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【‘‘読書術の枷’’】

知識や知性というものを体得する上で、本を読むという行為において、様々な読書術を駆使していかに効率的に情報を得られるかということを常に考えていたところが私にはありました。
技術論としての読書術は模倣性や即効性もあることはもちろん、プロセスに沿ったやり方と技術に磨きをかける為の時間さえかければ、ある程度の速さで本が読めますし、理解力や要約力さえも身に付けられるものだと考えてきました。
ですが、技術論としての読書術には大きな欠点というものがあり、精神論としての読書に向き合うことが出来ない面があることに気付かされることがありました。
読むことだけを念頭に置いて読書を進めても、本を読んで純粋に楽しめた時の喜びが失われてしまっていると私には感じることがあります。
書くことも同じで、読む立場側の人たちの気持ちに寄り添うことも大切ではありますが、あまりにも注意深く読者層に目を向けてしまうと、本当に書きたいものである言語の枷を自らがかけてしまうこととなり、書きたいものが書けないということが起こってしまうのではないかと考えられます。
目的を持った技術論としての読書術にはメリットもありますが、一方にデメリットも存在します。
読書術に縛られない、純粋な読み方、一字一句を追いながら、一文に込められた書き手の思いを感じるということ。
単純に思える読み方というものが、本を読むことの醍醐味でもあり、技術論や精神論としての考えも大切ではありますが、原点に戻ったあの頃の読書の楽しさや喜びを感じた読み方をもう一度、試して読んでみようかなと考えました。

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