見出し画像

人生で必要なのは「自分のやりたいことをみつけること」だ【母の遺言①】

こないだ、ふと思ったんですよ。

私がもし今日突然死とかしたら、きっとこのnoteやTwitterのアカウントが残るんだろうな(Facebookは夫が友達にいるから何らかの方法で閉じられるかもしれないが、noteやTwitterは多分そうはならない)。

今は子供たちが小さくて伝わっているか良く分からないけど、伝えておきたいことがあるんだったら、ちょっと残しておいても良いかもな。と。

というわけで、私が36年(息子には友達に言いふらされたくないので永遠の24歳と言っているけど)生きてきた中で感じたこと、これから人生を歩いて行くにあたって、考えてほしいことを残しておきます。すみません、かなり個人的な理由…

今回は、私が就活を失敗して感じたこと。若い方にはちょっと役に立つかも?しれません。

人生で必要なのは「自分がやりたいことを見つける」ことだと母は思う

子供たちには、一番これを伝えたい。

誰がなんと言おうと、自分がやりたいと思うこと、これで一生自分を食わせていけると思うことに情熱を傾けてほしい。

後は人にやさしく出来て、一人で生きていく最低限のことができさえすれば、ぶっちゃけ何も出来なくてもいい。

私は本気でそう思っている。子供たちよ、そういうことだからよろしく。

なぜ私がそんな風に思っているのかというと、話は30年以上前に遡ります。

・・・

私は、自分の両親(私の子供たちにとって祖父母)に褒められることをモチベーションにしていたところがありました。

食が細くてなかなか食事を取らない私は、食事の時間、特に母の冷たい視線が苦痛でした。

しかし、勉強して良い点取ると褒めてもらえた。

父にも「自分たちの子供とは思えない、賢い」と言われて、いい気になっていました。

ある程度勉強が出来れば、万能である。人生はうまくいく。そんな風に思っていました。

それから約10年後、そんな私の思いは見事に打ち砕かれました。

私は大学生になり、サークルとバイトと、それなりの勉強で毎日充実している気になっていました。

サークルも人一倍頑張っていると思っていたし、バイトは、サークルに注力するために時給の高いバイトを選んでいました。行きたかったゼミにも入りました。

さて就活です。それなりのランクの大学にも入った。ゼミも頑張った。サークルも頑張ったつもりだった。

でも、内定はなかなか出ませんでした。

今なら理由が分かるのです。「自分のやりたいこと」ではなく、「この会社に入ったら自分がどう見えるか」を気にしながら就活していたから。

子供の頃から「自分がどうか」ではなく、「周りからみて、どう見えるか」「どうやったら褒めてもらえるか」を気にしすぎた結果です。

誰のせいでもなく、大学生にもなって気づけなかった自分のせいだと思っています。


私は「会社」「業界」を見て、それが周りからどう見えるかばかり気にしていて、仕事の本質を見ていなかった。

「何をしたいのか」「どんなこと(仕事)で、一生自分を食わせていくのか」という視点が完全に欠如していたんです。

だからこそ、この考えを子供たちには持って、「自分のやりたいこと」を社会に出るまでによく考え、探してほしいと思っています。

仕事は楽しかった。でも感じる違和感。

私は高校時代、ファッション誌の編集がしたかったんです。

大好きな雑誌があって、それを毎号買っていて。

「これが良い」ってこの雑誌が掲載すると、なんか良いように見える。私もほしくなっちゃう。

貯金とにらめっこして似たようなアイテムを買ってみたり。

これがトレンドのスタートなのか!?

うわ、これを伝える方になりたい!!

そう思ったのがきっかけでした。

また、「見せ方」という部分では、VMDにも興味がありました。

VMDとは、ビジュアルマーチャンダイジングのこと。

簡単に言うと、店頭でおしゃれにマネキンと周囲を演出して、「ほしい!!」と思わせる仕掛けを作ることです。

「ファッション」+「伝える」。これを学びたい、と私は大学で社会学を専攻していました。

卒論は「女性ファッション雑誌のジェンダー描写が読者に与える影響に関する考察」

我ながらあまりブレてない(笑)青臭くて今見ると苦笑いだけど。

でも、就職活動で、この「ブレてなさ」を私は生かせなかった。「職」に就くという感覚を持てないまま、私はブレブレの就職活動をしていました。


結局出版社は大手しか受けてなかったし、業界研究も中途半端で玉砕。

心配だから様々な業界の大手企業を受けるもなかなか内定が出ない。

では、「ファッション」に特化すれば良いのではないかと、アパレル企業を数社受け、内定が出たのが新卒で入った企業でした。

ただ「ファッション」は広い。「伝える」仕事がしたかった私が、販売研修後配属されたのは「ディストリビューター」という仕事でした。

これも簡単に説明すると、倉庫に納品された商品を全国のお店に何点ずつ配分するか決め、また全体の在庫調整を行うことで、1点でも多く商品を正規の価格で売るポジションです。

ブランドの利益を支える重要なポジションだという認識はあったので、そりゃあもう必死にやりました。

自分の配分や商品移動が的中してお店の売り上げに繋がればすごくうれしかったんです。

セールの売り上げ計画も作りました。どうやったら効率よく在庫が減って、かつ売り上げもキープ出来るのか、ない頭絞って考えて上司に持って行って、何回もやり直しさせられたこともありました。

VMDのお手伝いをさせて頂いたこともありました。担当している店舗のイベントスタート前の飾り付けにVMDの責任者の方と一緒に行って、少しだけやらせてもらって。

「なかなか上手じゃん!」的な感じで褒められて、すごくうれしかったな。あれ、やりたいことやれてるぞと思って。

やりがいもあった。苦しかったけど楽しかった。

でも、心のどこかで引っかかっている自分もいました。

「これ、本当に私がやりたかったことなんだっけ?」


そう、私がやりたかったのは、「ファッション」<「伝える」だったんです。

大学の友人に学んだこと

そんなころ、大学の友人が当時勢いのある出版社に転職し、私の所属するブランドの展示会に仕事としてやってきてくれました。

彼女は、大学卒業当時の私にとっては名前も知らないある出版社に就職し、その後、転職してやりたかった女性ファッション雑誌の編集者になっていたのです。

衝撃を受けました。

ブレずにやれば後から肩書きやポジションがついてくるのか。

就職で肩書きを得るものだと思っていた私にとって、天地がひっくり返るくらいの驚きと羨望を彼女にもちました。

卒業直前、彼女はゼミの担当教授からも、「そこはどんなことをしている出版社さんですか?」などと聞かれていたような思い出があり、

そういう聞かれ方すると、私の就活大丈夫だったかな?と私だったら心配で仕方なくなったはず。人からどう見られているかばかり気にしているから。

私がそのゼミの教授も知らない出版社に仮に入れたとしても、会社の知名度が自分の自信になるというゆがんだ気持ちがあった私には、良い経験になってなかっただろうと思います。

1社目の経験を彼女は糧にして、転職して、やりたかった媒体で編集をしている。

彼女の強さとブレない気持ちを私は持てなかったんだなと感じた出来事でした。

遠回りしても、それは人生。

今まで私がファッションを伝える仕事をすることにこだわりきれなかった話を散々してきましたが

ディストリビューターの経験が意味がなかったと思っていません。

ディストリビューターで培った売り上げにこだわる姿勢や数字から何かを読み取る考え方は今も役立っていると思っています。


今私がメインでやっているオウンドメディアでのライター・編集という仕事は、ファッションとはほど遠いですが、それでも「伝える」ことは出来ています。

私が「伝える」仕事に踏み出せたのは、ある人が産休中の私に

「渡部さんが本当にやりたいことを、未経験で報酬が最初はほとんどなくてもまずやってみることが大事だと思いますよ」

と言ってくれたからです。

そこで思いついたのが「伝える」ことしかなかった。少なくとも私の場合は。

私がインタビュー記事を書けているのも、ディストリビューターとして様々な地域の店長さんや、各エリアの担当の方、上司や先輩、他部署の方々とお話させて頂いた経験が生きている。

編集者としてだけでキャリアを積んでいたら、ここまで共感しながら被取材者の方に取材が出来なかったかもしれないとも思います。

だから、私はこれもまた自分の選んだ道だと思っています。

でも、私の感じていた無用な固定観念は、子供たちには持ってほしくない。その方が、自分を信じて、楽に生きられると思うから。

やりたいことは、「苦しくても自分が正しいベクトルで頑張り続けられること」で良い

ここで「やりたいこと」て何よ?の答えのヒント(だと、今現在私が思っていること)を少し紹介します。

やりたいことは、「自分が正しいベクトルで頑張れていること、それが継続できること」で良いと思っています。

伝える仕事をしていて感じるのは、苦しいけど、苦しさが自分の元にあるんですよね。また、苦しくてもこの仕事を5年後10年後に辞めたいとも思わない。

多分、死ぬまで「テキストで伝えること」は細々と続けると思う。

誰かのせい、何かのせいにしないで、自分が正しいベクトルで苦しめている。

仕事が自分の手元にある感覚、自分の努力が直接自分に返ってくるような感覚。ボールが自分にある状態。

これが、私が思う、「やりたいこと」をやれている感覚です。外的要因で出来なくなる、やるのが辛くなるのは、本当はやりたいことではないんだと思う。

それが、ある人は好きなこと、と言うかもしれないし、ある人は得意なことかもしれない。苦がなく続けられることを「やりたいこと」と表現する人もいるかも。

あと、私みたいに人の目を気にしちゃう人は、「誰にも報告しなくて良くて、自分一人だけで生きていけばそれでいいかなって思った時に選びたい仕事」かもしれない。

うちの息子はポケモン大好きで、ゲームを教える人になって仕事にすると言ってます。

それも良いと思う。もちろん、自分を養える位の仕事に消化させるスキルは必要だけど。自分を養えればそれで良いと私は思うし。(最初は養えなくても、30代になって自分を養えてなかったらやばいと思うくらいの線引きは持っていてほしいとさらに注文付けちゃうけど💦)

子供たちよ、自分の情熱を傾けられるものを、見つけてほしい。

それがあれば、きっと人生は楽しいよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?