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並んで歩く10年から、後ろからそっと見守る10年へ

今日、娘が10歳の誕生日を迎えた。
誕生日が近くなると毎年娘が生まれたときのことを思い出しているけれど、今年は10歳の節目でもあり、これまで以上に重みを感じている。
31時間の陣痛の末、腰を中心に体が左右に引き裂かれるかと思うほどの痛みから解放されて、フニャフニャの娘を胸に載せてもらったときの感動を毎年思い出す。
私の腕の中にすっぽり収まっていた娘が、10年経った今では身長も140cm近くになり、靴のサイズに至っては23.5と私より大きくなった。
小学校を卒業するころには、156cmの私の身長を追い越しているかもしれない。
どこに行くのもおんぶで歩いていた2年ほど。
その後はずっと手を繋いで歩いてきた。
ここまでの10年、娘と並んでたくさんの時間を過ごした。
ここからの10年は、ちょっと離れたところで後ろからそっと見守るような関係を目指していきたい。
そうは言っても、実際は、机の上がきたないだの、早くやること終わらせてだの日常のことをゴチャゴチャ言ってそうな気もする。
昨日三人で夕食を食べながら、娘が生まれたときの話になった。
「小さいころのことで一番古い記憶ってなに?」
と娘に尋ねてみた。すると
「えー。記憶のダイアルを回したらちょっと思い出せるかもしれない」
と答え、しばらく考えていた。
「記憶のダイアルを回す」うらやましい表現やなと思いながら待っていると、
思い出したのは保育園の年長の頃、滑り台で足をぶつけて痛かったときのことだと教えてくれた。
「散歩も動物園もいっぱい行ったよな」
と夫。
「サンリオピューロランドも行ったし、いっぱい外で遊んだよね」
と私。
そして、あそこに行った時は誰が一緒にいてくれた、ここに行ったときはあの人と一緒だったと話しながらたくさんの人を思い出した。
娘が小さいころのことを思い出すとき、いつもいろんな人が一緒にいてくれたなと思う。
神戸の家族、ヘルパーさん、たくさんの友人たちに保育園の仲間。
今でも、ばあばやヘルパーさん、引っ越してきて出来たお友だちやママ友たち、たくさんの人に支えられていることをかみしめている。
こうやって娘の誕生日に人との繋がりを大切に思えること、幸せなプレゼントだ。
「育ててきた」という思いの強いこれまでの10年から、一緒に育つ10年にシフトしていくんだろうな。
この1年、我が家に最新情報を届けてくれるのは娘だ。
あつ森も鬼滅の刃もNiziUも数々のYouTuberたちも、全部娘が教えてくれた。
「へぇ、そんな人いてるんや。ママも調べてみよう」
と言って調べる私と、こっそり調べて娘に情報提供するようになった夫。
娘が運んでくれる流行が楽しみになっている。
これからの子育ても、親として乗り越えないといけないことはたくさんあると思う。
その都度悩んで考えて、周りの人に相談して、娘と一緒に成長していきたい。
娘にも「自分で決めること」を大切に、楽しいこと・好きなことをたくさん見つけて大きくなってほしいなと思う。
これは、娘が生まれる前からずっと持ち続けている気持ちだ。
娘が生まれた時間の13時15分をカウントダウンしてお祝いした。
元気で面白くて、お調子者で優しい。
本当にいい子に育ってくれたなと思う。
ここまで一緒に子育てしてくれた夫に、たくさんのみなさんに改めて感謝している。
10歳のお誕生日おめでとう。

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