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自分のことばを守っていくこと

カンテレ制作・フジテレビ系列で放送中のドラマ『エルピスー希望、あるいは災いー』を見ている。ドラマを見ようと思うとき、今までは、あらすじや出演している役者がきっかけになることがほとんどだったけれど、今回初めて、ドラマを企画したプロデューサーの話を聞いて、このドラマを見たい、と思った。

『エルピス』は、『カルテット』や『大豆田とわ子と三人の元夫』などを手掛けたプロデューサー・佐野亜裕美さんが企画し、6年越しで放送を実現させた作品であるという。Podcast番組『WEDNESDAY HOLIDAY』でそのことについて語る中で、私の印象に残ったのは次のような言葉だった。

(『エルピス』というドラマは、)どこで放送するか、配信するかも決まってない状態で企画を作り始めて、脚本を一緒に作り始めたので、どちらかというと「社会を映す鑑」というよりはもうちょっと、ここ十年くらいは、きっとこのことに社会が悩んでいくだろうという題材を選んでいるというところがありますし。

いつ放送するか分からないからこの題材、っていう考え方ではなくて、この題材だから、今放送できなかったとしても、いつか、きっと、これは、社会が必要とするときが来て、放送できるんじゃないかと思って、ある種博打を打って作ってたっていう。そんな感じで始めました。

働くの実験室(仮)by smartHR『WEDNESDAY HOLIDAY』

「この題材だから、今放送できなかったとしても、いつかきっと社会が必要とするときが来て、放送できるんじゃないか」——。その言葉を聞いたときにはハッとして、それからしばらく佐野さんの声がずっと頭の中にあった。

今ここで求められているものを見極めて可能な限り迅速に提供する、ということが、どんな場面においても原則になってしまいがちな生活の中で、「今じゃなくても、いつか必要とされるものを企てていく」という考え方は救いだった。仕事も、外での振る舞いも、誰かとの会話も何もかも、「今ここで」の原則に従っていればいろいろなことがスムーズに進むしそうしなければいけない必要性にも納得しているから、そうではないやり方を忘れてしまいそうになるのだ。

それはでも、自分の振る舞いや言葉や、あるいは内面を相対的に決めていくということで、それ自体悪いことではないのだけれど、そういう経緯で発したものは、その場そのときの空気の内に消費されて失くなってしまうということが、少なからずある。それは、息苦しいというよりは、「これでいいんだろうか」という後ろめたさに近くて、その迷いから生まれたわだかまりについては常に、「ここにわだかまりがあるな」と確認し続けてきた。だから、『エルピス』第3話での、眞栄田郷敦演じる岸本の「正しいことが、したいなぁ」という心のつぶやきは本当に、ああ分かる、と思った。

どんな言葉を発するか、あるいは発しないか、何を考えてどこを目指していくか、自分の意思ではないところにその根拠を委ねることが、委ねられるようになったことが、むしろ成長だと感じられて嬉しくもあったけれど、その後ろで絡まっていた感情が、佐野さんの言葉や『エルピス』の物語によって解きほぐされていくような気がしている。いつか必要とされるようなことばや思考を守っていくことが、可能だしそれは自分自身にとって大切なことなんだという気づきがいま、淡々と希望になっている。


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