見出し画像

連載小説「思い出の後始末」#59竹林に迷う


第59話 竹林に迷う


 漁港の運営に関して漁協の顔役の年寄りたちの手から主導権を取り戻そうとする若者たちの試みは、やはりそう簡単ではなさそうだ。というより、予想された通り、暗礁に乗り上げていると言った方がいかも知れない。僕も相談を受けた立場として、頭を悩ませている。
 いくつかの港を束ねている漁協本体に関して言えば、役員たる理事は選挙で選ばれているので、組合員の意思が整えば役員構成を変えることは可能だ。
 しかし、今問題にしているのは、この地区の漁港運営を実質取り仕切っている漁協の下部組織で、そこには選挙という制度がない。その役員は漁協から委託を受けている形になっている。
 つまり、選挙を通じて役員の交代を画策するということができない状態なのだ。民主的な制度に則ってない体制を変えるのは難しい。上部組織からの命令でもない限り、現体制が自主的に改革をするとは思えない。
 そこで、亮二くんたちと相談をして、漁協のトップである代表理事の組合長宛に嘆願書を出した。下部組織にも民主的な選挙制度の導入を求めたものだった。要望としては実に真っ当なものに思えた。
 しかし、期待していた理事会からの返答は、内部でよく話し合うようにというものだった。長い間続いている慣習を変えたくない、末端の揉め事に関わりたくない、という考えが見え透いていた。いじめを担任の先生に相談したら、当事者同士で解決するように仕向けられたのに似ている。
 肩透かしを食らった感じで、次の一手も浮かばず、改革派内部からは、亮二くんたち若手が漁協の理事になるのを気長に待つしかないなどという脱力した意見も出てきた。
 こうなったら直接老人たちと対決するしかないのではと僕も思い始めた時に、顔役たちの動静に関して意外な話を耳にした。
 僕が市場の二階の休憩室に訪ねていくと、そこの応接セットに、亮二くんともうひとり、顔に何となく見覚えのある若者が腰掛けていた。
「早瀬さん、この人のこと覚えてます?」
 亮二くんに言われてその若者の顔を改めて見てみると、何となく思い当たるふしがあった。
「ひょっとして、野菜を納めるお願いをしに行った時の?」
「ええ、そうです。うちのレストランでお会いしました。確かそちらは女性の方がご一緒でしたよね」
 完全に記憶が戻った。亮二くんの紹介を受けて地野菜の営業に行って、断られた相手だ。確かおやじさんが了解をしてくれなかったとかで、同行したあずみが、「あなたが決めればいいじゃない」と無茶を言って食い下がったのを懐かしく思い出した。
「そうでしたね。ご無沙汰してます。響さん、ですよね。亮二くんの先輩の」
「はい。その節は、せっかく来ていただいたのに、すみませんでした」
 そこで亮二くんが話を引き取って、本題に移るよう響くんを促した。
 実はと、響くんは自分のレストランで目撃した出来事を話し始めた。
 少し前に、響くんのおやじさんのところに、漁港の顔役の年寄りが訪ねて来た。若い漁師が来ることはあっても、年寄り連中が来ることはほとんどなかったので、意外に思ってよく覚えていたとのことだった。その年寄りは、料理も注文せずにおやじさんと何やら話し込んでいた。
 そして別な日に、今度は会長がその年寄りと一緒にやってきたので、響くんも何事かと怪しんで様子を伺っていた。その日もやはり、おやじさんと暫く話をして帰っていった。
「何だか怪し気ですよね。うちのおやじも何で漁港のじいさん達とつるんでいるのか、とにかく怪しいですよ」
 三人の話の内容までは聞き取れなかったが、かなり真剣で言い合うような場面もあったらしい。
 その後、何度か集まる機会があり、最後の方には、その三人にこのあたりでは見かけない老人がひとり加わり、四人掛けのテーブルで頭をつけ合わせて話していた、とのことだった。
「ねえ、早瀬さん。先輩の話、怪しいでしょ。何なんすかね」
 亮二くんの言葉通り、怪しさしか感じられないような話だった。
「ひょっとしたら、オレたちの動きを知って、年寄りたちが対策でも練ってるとか」
「だけど、うちのおやじは関係がないだろう」
 確かにレストランのオーナーシェフがその面子に加わっているのは不思議だった。
「でも、やっぱりそれしかないっすよ。うちの漁港の顔役が二人そろって話し込んでるんだから。もうひとり知らない顔というのは、漁連の役員とかね。オレたちが本気なのを感じ取って、きっと焦ってるんだな。ねえ、早瀬さん。つるし上げるチャンスでしょ」
 年寄り連中がレストランで集まって話をしていたという情報だけでは、亮二くんの意見を鵜呑みにするわけにはいかないが、漁協の理事会の斡旋で若い漁師たちと意見交換をせざるを得なくなった会長以下の年寄りが、揺るぎないはずの自分たちの地位が脅かされるような事態になるのを恐れているということはあり得る。
 そこに付け入るスキがあるのではないだろうか。
 今の地位に固執するだろう顔役たちの論理の矛盾を突ければ、譲歩を引き出せるかも知れない。誰かが地位にしがみつくことで、何が犠牲にされるのか? ポイントはそこにありそうだ。
 別れ際に響くんがふとこぼした言葉が耳に残った。
「いまだに腑に落ちないんですよね。早瀬さんから野菜を仕入れられなかったことが。地野菜でうちのレストランの看板にもなるのに、おやじが強硬に反対して……。なぜ、あんなにムキになって反対したのかなあ」
 その話しぶりからすると、野菜が問題だったのではなく、僕から仕入れることがまずかったのだと聞こえるが、響くんのおやじさんと僕との繋がりに思い至るふしはなかった。
 手詰まり感からの反動だろうか、顔役たちも動揺しているのだと見込んだ亮二くんは、早速若い漁師たちを集め、対決の場に向けて檄を飛ばした。それは沈みがちな皆の気持ちを鼓舞するというより、敵愾心を煽る扇動に近いものだった。
 こんな状態で、果たして冷静な話し合いができるのだろうか。話し合いの場が野次で紛糾し、まともな議論にならないような事態になれば、逆に現体制を利する結果となる。それを僕は危惧した。こんなに感情的になってしまう奴らに港の運営を任せて大丈夫だろうかと、皆がそう思うに違いない。
 もし、僕が亮二くんたち改革派メンバーから何らかの役割を期待されているとしたら、せめて自分だけでも冷静さを失わないようにして、論理的に相手を追い詰めていけるような道筋を作っておかなければならないと思った。
 僕はおかみさん連中を束ねているヒサさんと相談することで、暴走しかねない若者たちの抑止力になってもらおうとした。
「本当に、瞬間湯沸かし器みたいな連中だからね。しっかり手綱を引かなくちゃいけないわよね」
 ヒサさんは、我が子ながらと苦笑いしながら僕の危惧に賛同してくれた。
「うちの旦那が生きていればね……」
 ヒサさんの旦那さんは、過去にこの町を襲い多くの人命を奪った嵐の中で亡くなった。もし生きていれば、今の漁港運営の中心になるはずの年代だ。若者の暴走を抑え、年寄りたちに意見することもできたのではないだろうか。
「ねえ、早瀬さん」ヒサさんが一瞬声を低くした。
「早瀬さん、会長にあってみる気、ない?」
「会長にですか? 僕が?」
「そう。内密に。大事にならないように、うまく調整できないかな。早瀬さんなら、中立的な第三者という名目で話ができるでしょ。会長の腹の内も探れるしね」
 ヒサさんの突然の提案に驚かされたが、顔役たちとの話し合いを紛糾させないでうまく運ぶには、僕が間に入って歩み寄りの余地を探っておくことは悪い策ではない。
 全く妥協する気のない両者の間に入っても、「調整」どころか互いの機嫌を損ねてお終いということになりそうだが、少なくとも会長の考えていることの一端はつかめるかも知れない。
 僕はヒサさんと提案を受けて、面談の段取りをつけてもらうことにした。
 実を言えば、これほどまでに皆から煙たがられている会長とは、いったいどんな人間なのか話をしてみたい、という興味本位な一面もあった。
 市場を実際に動かしているおかみさん連中を束ねているヒサさんはやはりそれなりの力を持っているのだろう。予想外のスピードで会長の了解を取り付けてきた。勝手に一週間ほどの余裕を見込んでいた僕は慌てた。
 面談場所は、会長の自宅。敵の本拠地に招かれたというわけだ。
 何の事前準備もできないまま、僕はピックアップトラックを運転して会長の家に向かった。
 海沿いの県道を繁華街方面に走っていくその途中の高台に会長の家はある。県道を外れ、つづら折りの坂道をシフトダウンさせながら登っていくと、武家屋敷のような漆喰壁が小径沿いに延々と続いている大邸宅に突き当たった。
 間口の広い門は背の高い石積みで、ざっと見る限り海龍善寺より立派な門構えだった。僕は車を門脇の空地に停めると、権威の象徴のような屋敷の敷地に足を踏み入れた。
 敷地の奥に竹藪と言いうより、庭木のような見事な竹林が広がっているが、それが塀の内なのか外なのかは分からなかった。和風建築物の見本のような母屋とよく手入れの行き届いた枯山水の庭園を見ただけでも、ここは入館料が必要なのかとふと勘違いするほどの壮麗さだった。
 ここまで別世界になると、気後れを通り越して、冷静に建物や庭の維持費を想像しながら、他人の懐具合を心配する余裕もできた。
 玄関の四枚引き戸は両側に引き開けられていた。とはいっても中が見通せるわけではなく、上がり框の先には障子戸があってそれは閉められていた。
 少しためらいながらも、中に向かって声をかけると、思いのほか早くしかも女性の柔らかい声で「いま伺います」という返事が聞こえた。
「お待ちしておりました。早瀬様ですね」
 内障子を開けて現れたのは和服を着た小柄な女性で、雰囲気的には海龍善寺の珠与さんを思わせたが、もう少し明るくて柔らかな印象を受けた。お手伝いさんだろうか。
 僕が挨拶を返すと、その人は「主人が中で待っておりますので」と僕に上がるように勧めた。「主人が」ということは、この家の奥様だったのか。
「すみません」
 お手伝いさんと勘違いしたことを恥ずかしく思いながら、僕は靴を脱いで、家に上がった。履き古された自分のデッキシューズに目を落としながら、もう少しまともな服装をしてくればよかったと後悔をした。
 開けた障子の中は前室のような広間になっており、正面と左側にそれぞれ部屋があるようだった。奥さんが左側の障子を開けると床の間のついた座敷があらわれた。恐らく応接間なのだろう。畳の上に緋色の敷物が敷かれていて、応接セットが置かれていた。
 ガラス戸からは見事な庭園を眺めることができた。
 誰もいない応接間で、ソファーに深めに腰掛け、部屋と外の輝きのギャップに目を細めながら景色を眺めていると、高級旅館にでも来た気分になって、一時現実を忘れそうになった。
 ガタッと障子を雑に開ける音が静かな部屋に響いた。
 奥さんがお茶でも持ってきたのかなと訝りながら、出入り口の方に目を向けた瞬間、僕は思わず立ち上がっていた。
 目の前に不機嫌そうな顔をした会長がいた。
「他人の家で、よく寛げたもんだな。偉そうに」
 最悪の出だしとなった。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?