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さまざまな愛の形を前に、泣きたくなることだってある

あまりマツリゴトは得意ではないので、心の中でそっと節目を迎えられたら良いなと思っていたのだけれど、まぁ次の元号を生きて迎えられる保証もないので一生に一度かもな、と思い、一応自分の中でも短い人生を振り返ってるGWです。

先日も明治通りを見下ろすカフェで仕事してたんですけど、目の前を流れていくレインボープライドのデフィレをみて、思わず心の中でむせび泣いたのですよ。さまざまな愛の形を前に、というと綺麗にまとまってしまうけれど、多様性だとか社会の制度だとかで済ませられない、個人の事情が一人一人にあるのだよなと、思って。それはフツウに見える私にもだし、きっとあの人にもその人にもある、フツウの皮を被った、フツウじゃない事情。

私はちょうど2013年にパリに住んでいたので、同性婚可決のタイミングの騒動を肌で感じていたから、その頃くらいからLGBTQに関してはなんとなく調べたり気にかけたりしていた。当時働いていたクレープ屋がマレ地区の入り口でゲイバー、レズビアンバーのならびにあるようなところだったので、店に訪れる同性カップルも多く、日本にいた頃からそういう友人が周りにいたので特に違和感を感じることはなかった。

人に関してはそう、違和感は全然なかったのだけど、どうも色々なカテゴリーを調べていく中で自分に関してはふつふつと疑問が沸くことが多くなり、「ここまで分類が多かったら普通なんてないじゃんか(笑)」と思いながら、自分はあれとそれでは?と思うようなカテゴリーを発見したのでした。

人間は不思議なもので「風邪ですね」と名前をつけてもらえると安心する性質があるので、私も例に漏れず自分が「フツウじゃないかもしれないけど他にもそういう現象あるょ~」というカテゴリを与えられたことで、ずっと抱えていた「なんか違う」というモヤモヤをひとつの形あるものとして捉えることができて、ちょっと安心したのです。
だからと言って、何かが解決したり誰かがハッピー/アンハッピーになったりするわけではないし、完全に自分の中での整理整頓作業。「そりゃああの時もその時もうまくいかなかったわけだわ!ハッハー!」と過去を振り返って妙に納得したり、ちょっと悲しくなったりはしたけれど。

ってなんかすごく重たそうに書いたけど、多分誰しも抱えている「感情と行動の矛盾」みたいなものを、私は自意識の塊なので他の人よりヘヴィーに受けがちなだけなので、別に元気でございます。

「愛ってさぁ、なんだろうね」
と呟いた早朝5時の言葉を、それはもう遠い昔のことだけれど、反芻しては首をかしげるのです。なんだろうね。しらない。人それぞれあって、それがお互いハマった時に、しっくりくるものだろうし、それは時とともに変容するよね。ラムネでできたパズルみたいにさ。ソーダに入れて溶かしたら?


時代の節目だからといって赤が青へと一斉に変わることはないし、汚い紫を経ての紺碧かもしれないし、そこは一滴ずつ水や色素を調整しながら希みの色に変えていければ良いな。良いよね。だからまずは自分が何色なのか、(あるいは何色になりたいのか)を今一度確かめようと思って、ちょっぴりコトバにしてみた。どうも口で喋ったり私信を書くのは大の苦手なので、ある意味公な、こういう形で。

#コラム #LGBT #愛のかたち #LGBTQ

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