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エルデンリングの話

実はフロムゲー考察を長いことやってきました。特にどこかで発表などはしていませんが、Twitterでは折に触れて考察ツイートを放流したりしていました。
デモンズ、ダクソ1~3、ブラボ、SEKIRO、そしてもちろんエルデンリングまでを一通りプレイして、じゃあそろそろエルデンリングの考察をしていくぜ、と言いたいところだったのですが、その前に、ゲームとしてのエルデンリングについての個人的な評価をまとめておきたいな、と思います。

前提として、これは考察ではありません。あくまでゲームプレイの感想です。初見プレイからだいぶ時間が経って冷静に評価できるようになってきたので、それを綴っていきます。

あんまり良くなかった点

いきなり不満点を挙げるのも気が引けるのですが、目についたんだからしょうがない。

1.ゲームシステム・ユーザへの説明


初見プレイのとき、真っ先に感じた不満点です。たとえば祝福で休息した時に表示されるメニューを見てみます。

祝福メニュー。ダクソの篝火システムとほぼ同じ使い方ができる

最初に思いました。「木箱ってなんだよ」。いや、わかっています。手持ちのアイテムを預けることができる便利なシステム、要は倉庫みたいなものなわけですが、それが最初から祝福に備わっている。
これは元をたどるとダクソ無印に登場した「底なしの木箱」というアイテムで、商人から買うと篝火でアイテムを預入できるようになるものでした。これがその後の2・3でも踏襲されて、篝火では「木箱の整理」ができるようになったわけです。
それは重々承知の上で言いますが、「じゃあ、それがなんでエルデンリングにいきなり最初からあるんだよ」。
もちろんゲームプレイを快適にするものなので、あるに越したことはないです。あった方がいいに決まっている。私が違和感を持ったのは、「ダクソでは無印からの流れ的にあって当然だった木箱が、なんでエルデンリングではなんの経緯もなしに急に祝福にあるんだよ」という点です。もっと言えば、この「木箱」については別になんのチュートリアルもない。祝福で休むといきなりこのメニューに当然の顔で居座っている。

これは歴代のフロムゲープレイヤーなら当然「木箱」がなにかすぐわかるわけなのですが、エルデンリングから初めてフロムゲーをプレイする人には不親切な設計です。もちろん、ゲームの内容について説明がさなれないのはフロムゲーでは恒例のことですし、そこが魅力ですが、それは「ゲームの世界観」や「ストーリー」の話であって、むしろシステム面やアクションの面では細やかに説明とチュートリアルがある、またはアイテムフレーバーで使い方がわかるのが「デモンズ」以来の伝統でした。
エルデンリングではその辺がいまひとつだった。というか全体的に「フロムゲープレイヤーならわかってて当然だろ」みたいな部分は説明が省略されていたように感じました。私は歴代作品プレイヤーなのですが、この部分がすごく嫌だった。「身内ネタ・内輪ノリ」に対する不快感と近いものを感じた。
それとも、あるいはエルデンリングとはダークソウル4だった、ということなのでしょうか。

2.ゲーム内容面・ストーリー

王になれ」。はい、なりました。
……で?
勘違いしないでください。面白かったんです。面白かったんですよ。ゲーム自体は。でも、「王になれ」っていったい何だったんでしょうか。エルデンリングとはいったい「なにをするゲーム」だったのでしょうか。
比較するために歴代作を振りかえってみます。

  • Demon's Souls
    →「古い獣」の目覚めにより世界は滅びの危機に瀕している。すべてのデーモンを殺し、獣を再びのまどろみに導くのが目的

  • DARK SOULS(無印・2・3)
    →「はじまりの火」が消えかけ、世界には不死がはびこっている。火を継ぎ、世界に光を取り戻すことが目的

  • Bloodborne
    →古都ヤーナムでは奇妙な風土病「獣の病」が蔓延している。しかし呪われた街はまた、古い特別な医療の街でもある。狩人となり獣を狩り、悪夢から解放されるのが目的

  • SEKIRO
    →「竜胤の御子」の力によって死んでも黄泉還る従者「狼」。戦乱の葦名国を駆け、主である九郎と共に竜胤を断つのが目的

どうでしょうか。これらと比較して、エルデンリングは一体なにをするゲームだったんでしょうか。「王になれ」というのは漠然とし過ぎていて、「それによってなにが起き、世界がどう変わるのか」がよくわからなかった。もっと言えば「なぜ王にならねばならないのか、なんのために王になるのか」という動機が不透明だった。
旅の目的があやふやなのです。歴代作、例えばダクソは、「不死人」という概念がゲーム上のシステム(=死んでも篝火から復活する)と世界観(=火が陰り、強いソウルを持つ不死が始まりの火を継がねばならない)がガッチリと噛みあっていました。
デモンズも「「古い獣」は人々のソウル(=認識力)を奪い、認識されない世界は「拡散」して霧に飲まれ消失してしまう」という設定と、「ソウルを奪われた人々は正気を失い、他者のソウルを奪おうと襲い掛かって来る」という設定があったから、エネミーとして登場する兵士や騎士たちに説得力がありました。

対してエルデンリングは、「女王マリカがエルデンリングを砕いたので、その破片を持っているデミゴッドたちをぶっ殺して回り、最終的には狭間の地の王になる」という流れ(マルチエンド)でした。
……なんかスケールが小さくないですか? デモンズやダクソと比べて、主人公には明確な目的がない。あえて言えば、大義がない。主人公の行動原理が、世界の行く末と結びついている実感がない(実際には結びついているのだとしても、それがプレイヤーには強く感じられない)。
設定とストーリーの噛みあい方が弱いのです。ゲーム全体を貫く、一本の明確な軸がわからない。
これはデミゴッドたちの勢力争いやかつて起きた破砕戦争によって世界がめちゃくちゃになってしまったという世界観設定の影響なのかもしれませんが、他にもっとやり様があったんではないか、と思うところです。

3.マップ・オープンフィールド

めちゃくちゃ広いマップでしたね。

ものすんげぇ広いマップ

初見のとき、リムグレイブを愛馬トレントと共に駆け巡った興奮はすごいものでした。火を吐く竜の襲撃や、未知のダンジョンの発見、NPCとの思いがけない出会い、盛りだくさんでした。
なにより、マップを獲得していくとわかるのですが、「最初に表示されていたマップの範囲が、さらに広いマップの一部でしかなかった」とわかったときは最高にワクワクしました。なんだか話がHUNTER×HUNTERみたいになってきましたね。
ではなんで「あんまり良くなかった」点でこんな話をしているのかというと、それは「初見のときの」話だからです。
2周目の退屈さがすごい。プレイしてしばらく経つと気が付くのですが、いわゆる「オープンワールド(以下、OW)」のゲームとエルデンリングの「オープンフィールド(以下、OF)」は決定的に異なります。
OFにおけるフィールドは、単に「ものすんげぇバカ広い通路」でしかない、ということです。
たとえばブレスオブザワイルドはOWの代表格とも言えるゲームです。あのゲームではマップ上にさまざまな発見があり、タスクがあり、探索要素があり、謎解きがあり、飽きが来ない間隔で人が集まる集落や宿場があります。面白いことに、重要なNPCやダンジョンを見落としにくくもなっています。一つ一つの集落や宿場にもちょっとしたイベントが用意してあったりします。
これは他のOWゲームにも共通することです。例を挙げると原神が近いでしょうか。とかく「移動中にもなにかプレイヤーが発見できるものを用意し、常に飽きが来ないようにしてある」。
他方、エルデンリングのOFは、とにかく「目的地に向かう道」以上の機能がありません。その道中にダンジョンやNPCが配置されているのは同様なのですが、やたらと「見つけにくい」。とかく道を外れてあっちこっちに馬を進めなければ探索ができないし、探索をするきになるほどマップの移動が楽しいわけでもない。結果、神攻略のウェブサイトでダンジョンとNPCの位置を把握し、そこに向かって最短ルートを移動するだけになってしまう。道中はひたすら敵をぶった切るか、祝福がないか目を凝らすのみ。
つまり、OFは「移動がただの移動でしかなく、ゲーム的に面白味がない」。これではダクソ無印のグウィンドリン戦で無限回廊を走っているのと大して変わらないのです。単に「景色がいいなあ」程度の差しかない。

OWゲームの「移動」という点でいえば、最近デイズゴーンをやりました。ゾンビアポカリプスで終わった世界で、バイクでオレゴンの山を走り抜ける。それだけでもう超楽しいのですが、ここには「バイクがなければとても移動できないような長距離」を「常にバイクの燃料に気を付けながら」走るという要素が一役買っています。時にはゾンビの大群に出くわして慌ててUターンしたり、目的地までのルートを考え直さなければいけなくなる。つまり「移動そのものに戦術性≒ゲーム性がある」のです。

エルデンリングのOFに不足していたのはこうしたものなのではないか、と思います。

よかったところ

なんだか不満ばかりをたくさん挙げてしまったような気がしますが、だからと言ってエルデンリングが失敗作だったと言いたいわけではありません
まず、ゲームとしては面白いのです。初見のときの面白さと2周目以降の面白さに大きな開きがあるだけで、初見プレイなら余裕で100時間くらい遊べます。
加えて、フロムゲーの正当進化作として歴代作に比べて圧倒的に多彩なアクションストレスフリーなゲームプレイが実現されているのもとても良かったです。

魔術や祈祷(歴代作での魔術・奇跡・神秘など)についても「そうそうこういうのがあったらカッコイイだろうなと思ってたんだよ!」と言いたくなるようなものが揃っていて、狙いすました一撃でボスを撃破したときは脳汁が出ます。

好きな魔術たち

ローレッタの絶技。一番のお気に入り

滅びの流星。見た目が好き
創星雨。実用性はともかく

というわけで、「エルデンリングここがいいよな~」という箇所もたくさんあるのです。単純に、馬での移動も今作から初めて実装された機能ですし。
ただ、前述したOFの部分のように実験的な要素・歴代作よりも挑戦した要素が多い。そのため全体的な「ゲーム体験としての面白さ」は割り引いて考えなければならない。

初見では間違いなく面白かった。しかし何度も周回して遊びたくなるゲームとしては、デモンズやブラボに一歩譲る。これが私個人のエルデンリングに対する最終的な印象です。

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