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[日記]【‘‘My present self’’】

-【‘‘Past self’’】‘‘過去の自分’’による【‘‘My present self’’】‘‘現在の私’’への軌跡-

変遷を辿り、読むこと、書くこと、もしくはマスコミュニケーションによって、ここまで培われてきたものは確かに内在されている。
それは、過去から現在までの過程によるものであり、言葉は知へと、そして人との繋がりによって強固なものへとなっていく。
何故、人は本を読むのか、あるいは考え方を記すのか、感情を持って物事に向かうとき、必ず思考するのかということを複数の視点から見つめることがあります。
過去の自分へ向けて記した【‘‘Past self’’】は書くことの本質から飛躍的に書くこと以前の書き手に焦点を当てています。
メタ的視点をテーマとして以前、私が記した【‘‘Past self’’】は意図的に‘‘書き手’’の存在を明瞭化させ記したものです。↓

言葉の本質に迫ったものに関しては、いくつか挙げられるので、以下の記事も参照して頂けると幸いです。↓

以上のエッセイや言葉の論考、言葉を巡る作品、書くことにまつわるマガジン、そして私がこれまでに学び得たものとして自分なりの答えとしてまとめ上げた『知力を磨く』までを記した自分、つまりは【‘‘Past self’’】に該当するものであります。
そして、過去の私から‘‘現在の私’’へと視点を移すことが求められます。
現在の私というのは、英訳にすると【‘‘My present self’’】となります。
求められるべきものは、過去ではなく、今を生きている私。
つまりは、‘‘現在の私’’であります。
書くことの効用では、過去の自分を俯瞰して客観的な立場に立ち、気付きや学びが得られるものではありますが、効用についてはそれだけでは決してありません。
感情と思考を直結させているのは現在。
つまりは、現在の自分さえも客観視していることに裏付けられる。
過去の失敗は結果でありながら、反省点として現在の自分への判断材料として理想像としての自分に近付く為の一歩と考えてもいいものだと思えます。
ですが、過去の自分にすがりついたところで、あれこれと思考を巡り合わせることはあまり良いものだとは言えません。
書く効用は、現在進行形としての自分を写し出す鏡そのものだというのが私なりの答えでもあります。
【‘‘Past self’’】とは対照的な【‘‘My present self’’】には、書くことで誰しもが鏡を作り出し、鏡を通して人は様々な感情を抱きながら、考えるということを記してみたかったところがあります。
鏡に写し出された自分をコントロールするのは、友人や恋人、家族でもありません。
それは、自分自身しかいません。
鏡とは、現在を示し、誰しもが一人一人、自分を写す鏡を作り出すことから始めなければいけないというのが答えでもあります。
何故、書くことが求められるのかという答えはここまでの軌跡によるものだと実感しています。

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