禍で劇場、ライブハウスが長い長い自粛を強いられたあとの、最初の場内観客有りの公演(限定40名の劇場観劇+ライブ配信)だったと思います。新装・すみだパークシアター倉の全160席を前後左右空席の限定40席にして、あらゆる感染防止対策をした上で上演されました。

 神田恭兵さんが出演されたので、是非とも観たい気持ちはやまやまで、でも感染への不安はまだ拭い切れない気持ちでしたが、きっと当選しないし、当選したらその時は行かせてもらおうと思いつつ、申し込み...したところ、なんと当選して、当日劇場で観劇させていただくことができました。結果として、私としても長いコロナ自粛明けにこの作品を観られて、ここからまたスタートできることに、感謝の気持ちでいっぱい。そんな特別な、奇跡のような観劇になりました。

 入場時の検温、アルコール消毒、お祝い花もキャストさんへのプレゼント受付もなし、という厳戒態勢のなか、それでも来場の皆さんはおしゃれをして、久々の観劇を楽しみにいらしていることが伝わりました。マスクにフェイスシールドの客席案内のスタッフさんもとても親身に、エアコンが熱くないか、寒くないか、劇場の乾燥でむせることがないように、上演中も常に水分補給をしてくださいと、アナウンスしてくださいました。開演時間の20時になり、少しスタートが遅れたのですが、その時に再登場して、「あれ?まだですね。ライブ配信があるので、ちょっと準備に時間がかかるかもしれません。でも皆さんは、静かにしようとか思わずに、遠慮なく楽しんでくださいね。これからまだしばらく、劇場で観劇はできないかもしれないですから。」という言葉に、既に泣きそうになりました。コロナ自粛は「夜明け」とはいえ、まだこの日も57人とかの新規感染者が出ていて、ここから順調に劇場が再開できる保証はない。そんなまだ大変な状況の中、この公演を観客有りで実現してくださった劇団TipTapさんと、キャスト、スタッフの皆さまに、心からの敬意と感謝の気持ちでした。ちなみに慎重なご配慮のおかげで、劇場にいる間感染リスクを感じるような場面は一つもなく、客席でも咳一つする方もなくて、とても安心でした。もっとも、舞台が始まってからは、感染リスクのことは頭の片隅にも浮かびませんでしたが。

 舞台上には、等間隔におかれた4脚の木製の椅子と、4つの譜面台のみ。夜の闇を表すような、ほの暗い青の照明。音楽は舞台上手で作曲の小澤さんのキーボードと、ギターの成尾さんのみですが、このお2人の生演奏があれば最強で、4人の素晴らしい俳優さんたちと、この小さな劇場で、すべてが完璧でした。中村翼さんの歌い出しで始まり、空から降ってくる白い紙を、歌い終わりにキャストさんが1枚ずつ拾って、譜面台に置きながら、物語が始まりました。この紙片が象徴するのは、コロナ禍で声を上げない、けれどもそれぞれの考えや想いを持っているたくさんの人たちの「声にならない声」や、言葉であったと思います。ちなみに、リーディングミュージカルと銘打ってありましたが、50分の上演中、誰も何も読んでいなくて、譜面台があったことだけが「リーディング」の形式でした。でも、読まれていたのは台本でも、譜面でもなく、人々の「声なき声」で、「言葉にならない言葉」でした。

 最初の物語は、池谷祐子さんが歌う、あの大型客船の船旅に、大好きな両親を送り出してしまった娘の哀しみの歌。日々忙しい自営業の両親が、多忙ななかでも大切に自分を育ててくれたことへの感謝と、いつも忙しい両親に小さな恩返しをしたくて記念日にプレゼントした豪華客船の船旅で、まさかこんなことになるなんて。そのやるせなさ、後悔、やり場のない悲しさは私にとってはニュースの向こうのことだったけれど、よく想像できました。

 それに続く2つ目の物語は、神田恭兵さんが歌う、バス運転手の歌。この人は、コロナ禍にあっても運行を止めることはできない、社会の基盤を支えるエッセンシャル・ワーカー。コロナ下でもいつもと変わらず、「相棒」のバスを入念に洗車、清掃し、換気、消毒して早朝からバスを走らせる。コロナ下でもバス停で待つお客は皆、それぞれに休めない仕事を抱えた「勇者たち」であり、彼が運んであげなければ「迷える子羊」になってしまう人たち。だから彼は、あの人たちは病院に勤めているのかな?と思いつつ、心の中でエールを送る。「がんばってくださいってね」。妻も子供もいるのにリスクを承知で日々働く自分も大変だけれど、自分の仕事はまた、さらに大変な最前線で働く人たちを支えている。だから今日も、誇りを持っていつも通り、仕事する。

 アップテンポでノリノリの楽しい曲で、神田さんのもう素晴らしい歌唱で、この1曲中は劇場内が、ライブハウスだった。この曲、メロディも詞も陽気で楽しいのに、それはこのシビアな状況の上でのことなので、完全に楽しいだけでは割り切れない。そこの面白さと突き抜けた感じと、やるせなさと矜持。あらゆる複雑な要素を感じさせて、ノリノリで聴きながら、涙があふれて止まらなかった。もうまるで、コロナ自粛期間中の神田さんのすべてはこの役のためにあり、神田さんの経験と思索がこの役を作ったかのようだった。舞台を前後左右に移動しながら、他のキャストさんを「蹴散らし」ながらの鮮やかなステージングも見事で、楽しくて、この1曲で一気に観客を盛り上げ、作品世界に没入させる圧巻のナンバーだった。コロナ禍で社会を支えるために本当に頑張ってくれたこの社会のエッセンシャル・ワーカーを、こんなかっこいい歌で演じてくれて、そのこと自体がもう、働き者の人たちへの大きな称賛でリスペクトだと思う。こんなにかっこよく演じてくれた神田さんに、感謝したい気持ちになった。

 続く3曲目は、松原凜子さんの歌う、保育園の先生の歌。コロナ禍でも仕事を休めない親たちを支えるため、保育園はこの間ずっと一部の子どもたちを受け入れ続けてくれていた。白衣のお父さんやお母さんを持つ子どもたちは、感染防止の厳戒態勢の保育園に、変わらず毎朝送られて来て、先生たちのお世話で1日を過ごしながらお迎えを待つ。こんな時で、お友達も少なく、ちょっといつもと勝手が違う保育園に、毎日登園し、長い時間を過ごさなければならない子供たちに、凜子さんの演じる先生はまずとても共感して、不憫に思っている。でもその先生も、実は今年小学生になったばかりでまだ学校に行けないわが子がいて、その子のお世話を母親に任せて日々、働いている。自分でみたいわが子を親に託して、出勤しなければならない保育園の先生の切ない気持ちを美しい歌声で切々と歌ってくださった。保育園の先生もまた、社会を支える、エッセンシャル・ワーカー。誰かのために変わらず働き続ける人。

 2人のお話が挿入される。池谷祐子さん演じる、外出自粛に従いたくない人。どうせいつかは死ぬんだから、独り身だし、外出自粛なんて、冗談じゃない。私は出かけたい、と啖呵を切る。

 次に神田さん、ゴミ収集車の作業員。いつも通り仕事をするけど、ゴミ袋の中や表面についたウイルスによる感染は、正直怖い。ちゃんと袋を閉じて、パンパンにしないで欲しいと、労働者らしい簡潔な語り口で語る。

 次に明るいワルツの音楽と共に、中村翼さん演じる新郎と、松原凜子さん演じる新婦の開けなかった結婚式の日の歌。せっかくの二人の記念日が、コロナ禍でお祝いできなくなってしまった。今日は二人でおうちでお祝いしよう、と。新郎は前向きにとらえようとしているけれど、新婦はやっぱり寂しい。せっかくの記念日がこんなことになってしまった不安が明るい穏やかな曲の中で際立つ。

 そしてコロナウイルスに感染してしまって、病院で苦しんでいる患者さん役を、神田さん。夫の最期の時だというのに、手を握ることができない、もう声も聴くことができない、せめて会いたいと歌う妻に、池谷さん。「透明なビニールの中」、「管につながれて」というリアルでシュールな描写が、現実味をもっていて、怖い。「もしも願いがかなうなら、きみの側で語り明かしたい」と願いつつ、夫は去っていった。神田さん、池谷さんの美しい歌声でのデュエット。

 亡くなった感染者の葬儀を戸惑いながら扱う、葬儀社の担当者を凜子さん。持続化給付金の申請に戸惑う、自営業者を神田さん。医療従事者のために戦闘機が飛ぶってニュースに「ばっかみたい」と言いつつ、実際見たら、「なんだか胸が熱くなったんだよね」と話す、医療従事者を池谷さん。アベノマスクをくれた「お隣さん」に感謝で泣きそうな労働者風の人を、再び神田さん。

 そして最後に、官僚でも政治家でもないたぶん演劇人の上田さんご自身の投影として、この状況に何もできない自分を嘆く若者として、中村翼さんが登場。「いつのまにかハリボテの星」と、この惨事に、満足な働きをしない為政者と、たぶんそれを選んできてしまったこの社会の自分たちを嘆く歌。全員のコーラスで朗々と、中村さんのソウルフルな歌唱をバックアップする素敵な曲だった。

 お話は最後に、ふっとこの劇場のことに戻ってくる。6月9日にこけら落としの予定で、毎日お稽古に励んでいた劇団の人々、観劇を楽しみにしていたお客さん、新しい劇場がお客さんでいっぱいになることを夢見ていた、劇場スタッフの人々。「劇場って、誰かの想いがつのって、それをみんなで共有することができる場所だと思うんです」。これは演出家の上田さんご自身の熱い想いなんだろうなと、想像しました。だからこそ、このぎりぎりの時期に、短い準備期間で採算度外視で、リスクをとってこの舞台の幕を上げてくださった。とても勇気ある決断で、それは大成功したんじゃないかと思います。

 この日の一回限りの公演に、俳優さん達の奇跡のパフォーマンスを、観客は全員マスクで表情は見えないかもしれないけれど、全身で舞台からの音楽と歌声のシャワーと、皆さんが集めた想いをさらに「つのらせて」一つの塊になったものを受け取りました。やっぱりこの熱量の舞台は、無観客に向けては実現しなかっただろうなと思うから、客席もまた、舞台の要素の一つですという、俳優さん達の言葉を確かに実感できる経験でした。そして40席の幸運な観客の後ろには、さらにライブ配信でこの同じ舞台を見ている日本全国と、世界のところどころのミュージカルファンもたくさんいて、2日間のアーカイブも含めて、場所や時間さえも越えて、みんなでこの小さな劇場から発信された想いを共有したなと、強く感じました。

 それは、生の舞台への、劇場への皆の想いでもあったし、それが届けてくれた、コロナ禍での「声なき人の声」の物語でもありました。 

 自分自身が必死に生きながら、働きながら、他の誰かをそっと支える。エールを送る。この社会の普通の人たちは、みんなそんな偉大なことをしているんだな。だから、この社会が成り立っている。それってとても、すごいこと。

 でも、この大きな災害の中では、みんなが言わないようにしていたこと、感覚が麻痺して、感じないようにさえしていたことってたくさんあって、舞台をみることで感性を取り戻し、同時代のいろいろな人の気持ちに寄り添って、私たちもまた肯定されて、とても心が浄化されました。だから私もまだ、もっと頑張ろう。もっと頑張れる。この社会の状況はまだ、夜明けとは程遠いけれど、この奇跡の公演を劇場で観劇させていただいて、配信でも何度も何度も繰り返し見て、すべては記憶しきれない自分に切なくなりながらも、今、一夜明けた気分で、そう思っています。

 コロナ禍で長い長い観劇自粛を強いられたいち観客としての私も、この舞台からまた、スタートできることが今とても、幸せです。コロナ禍を受けて、観客としての私たちの舞台との向き合い方も、いろいろ大きな変化を経て、完全に変わることはあり得ないけれど、完全に元に戻るわけでもない。ここからまた、自分にとって大切なもの、大事にしたいものをしっかりと見つめながら、前に進んでいきたいなと思います。

 本当に、ありがとうございました。