『増え続ける不登校』どうなる学校?どうなる子ども?
『増え続ける不登校』どうなる学校?どうなる子ども?
熊本市教育委員会の長である遠藤さんを招いての
『一般社団法人 子どもの学びを支える熊本県民の会』さん主催のイベント。
昨日参加した会のタイトル↑ 感想を綴ります。
結論
こうするのがいいと思う
全体では:他業界に教育に参入してもらうように
皆んなで力を合わせて大暴れする
ディティールでは:個々の話(ストーリー)を共有する
▪️教育も子育ても人手不足すぎて無理ゲー
全体に関しては、もう『教育』を目印に集まる人間だけでは『足りない』ことを強く感じたからだ。これは『子育て』においても同じ。一昔前は老いも若いももっと子どもに関係を持っていた。学校教育に限らない。家庭教育でも社会教育でも人離れ、人の意識低下が著しい。日本の教育全般が低下している。子ども達の話ではない、教育を用意する側の意識の話だ。
▪️問題を大きくしよう
遠藤さんの言葉を借りるなら問題を大きくするという手法を選択する。『問題を大きくするために、教育に関心のある人が連携して大暴れする』(おい、暴れようとは言ってなかったぞ)。そうして他業界の大人の意識を改革していくのだ。そもそもすべての大人もこれから大人になる人も、関係無いわけなかろう。そこが見えなくなってしまっているのも問題だが、とりあえずぶん殴るかのように目覚めてもらおう。(過激だねえ)
▪️マイノリティにできること
遠藤さんの話を聞いて。最初に驚いたのが、自身がマイノリティの自覚を持って参加している上で、めっちゃマジョリティな視点に「こんなにも見えている景色が違うんだなぁ!」というもの。とりわけ数字の大小で語られていて、マイノリティの人は声を上げないと届かないよ、という助言もしていた。それは発達障害関連でもそうだと思っていること。多数派の人には少数派の気持ちは分からないのだ。今LGBTQが話題になっているのも、当事者が上げた声がキッカケになっているのは間違いなく。ある程度の火種をもってメラメラと炎上させる必要があると思う。みんなぼんやり生きているのだから、燃やす必要があるのだ。悲壮感なくポップな炎をあげたいものだ。燃やせ!殴れ!(過激だねえ)同時に、マジョリティの人は何するのかな、とも思った。それは想像ができない。マジョリティの立場になる経験はあまりない。ただ流行りにのってもらえばいいのかな。
▪️公教育の偏り感が否めない
偏った視点は公教育業界がよく指摘されていること。私も同じように感じていて、昨日の朝、言語化したところだ。一番謎に思っているのが、『無難』であればよくて、大きな成果を上げる必要もなく、集客の努力も、聞いてもらえるようなおもしろい話ができるようになる努力も、人として信頼を集める努力も、実力をメキメキつける必要も、コミュ力を上げる必要もないんだな、というところ。企業だったら上から怒鳴られたりクビになったりするよね、という人もそのままのクオリティで放置されているよね、と思って見ている。個人レベルで努力したい人は努力しているが、上は無関心な印象。私が上司ならこのままにはしない、という人は見てきた。他社の人ならば契約を切る、という形で学校から離れた感じ。良い校長先生もいるが、コロコロコロコロ入れ替わるので、それも良い仕組みには思えない。そんな短いプロジェクトを扱う会社ではないだろう。(会社じゃないんだよ〜)
▪️個人的謎なんだがどうでしょう?
遠藤さんにも、教育長って社長みたいなもんなんじゃ?社員の不出来にそんなリアクション?という謎を感じた。これは企業と比べるものではないのか?????「時代に即さず現状維持で変化しない公教育と、時代に即して変化しているフリースクールと、どちらを選ぶかじゃないですかね」という言葉にも、「え?時代に即して変化しない学校ってありなの????」と謎が深まった。伝統文化とは違うのだし。起業や企業をしている人たちにも感想を聞きたい。自分でビジネスをしている身としては、おったまげる価値観なのだが。ディスっているわけではない。ただ驚いたし、でも「時代の流れを気にしない現状維持はヤバくない??!!?」とも強く思った。どう?
▪️そして人で不足の話に戻る。見て見ぬ振りはナシで
マイノリティの視点が少数なのも分かったし、そこに教育委員会の偏った視点が合わさったところでこりゃダメだわパーツが足りない、と思った。視点も頭も動ける人間も心もあらゆるものが足りない。みんなが実は分かっていると信じたいが、日本の教育はヤバイんだよ。むしろ企業家だの学者だの何かに真剣に取り組んでいる人なら分かっているはず。真剣に考えて深掘りすれば、大概が『教育』に根が繋がっていることに気づく。おい、埋めんな!掘り当てたら、気づいたなら参入しろって!!!!儲からないからじゃねえ!!皆んなに関係する未来と今の話だ!!!!(過激だねえ)こんな感じの延長で暴れたらいいのかね?なんて、実際には火種を広げるその道のプロにお金払ってプロジェクトにするのが良いと思う。どんな職種の人?わかる人教えて協力して参入して。
▪️傷のストーリーの共有
『不登校』というキーワードを出す上で決して目を反らせないのが『傷』だ。傷ついた人が、傷ついた子どもがいる。フリースクールやオルタナティブスクールなどに通う子は2種類いて、最初から選択してきた子と、不登校を経験した子だ。不登校を経験した子の多くは傷ついている。うちの子も同じ。その傷をフリースクールなどで癒すことは多いのだが、その様を多くの人に知って欲しい。私は2度、鬱病の人を預かり回復過程を見てきたのだが、概ねの表れと回復過程は同じだった。しかし私という『親』が観測者であったのが良くなかったのか、我が子の回復には鬱病以上の時間がかかった。年齢にもよるのかもしれない。幼いほど、奪われた、あるいは失われた安心感は傷を大きくつけるのかもしれない。現場にいる人はその傷と苦しみと大人の責任を目の当たりにする。全員、見ろ。大人が作った社会で、子ども達に起きていることだ。ところが何を見てもらったらいいのだろう。それだ、それを作らなければ。
▪️傷の話からの、ディティールの話
私は昨日珍しく空気を読んでいた。「あれ?フリースクール関係者の方が多い?遠藤さんアウェイ感あり?」という空気感で、教育機関で傷を負った人は教育機関を良く思ってはいないことが多いだろうと私が思っているからだ。そこを無いものとして話は進められないかな。これは大事なポイント。ディティールの部分の話。逆に、教育機関側にも傷はあると思うし、傷のあるもの皆んなそのストーリーはシェアするのが良いと思っている。分かってもらうのではなく、知ってもらうのだ。分かってもらおうとか、話し合って答えを一つにしようとか、要らない。邪魔だ。ナンセンスだ。話し合うな!しかしアウェイ感がある中で、遠藤さんはよく頑張っていたなぁと思う。しかも長時間。最後になぜ時間が必要かも理解してくれて嬉しかった。終始分かりやすく紳士的に丁寧にお話ししてくれた。私には謎な発言もあったが、そこは対局くらいの感性かもしれないのでそういうものだろう。興味深い視点と意見でいろいろ参考になった。思わず似顔絵を描いた。
▪️まとめ
遠藤さんも、主催の皆さんも参加者さんも、皆お話しをシェアしてくれてありがとう。興味はいつまでも尽きないけど時間と体力には限界があり、皆忙しい中でどのように火種を作ったりストーリーをシェアしていったりできるのか。常に話の着地点は「で、私は何をする?」なので、私にできる事を考える。私にできそうなのはストーリーを聞いて漫画をコツコツ作る事、シェアする事。火種がついたら煽る一員となること。こうして時折文章にもして煽ったりふざけたりシェアしたりすること。何より常に意識を向けて、心と頭を揺らし続けることだと思う。
どうぞ、参入してくださいやがれ!だよ。お前ら。全員。分かったらまずは『一般社団法人 子どもの学びを支える熊本県民の会』にご入会いただくか、このnoteをフォローして、自身の「で、私は何をする?」を見つける手がかりにしてください。
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