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死ぬ気で生きるのはとてもしんどい


月曜日の昼下がり、いつもは自分のデスクでお弁当を食べるが、今日は何となく外に出たくて会社近くの蕎麦屋に来た。

老舗の蕎麦屋らしく、入り口には小さな灯籠があり、その下部には季節の花や樹がこじんまりと植えられている。

店内に入ると、ひんやりとした空気の中にふんわりと鰹出汁の香りが漂い、年季のはいった机や椅子はピカピカに磨かれて、お客が来るのを静かに待っているようだった。
私の他には、同じようにお昼休憩で蕎麦を食べに来たと思われるサラリーマンが何組か、テーブル席に座っていた。

(ちなみに、女性一人で食べに来ていたのは私だけだった。ふふん。)

発券機で食券を購入する。私は「月見そば」を選んだ。

カウンターの店員に食券を渡し、テレビがあったので、それが観られる窓際の席に着いた。

空腹に耐えながら、全く内容がわからない昼ドラをぼーっと眺めていると、突然お昼のニュースに切り替わった。

「ここで、お昼のニュースをお伝えします。」

「昨日、〇〇ビル付近で、飛び降り自殺を行なったと思われる遺体が発見されました。年齢はー…」

(コメンテーターの深い深いため息)

「とても残念なニュースです。死ぬ勇気があるなら、死ぬ気で生きることはできなかったんですかねぇ。とても心が痛いです。」


…………はぁ、

「死ぬ気になればなんでもできる」と言うが、そんなのあくまで「死」が何よりも怖いと思っている人間の言い草だ。

そして、「死ぬ気で生きる」というのは存外しんどい。精神的にも、肉体的にも。

まぁ、その考え方を上手に使いこなせる人もいるんだろうけど。

「月見そば一丁!」
「ありがとうございます。」

届いた月見そばは、真っ白なとろろがたっぷりとかけられ、中央には赤みがかったオレンジの黄身がちょこんと乗っていた。

(いいねぇ!いいねぇ!いただきま〜す!!!)

タレは余すことなく回しかける派。

黄身に箸を入れるとトロリと崩れ、みるみる白の中に溶け込んでいく。

(この瞬間をとても官能的だと感じるのは私だけじゃないよね???)

ぐるぐるっと蕎麦にとろろと黄身とタレをよく絡めて、あ〜ん。


ん〜〜〜!!!

ふふふ。幸せ。

飛び降りたその人に、どんな不幸があったかなんて想像できない。

ただ、その人は手の届かないところへ行ってしまった。
美味しい蕎麦を一緒に食べて、幸せを分かち合うこともできない。


「ずるるる。」


手の届く範囲だけ。
この世界の全ての人達なんて無責任なことは言わないから。


私の大切な人たちだけでも、どうか。

そう思わずにはいられなかった。

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