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連載小説「思い出の後始末」#47語り始めた肖像


第47話 語り始めた肖像


 何かがおかしい。
 そういう素振りさえなかったのに、いきなり女性の方から告白をしてくるなどということが、現実の世界で起こるわけがない。きっと、どこかに落とし穴があるに違いない。
 冷静になって考えてみると、美羽音の「好きだ」という告白はまるで事前に準備した選手宣誓のように聞こえたし、あずみの唐突なライバル宣言もどうもわざとらしく、ラブコメディーの下手なお芝居でも見せられているようだった。
 僕はきっと、からかわれたのだ。
 何の目的でそんなことをするのか全く不明だが、本気で動揺してしまった自分が情けない。
 受験生のカップルじゃあるまいし、結果が出るまで距離を置きましょうなどと不自然な言葉を聞かされた時点で、僕が突っ込みを入れて皆で笑うという流れだったのではないだろうか。
 僕が余りにも真剣な顔で悩みだしたので、笑いの仕掛けの回収ができなくなってしまったのだろう。
 それが冗談であった証拠に、告白以来何の進展もない。
 他人行儀でいくと言いながら、美羽音は相変わらずタメ口で普通に話しかけてくるし、あずみも以前と変わらぬマイウエイな日々を送っている。
 距離を置くという意味では、あずみはこれまで通り僕との間を「付かず離れず」でやり過ごしているようだ。ところが、このところ、それが行き過ぎではないかと思うような状態になってきた。口を利かない日が続き、屋根裏部屋から一日中降りてこない日さえある。
 心配になって部屋をのぞきに行くと、挿絵の締め切りに追われて机にかじりついているという訳ではなく、部屋の真ん中に置かれた椅子の上に座って、ぼんやりとしているようであった。
 元々あずみは精神的に不安定なところがあって、本人が言うには、気分が天までスカッと突き抜けたり、視界ゼロの泥沼の中を泳いだりということが、交互に波のように押し寄せてくるらしい。
 ひょっとしたら、何かが引き金となって自分の中に引き籠った状態になってしまったのではないだろうか。過去にも、それに近いことがあった。
 僕は心配になって、看護師としての美羽音に来てもらうことにした。場合によっては医者を紹介してもらう必要があるかも知れない。
「あずみちゃん、どうしてる?」
 すぐに駆け付けてきてくれた美羽音は、部屋に顔を出すなり、あずみの様子を聞いてきた。
「相変わらずだ」
 僕は屋根裏部屋を指さし、部屋に籠っている状況を説明した。
「僕が行っても、口をきこうとしない」
 あずみの精神的な弱さについて説明すると、美羽音は顔を曇らせ、何か心当たりになるような変わったことはなかったかと僕に尋ねた。
 すでにさんざん考えていたが、きっかけとなりそうな出来事に心当たりはなかった。変わった出来事といえば、あずみと一緒にまりえの両親の家を訪ねた時、偶然にも奥さんがこの家の持ち主の庄司さんだと知って驚いたということぐらいだが、そのことはすでに美羽音には話してあった。伝えてないとすれば、簪(かんざし)のことぐらいか。
「遺品の簪がね」
「簪?」
 すでに医療従事者の顔になっている美羽音に、科学的に根拠のない話をするのは躊躇われた。あずみが肌身離さず持ち歩いている簪に、他人の悪い念のようなものが籠っているのではないかという話しをすれば、冗談でしょとひと言で切り捨てられるに決まっている
 急に口をつぐんだ僕に不審な目を向けると、美羽音は本人と話してみると言って屋根裏部屋に上がっていった。
 あずみはやはり、天窓の下に置かれた椅子に座っていた。
 美羽音は無言で作業机の椅子を持ち出すと、あずみを真横から見る位置に椅子を置いて、そこに腰かけた。すぐに話しかけるようなことはせずに、静かにあずみを見守っている。
 僕なら正面から話しかけてしまうだろう。「どうしたんだ」と。それでは相手は問い詰められていると感じてしまうかも知れない。
 あずみが少し頭を美羽音の方に傾けた。美羽音の体から発せられる音を聞き取ろうとしているかのようだった。
「私は、ここにいるから、安心して」
 美羽音は言葉を区切りながら、ゆっくりと話しかけた。
「あなたのことは、知っているわ」
 正面を向いたまま、あずみが口を開いた。少し酔ったような呂律の怪しい話し方だった。
「うん。私も」
「さあ、どうかしら。あなたは、私のことを知らないはずよ」
 知らないはず? あずみは横にいるのが美羽音であることを認識できていないのだろうか。謎かけのような会話になっているが、美羽音は無理に話を引き出そうとはしなかった。
「あなたが、ここに来るのを待っていたのよ。だって、あなたは私と同じだから。寂しいのよね」
 あずみがこちらに顔を向けた。うっすらと笑みを浮かべているその顔は間違いなくあずみのものだったが、しいて探すならば、目の辺りに違和感があった。
「さあ、こちらに来なさい」
 思わず体が引き寄せられるような、包容力に満ちた優しい声だった。
 これは、あずみの声のように聞こえない。どうしたというのだ?
 美羽音は僕の動きを目で制すると、誘いに乗るように椅子から立ち上がり、相手の傍らで腰を落とした。
 あずみが美羽音の体をいきなり抱きしめた。
「寂しかったでしょう。ずっと、ひとりで。私には、わかるのよ」
 抱きしめられた美羽音が腕の中で一瞬体を固くしたが、戸惑いながらも手を相手の背中に回して、しっかりと抱き返した。
「あずみちゃん。聞こえる?」
 美羽音が耳元でそうささやきながら、相手の背中をゆっくりとさすり始めた。
「ねえ、あなた。寂しかったんでしょ。そうでしょ」
「あずみちゃん。大丈夫よ。私がいるから、大丈夫」
 美羽音が背中をさすり続ける。
「寂しくて……」
「あずみちゃん?」
「さみしく……」
 あずみの両手がだらりと落ちた。
 美羽音が力の抜けたあずみの体を元に戻し、椅子に寄り掛からせた。
「あずみは大丈夫なのか?」
 美羽音はあずみから離れると、大きく息を吐いた。
「あずみちゃん、変性意識状態だったね。うちの病棟でも見たことがあるよ。簡単に言えば、トランス状態。早瀬向きに分かりやすく言えばさ、憑依ってとこだな」
 いつもの美羽音の口調に戻って、ほっとした。
 憑依か……。確かに表現としては分かりやすいが、理論的ではない。それにしても、いったい何が憑依したというのだろう。
「おい、涙」
 美羽音の目尻に涙が浮いているのに気がついた。
「え?」美羽音が慌てて涙を拭った。言われるまで気づかなかったようだ。
 美羽音は涙について何も語らず、少し肩を竦めただけで、作業机の上のスケッチブックに手を伸ばすと、パラパラとめくり始めた。
「この絵は?」
 開かれたページに、ポートレートのような女性の顔が軽いタッチで描かれていた。
「誰なの?」
 絵を見てすぐにわかった。庄司さんが見せてくれた写真に写っていた女性の顔だった。あずみと二人で庄司さんと会った時に、簪を手にした女性の写真を見せてもらったが、あずみはその写真の顔を記憶していたのだ。
「庄司さんってわかるだろ。まりえちゃんのお母さん。その人の……。あ、確か、大叔母にあたる人だ」
「大叔母って、おばあちゃんの姉妹ってことだよね。どうして、その人の絵を?」
 やはり簪のことを話さないと、先に進めない。
 海龍善寺の珠与さんから頼まれた簪の持ち主探し。今思えば、それに誠意をもって対応してきたとは言えない。簪を預かることさえしなかった。
 なのに、それが知らない間にあずみの手に渡ったり、庄司さんとの出会いから由来が分かりそうになったりした。簪が「私を忘れないで」と付きまとってきてるようで、やはり念のようなものを想像してしまう。
 人が怨念などという言葉を持ち出したら、僕はきっと非現実的だと一蹴するだろう。なのに、自分の中では理論的に説明のつかない感覚にその言葉を当てて納得しようとしているという矛盾。
「なあ、早瀬。なんで、それを早く言わないんだよ」
 簪の話をひと通り聞いた美羽音が僕を睨みつけた。
「他人の遺品だろ。そんなもの、早く返せよ。ていうか、庄司さんに渡してしまえばいいじゃん」
 庄司さんからは、簪がうちのものだとはっきりするまでは預かっておいてほしいと言われている。美羽音の意見に従うとすれば、お寺さんに返すしかない。
「あずみちゃんは、神経が超繊細だから、感じ取っちゃうんだよ。例えば、この人の思いとかさ。そういうことってあるんだよ」
 美羽音がスケッチブックのページを戻す方へ捲った。
「同じ人かな?」
 それも女性の顔だった。ラフ画のような荒い線で大まかに描かれているが、特徴はよく捉えている。間違いなく、庄司さんの写真の女性だ。
 いや、違う。
 一瞬違和感を覚え、僕はそのページを食い入るように見つめた。この絵は、お寺さんにあずみを迎えに行ったときに目にした絵だ。確かにそうだ。となると……。
 日にちが違う。どういうことだろうか。
 僕は混乱した。
 このラフスケッチを見たのは、庄司さんに写真を見せてもらう、それよりもずっと前のことじゃないか。え?
「やっぱり、あずみちゃんは絵が上手いな。ざっくり描いてんのに、完成品のイメージばっちりだよね。下書きとは思えないや」
 美羽音がのんびりしたことを言っている。
「いや、それは違うんだ」
「違うってなんだよ。肖像画の下書きだろ?」
「そうじゃない、違う絵なんだ」
「早瀬、何言ってんだよ。同じだって」
「違うんだよ。それを描いたずっと後に、あずみは初めて写真の顔を見てるんだ」
「ちょっと待って。それじゃあ、想像で書いたら、顔の特徴がたまたま一緒だったってこと? でも、こんなに似ることって……」
 僕と美羽音は精巧なだまし絵でも見せられているような不安定な感覚に眩暈を感じながら、二枚の肖像画を見比べた。
 目に特徴がある。
 優しそうで、それでいて愁いを感じさせるような、寂しい目。ラフスケッチからも、空虚な悲しみのようなものが伝わってくる。
 写真のイメージはどうだったろうか。目元まではよく思い出せないが、あまり表情がなかったのを覚えている。
「二人とも、なにやっているんですかあ」
 突然の声に、僕も美羽音も悲鳴を飲み込んでしまうほど驚いた。美羽音が反射的にスケッチブックを閉じた。
 振り向くと、すぐ後ろにあずみが突っ立っていた。
「私、寝てましたかね」
 声はいつものあずみに戻っているが、寝起きのような、酒酔いが続いているような、焦点のぼやけた目をしていた。
 僕は机の上のスケッチブックに視線を落とした。
 二枚の絵に共通する目の特徴が分かった。そう、焦点の不確かな目。それが見るものを不安にさせていたのだ。






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