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他人の死体を見た日。

到底クリスマスイブに公開するにはふさわしくないタイトルだけれど、なんとなく、今書いておこうかなと思った。それはこの前と、10年前の話。

あの日、私は初めて死を感じた。

高校生になる前の春休み。3月。部活が午前に終わり一度帰宅してから遊びに行こうとしていたら、家には珍しくママがいた。

「好きそうだから買ってきたよ」と、可愛いシールやメモ帳、消しゴム、猫のぬいぐるみなどを無造作に机に広げ見せてくれた。私はもう高校生になるんだけどな、と思いながら少しだけ話をして家を出た。

最後に交わした言葉はちっとも覚えていない。

夜、滅多に鳴らない電話が鳴った。警察からだった。大人に代わって欲しいと言われて、同居している祖母に代わった。

「え、死んだ?」

その叫び声は鮮明に覚えている。私はわけがわからないまま「嘘だ嘘だ嘘だ」と喚き散らした。そこから家族が集合する深夜までの記憶はない。

急に逝ってしまったママのことを悲しむというよりは、遺された自分たちのことを各々が考えていた気がする。発する一言一言が誰かへの暴力になった。あの日のリビングの静けさと叫びは、16歳の私には重すぎるものだった。その日は寝付けそうもなかったから、iPodでJUDY AND MARYを聞いて、寝落ちするのを待っていた。


人生で初めての通夜がまさか実の母親のものだとは1週間前まで思ってもみなかった。ただただ泣いている人々の顔をたまに見上げながら、私は制服姿でじっと座っていた。「母親が憑依したようにそっくりだ」多くの人が泣きながら私に話しかける。私は答えるように笑う。通夜で出た寿司のことも帰宅してどうしたのかも覚えていない。

葬式の日、ママが焼かれた後の骨を掴んで、人間はなんてちっぽけなんだろうと思った。たったこれだけの装置で姿形が消えてしまう。火に焼かれただけで。ほんの数十分前までは、死んでいるとは言え人間の形をしていたのに。倒れた時の傷は死化粧の奥に隠されて、綺麗なママの顔をしていたのに。


この前、他人の死体を見た。正確にはその時は死体とは分からなかったけれど、後から聞いたら亡くなっていたそうだ。

道端で倒れていた人。喋ったこともないし、素性も知らない人。それは他人と言える間柄だけれど、私はあの日、その他人のことが気になって仕方なかった。家族がいるのかいないのかも知らないけれど、一人の人生が突然終わってしまった時、周りの人間の人生も大きく変わる。その人の周りでどんな人生が動いていて、どう変わっていくのか、私には関係がないのに、気になった。

ママが死んでしまった時も、どこか他人のような気持ちでいた。もともと一緒に暮らしていたわけではないし、「日常で側にいる誰か」がパッと消えてしまったわけではなかったから。10年経った今でも、本当に死んでしまったのかわからない。この手で確かに、骨を掴んだのだけど。


あっという間に命が終わってしまうことを体感しているから、生も死も、そんなもんかと捉えている。ある意味軽く、ある意味重く。「明日死ぬかもわからないから好きに生きよう」「どうせ死ぬなら頑張らなくていい」16歳からずっとこの二つが頭を行き来している。

社会人になってから、好きに生きることの難しさを思い知った。そして生温くそれなりに生きる方が簡単ということも知ってしまった。だから、どこか後者寄りの考えになってしまっていたけど、あの死を目撃してから変わった。やっぱり、好きに生きようと。

ママは自分がやりたいことを、たとえ家庭がおざなりになってもやり抜いた人だった。幸いにもその気質を継いでいるので、自分は幸せな家庭を絶対に作るんだという反抗心もありながら、やりたいことをしてから死にたい。もし明日、パタりと道端で倒れてしまうなら、大切な人の顔を見ることができないまま玄関の前で死んでしまうなら、「今日やればよかった」と後悔しながら死んでいきたくはないから。


今、私が手がけているタブロイド紙ROBEの次号の制作の真っ最中。テーマは「Hero in mind」心の中のヒーロー。私にとってのヒーローは誰だろうとずいぶん悩んだけれど、生き様の原点はママにあるように思う。

もし今生きていたら、本当に相談したいことがたくさんあったし、これからなんてもっとそうだ。例えば仕事を変えたり、結婚したり、出産したり、するかもしれないし、しないかもしれない。「助言を聞いたところで私は私」という性格まで同じだから、きっと気軽に相談できるだろう。くよくよしないでやることやりなさいよと怒られそうだから、あんまり泣き言は言わないけれど。それでもやっぱり、会いたいなぁ。

でもヒーローは伝説になるからこそヒーローなのかもしれない。だからあそこで終わってきっとよかったんだ。そうしてもたらされた人生の変化が、今の私に繋がっているから。いつかママと過ごしてきた時間よりも、一緒にいない時間の方が長くなるその時に、胸を張ってバトンを受け取れるように、強く美しく生きていこう。

Joyeux Noël

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