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耳たぶの柔らかさになったら

スーパーの粉売り場の前で、ふと立ち尽くす。目の前には白玉粉と団子粉が並べて陳列されている。あれは白玉だったのか、団子だったのか。沸いた湯に次々に浮いてくる、つるりとした白い団子の肌のことを、断片的に思い出した。湯気に包まれたような記憶が蘇ってくる。

母方の祖母は料理上手なひとだった。遊びに行くと決まってダイニングテーブルにはちらし寿司や魚の煮付け、アサリとお麩のお吸い物などの、作りかけのご馳走が所狭しと並んでいた。
そのどれもがとても凝っていて、鮮やかな海老やキュウリや錦糸卵、手毬のような麩に飾り山椒の葉まで添えられ、まるで料亭の料理のようだった。

祖母は早くに病に倒れたので、私が唯一教わった料理は団子作りだけだ。遊びに行くと決まって、「今日は団子作るね?」と祖母が嬉しそうに聞いてきた。
他の孫は男の子ばかりで、女の子は私だけであったので、とくに可愛がってもらっていたのかもしれない。
わたしはこの団子作りが好きで、照れて頷きながらも、静かに大喜びしていた。

大きなボウルに、予め祖母が用意してくれていた団子の粉を入れる。水は別の器に用意しておき、少しずつ少しずつ足しながら、手のひらで粉をダマ状にして纏めていく。
「水を入れすぎると、茹でた後柔らかくなりすぎるけね。ちょっとずつ入れると」
水を入れる係は祖母で、混ぜる係は私だった。祖母は本当に、ほんのちょっとずつしか水を入れない。それでも、不思議と急く気持ちにはならなかった。粘土のようにまとまってくる粉の表面が、サラサラして気持ちいい。

粉がある程度まとまってくると、決まって祖母は、「耳たぶになった?」と私に聞いた。
耳たぶくらいの柔らかさにまで練れていれば、それ以上水を足さなくてよいということだった。でも私はいつも、『耳たぶの柔らかさ』がよく分からなかった。
そこで耳たぶを実際に触ってみるのだが、子供の私の耳たぶは薄く貧相で、塩梅が全然分からなかった。結局は祖母が生地を手でつつき、「これくらいやねぇ」とか、「もうちょっと」とか言って調整していた。ぼんやりしながら、祖母の耳たぶを眺めていた。あの時祖母の耳たぶを触らせて貰っていたら、水加減が分かったのだろうか。照れて言えなかったけれど。

生地が出来たら、千切って掌でコロコロとまとめていく。祖母のは全て整然と同じ大きさで、私のはバラバラで不恰好だった。それでも粘土細工のようで満足して、出来上がりに私は鼻を膨らませた。

それから大きな鍋にたっぷりと水を張り、コンロの火にかける。ここから先は火傷するとダメだからと、遠目に観察させられた。ぐらぐらと煮立った湯に丸めた団子が沈められていく。最初は静かに鍋の底へ沈んでいた団子が、ぷかり、ぷかりと小さなものから浮き始める。浮いてきたら掬い上げ、大皿にあける。最後の方はもう、鍋の中はツルツルした団子のすし詰め状態で、祖母は揚げ物用の網掬いでそれを纏めて掬い上げた。
茹でたての団子は表面がつるりと光り、私はその白さともっちりとした質感にただ見惚れた。

祖母が大急ぎで皿にとりわけ、用意しておいたきな粉を上からかけてくれた。
「できたよ。沢山食べり」

できたての団子はほんのり甘く、柔らかすぎず硬すぎないモチモチとした食感がなんとも言えず美味しかった。小食の私だってこの時ばかりは張り切っておかわりした。祖父や家族もこの団子が大好きで、美味しい美味しいと言って沢山食べた。
口に出して言わないけれど、これ、私が作ったのよと、幼い私は鼻高々だった。

雨が続いて暇を持て余したある日、私はあの団子のことを思い出し、小さい娘と作ろうとスーパーに出向いた。
そして普段は碌々見もしない粉売り場の前で、白玉粉と、団子粉が二つ並んでいるのを前にして愕然とした。
祖母はどちらを使っていたのだろう。手に取り、裏のパッケージを見ても、よく分からない。
あんなにつるりと光っていたのだから、白玉だろうか。いや、モチモチしていたから、団子だったかしら。
左手を握っている娘が退屈そうに足をぷらぷらさせている。娘の耳たぶは、幼い日の私に似て、薄い。

私は白玉粉を棚に戻し、途方に暮れながら自分の耳たぶを触ってみた。あの頃より少しは、柔らかいような気がした。
今なら少しは分かる気がするのに。祖母の耳たぶの、柔らかさのことが。

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