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【‘‘Past self ’’】

‘‘Past self’’という言葉は、直訳すると‘‘過去の自分’’という意味があります。

この瞬間、文章を記している自分、あるいは数日前、数ヶ月前、一年前にnoteに作品を書き記し投稿した自分、それらは全てがPast=‘‘過去’’の出来事であります。

今、振り返ると、私はこれまでに様々な記事を書き記し、物事の考え方や感情を作品として投影させて、読者の方に自分なりの言葉届けてきました。

考え方や感情をそのまま、形式的に文章に記していくということは難しく感じることが時々ありながらも、なんとか文章を書くことを続けられてきたことは誇りに思います。

言葉を声にのせて、思いを届ける方法も一つの表現方法であると思います。

ですが、私にとって後者の手段というのは、どうしても苦手意識なところがあったりします。

自分の思いを上手く伝えられる手段として、私は文章を記し思いを届けることが一番、合っているものだと気付けたのも、noteを書き始めてからしばらく経ってから、明確に感じるようになりました。

自分の思いを正確に、相手に伝えることは今尚、困難に近いものだと思っています。

言葉の汲み取り方により、相手にとっては幸せな気持ちになったり、不快な気持ちにさせてしまうこともあったりと、言葉を通して思いを伝え合うコミュニケーションというものは、想像以上に難しいものがあるのではないかと私自身は日々、実感しています。

言葉に秘めらたものによって、誰かを強く成長させたり、誰かを悲しませることさえもあります。

作品として記録してきたものは、いわば過去の私自身の投影体であるのではないかと私自身は考えています。

その時の思考や感情が言語化されたものは、私の中には今はありません。

ですが、記録され、形として残ったもの、それは紛れもない私自身であり、私が形として残したものが、色んな方々の目に触れてられてきたというのは事実であります。

作品から感じる解釈というものは、また人それぞれであり、表現方法さえも自由であることが言えます。

無知な自分が書き記してきた、これまでの作品から、何かしらのものが得られる方が一人でもいれば、私にとってはこの上ない幸せなことであり、これまで文章を書いてきて本当に良かったと本心から思えることだろうと思えます。

Past self=‘‘過去の自分’’を俯瞰した上で、私はこの先もひたすら文章を書いていくことを心に誓います。

書き続けていくということを踏まえ、人生における至上の価値というのは何だろうかと、感じることがあります。

至上の価値というのは、自分自身が価値のあるものに出会い、経験すること、それは全てのものを含むものだと思います。

私にとっての至上の価値とは、普遍的な日常の中にそれはあります。

本を読むこと、映画を観ること、音楽を聴くこと、カフェに行ってコーヒーを飲むこと、そして文章を記すこと、全てが至上の価値であることを実感しています。

過去の自分から、自分にとっての至上の価値を見つけること。

そこから、人はどこまでも成長ができ、変わることさえ出来るし、この先も大切なものを見失わず、強くあり続けていたいと思います。


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