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自分その二(チャンネル)

自分について考えた時に、ふと思い出すことがある。
『チャンネル』って自分の中では思っているんだけど、みんなは意識したことある?
これは世界を見る自分の視点の話。

昔から私はその場の雰囲気というか、空気感に影響を受けやすいタチだった。
感受性が豊かといえば聞こえはいいのだけれど、それにしても振り回されっぱなしだった。
例えば、病気を患ってしまった人のドキュメンタリーを観て、自分もどこか悪いような気がしてきたり(当時、いくら食べても太らずむしろひょろひょろなのは自分が癌だからだと思い込んでいた。今思えばただの成長期だ。)人間関係でシリアスな描写があったりすると、自分の身の回りの人たちも同じように見えてしまったりした。
おやすみプンプンを読んだ時はやばかった。

まぁ、そんな感じでどっちかというとリアルで暗い部分に焦点を当てた世界を見てたと思う。だからかは分からないが、死ぬということに強い恐怖を抱いていた。今怖くないわけではないが、なんというかあの頃は本当に怖くて怖くてしょうがなかったのだ。

一方で、明るい世界はとことん明るく感じていた。
例えばだけど『あたしンチ』とか『プリキュア』とか。厳密にいえば全く同じ世界ではないが、それでも人々の日常について描かれていることには変わりないのにこんなにノリが違っていいのか?どれが一番正しい世界なんだろうって。
ちぐはぐな世界観に戸惑いながら、ぶんぶん振り回されながら考えてた。

そしてある時納得した。
どれが一番正しいっていうのはなくて、どれも同じ世界を、それぞれの視点で見ているだけなんだなって気づいた。

例えば、人気の無い商店街をプンプンとあたしンチのお母さんが同時に見たとして、全く同じものには映らないだろう。
プンプンが見ると、人気を失って活気のない商店街はちょっと怖く見えるかもしれない。そのかげで、借金まみれになりながら生きる人々の生活が透けて見えたり…。
じゃあ、あたしンチのお母さんは?多分『あらら〜?空いてるじゃない!これなら戦わずして安いものゲットできそうね〜ニヤニヤ』となるんじゃないかな。(※あくまで私の想像です。)

分かってもらえるかなぁ〜、この感じ。
あの頃の私にとっては大発見だったんですよ。
ホントに。
同じ世界でも、視点を変えれば怖くないってことが。

そのイメージがテレビのリモコンでチャンネル変える感じと似ていたので
私はこの感覚を勝手にチャンネルと呼んでいます。

どんな時に、どんなチャンネルを選ぶのか。
それは私次第!
これで私は無敵になれました。

今でもたまに、体力がない時や心が疲れている時
心構えなくそういうコンテンツを見てしまうと、引っ張られて自分の意思と関係なくチャンネルが切り替わってしまうことはあるけれど
そんな時には無理矢理にでも明るい世界を自分に見せてあげると落ち着きます。

リアルでシリアスなものが悪いと言っているわけではないです。
それらも同じくらい重要で必要なものです。
ただ、そればかりだとしんどくなってしまうから。
自分で調節できるようになったら、少しだけ生きやすくなったというお話です。

もし、似たような感覚を持っていて
最近ちょっとしんどいな〜って感じている方の回避策の一つとして
参考になれば幸いです。

ここまで読んでいただきありがとうございました!

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