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眠れぬ夜に思い出す、自分のこと

タイトルのまんまです。
自分の後悔と思考の垂れ流しです。
暇で死にそうな方だけどうぞ。

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もしあの時あの道を選んでいたら、今頃私は何処で何をしていたのだろう。

たまにそんなことを考えてしまう夜がある。
大体が弱気になっている時だ。
考えたって仕方がないことばかりが頭を巡る。


高校2年の夏、私は初めて自分のこころが折れる音を聴いた。
高校を卒業後、大学と専門学校どちらに進学するかで親と揉めて負けたのだ。こうして書いてみると、とても陳腐でありきたりな出来事なのだけれど、当時の私にとっては大きな選択であり、人生の岐路だった。



それまでの私は反抗期もなく、両親にとって育てやすいお利口さんな子どもだったと思う。

妹や弟は勉強を嫌がったけれど、私は進んで勉強した。だってそれだけで、両親や先生に私の主張が通りやすくなったから。
子どもも大人も、自分のわがままを通したいなら、相応の努力をして相手より優位な立場に立つことが必要だ。
なんの努力もせずに自分の主張を通そうとするなんて、無謀なことをするよなぁと自分の妹や弟をみて思っていた。
要するに勉強はあの頃の私にとって、なによりも簡単に自分の地位を優位にすることができる手っ取り早い手段だったのだ。
それが後々、自分の首を絞めることになる。




当時、私は表現者になりたかった。
自分の内側に渦巻いている思いや考えを、“正しく”表現する術を学びたかった。
表現に正しさなんてものはないという人もいるけれど、それは一部の天才に限る話だと思う。
何の意図もロジックもなく、ただ漠然と自分の思いを表現してお金をもらえるのは、ほんのひと握りの天才たちだけだ。
ほとんどの心震わせる作品は、もとは凡人だった表現者たちが死ぬ気で身につけた緻密で繊細な戦略の上に成り立っていると感じる。

少なくとも私はそれを信じていて、だからこそ自分も死ぬ気でその術を学ばなければならないと思っていた。

昔から無駄な思考は好きなくせに、無駄な時間と経験はしたくないタイプの人間だった。
やらなければならないことがあるなら一刻も早くそれに着手すべきだと思っていて、だからこそ高校を卒業したら実践的なことを学べる専門学校への入学一択だった。


結果、見事に玉砕した。

大人になった今ならわかる。いろんなことが準備不足だったのだ。

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ようやく眠くなってきた。
続きを書く気力があったら、またこんど。

こんなどうでもいい話を、読んでくれてありがとう。

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