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私たちは持ちすぎている

先日、東京を出る報告させてもらった。

その後、まだ退去までに30日以上あったにも関わらず、いてもたってもいられなくて着々と物を断捨離した。

カーペット、物置、服、メイク道具…

決して広くはない部屋の中で、モノは少ない方だと思っていたけれど、ひっくり返すと意外に余計なモノが眠っていたことに気づく。

『あぁ、これまだあったんだ』
『あぁ、これ使ってないなぁ』

そんな古くなった化粧品のサンプルや、いつぞやに買った健康グッズをみながら、ぽいっぽいっと断捨離をしていく。

寂しさと気持ちよさ。

モノが減るたびに、このままどこへでも行けてしまいそうな軽さと、もうここにはいられないという寂しさを感じる。

やりたかったことをやるのに、寂しい。

離れたくない人たちと物理的に離れてしまうことが、どこかで怖い。

自分の身から何かが離れていくようなこのなんともいえない痛さを、みんなはどう処理しているのかな?

チクチクとした寂しさに囚われるたび、『そんなことないよ、大丈夫だよ、楽しい未来が待ってるからね』なんて言い聞かせて、自分をトントンして眠る。

モノを捨てながら、実はそうやって知らずに抱えていた何かや感情も私はぽいっと捨てている。

・がんばらなきゃと思っていた自分
・どこか孤独だった自分
・余白ができることに怯えていた自分

見つめては、観察して、観察しては、捨てていく。

あぁ、私は持ちすぎていた。

モノだけじゃない。人との関係も、その間に生まれる責任も。

来たメールは早く返さなきゃいけないとか、次の案件を早くとらなきゃいけないとか、ちゃんとした大人じゃなきゃいけないとか、、、

知らず知らずに降り積もって、実は結構重かったんだ。

そんなことに気づく日々。

今の時代、ネットを見れば、『情弱がどう』とか、『知らない人はやばい』みたいな言葉がチラついている。

でもさ、私の体感的にはみんな持ちすぎているんだよね。

職場での自分。
親としての自分。
子供としての自分。
女性としての自分。
大人としての自分。

重なって重くなっていた何かを、今はとにかく捨てる。捨てる。捨てる。

そんなことをしながら、人生に必要なものだと多分そう多くはないんだな、と実感するし、集めることよりも選ぶことの方がこれからの時代は必要な力だな、なんて思っている。

3月は捨てまくって軽い分、心を通る風が冷たいなぁ。

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読みにきてくださってありがとうございました!きっと私の文章を読んでくれる方は近いつながりの方だと思うのでどこかでお会いできる日を楽しみにしています。^^