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溢れた感情の先に見つけたもの

嫌なことがあったとき、起こったり悲しんだりして感情を外に吐き出すよりも、「きっとこうなんじゃないか」とまずは理屈で考えるようになったのはいつからだろう。それで気持ちが収まればいいのだが「辛かった・悲しかった」という吐き出しきれなかった感情は心の中に残り続ける。残り続けた感情がとあるきっかけで溢れ出した。

先日、こんなことがあった。娘が小さい頃は私と夫が全盲ということで、周囲からいろんな言葉が飛んできた。

「お母さんを助けてえらいね」
「毎日誰がご飯作ってるの?」

直接聞かれたこともあるし、遠巻きでささやかれたことは数えきれない。その都度ご飯は私が作っていること、週に二回ヘルパーさんに来てもらって、学校のプリントや郵便物を読んでもらっていることを伝えてきた。全盲の夫婦に子供がいるなんて、どんな風に暮らしているか想像もつかない人がたくさんいるのだと思う。知らないことを聞いてもらえたら答えられるし、それをきっかけに私たちの生活を知ってもらうこともできる。そういう思いで視覚障害の啓発活動をしている。娘が大きくなるにつれ、直接聞かれることは減っていったのだが、先日久しぶりに家の家事を娘が担っていると思われた。詳しくは書けないのだが、相手は知らないから尋ねたのだと思う。娘は

「母がご飯を作っています。字を読んだりすることはできないので、週に2回ヘルパーさんが来て手伝ってくれています」

と答えたようだ。頭では、私たちの生活を知らないから聞いているんだと思った。その一方、感情では娘が家事を担っていると思われ、悲しかったし辛かった。結果、理屈で感情を抑え込み、納得しようとしていた。でも、消化できずに押さえつけられた感情はくすぶっていたようだ。

その出来事から数日後。仕事が終わった後に同僚に一部始終を聞いてもらった。

「こんなことがあってさぁ」

と話しているうちに、理屈ではなくて感情を思い出してきた。その場にいた何人かに聞いてもらう形になり

「それは辛かったね」
「相手は知らないんだよ」

優しく励ましてもらっているうちに涙が出てきた。話を聞いてもらいながら、本当はすごく辛かったんだなと自分でも驚いた。蓋をしていた感情を開放したことで、少しずつ気持ちが落ち着いていった。私たちが全盲であることで、これまで何度もあった出来事なのに、どうしてこんなにも辛かったのか改めて考えてみた。ご飯を作ったり買い物に行ったりという日常の家事を娘が担っていると「誤解されたこと」が辛かった。「誤解」というキーワードで思い出す娘からもらった大切な言葉がある。当時小学2年生だった娘が言ってくれた。

「ママは毎日ご飯作って仕事にも行って、なんでもできるじゃん。なのに、なにもできないって誤解されてるのが嫌なんだよ」

この言葉があったからこそ、自分の生活を発信しようと思えたことを思い出した。思いがけず感情を吐き出し、それを受け止めてもらえたことで、自分が大切にしていたことを思い出せた。

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