見出し画像

不妊治療から妊娠、そして稽留流産。「おでむかえ」という言葉が意味していたこと

7月頭のある日。
「お腹の胎芽の心拍が聞こえません。数日前から成長が止まっていますね。」
医師はずいぶん長い時間、エコーで確認をしたうえで、私へそう告げた。

それは、端的な事実の共有だけども、見守っているという温度感がある、穏やかな声だった。そのいつもと同じ穏やかさにほっとすると同時に。
私は友人たちからきいた「おでむかえだよー」の言葉を瞬間的に思い出した。

その瞬間こそが、私の人生の潮目だった。

不妊治療2年目、移植4回目での妊娠

結婚7年目の35歳にして、私たち夫婦は、不妊治療(体外受精)に踏み切る意思決定をした。
状況(転職して1年弱、小さくともプロジェクトを完遂し、実績を作った)と、気持ちが両方そろったのがこの年齢だったのだ。

もちろん、35歳という年齢は、高齢出産にあたる年齢。
決して早くはない状況だとは自認していたので。
以下の「いつまで産める?わたしの赤ちゃん」にあるとおり、妊娠率が下がり始める30代後半が集中した仕掛け時だと判断。
仕事と並走したうえで、貯金と体力を優先投資することにした。

まさに、「迎え撃つ」準備をしたのである。

そして、ある程度「迎え撃つ」ことはできた。

「迎え撃つ」が特にきつかったのは、妊娠判定日に「妊娠兆候は見られませんね」と診察室で言われた後。
翌日には、仕事がやってくる。自分の気持ちがフラットでない状態では、ファシリテーションの仕事は務まらない。

だから身体と気持ちを立て直すために、「妊娠していないという結果を見てひとしきり泣く→当日中に池袋東武のトリトンの寿司とかのうまいものを夫婦で食う→無理やりにでも回復!」というルーティーンを作った。
この迎え撃ちルーティーンは、3回回った。(=3回の移植をして、3回妊娠しなかった。)

3回妊娠しない状況は一般的に「着床不全」といわれる。
3回目のルーティーンの後には、原因を調べる検査をして、「着床不全」を迎え撃った。
結果、なんとポリープ発見。(ポリープは着床を邪魔すると共に、重い生理痛の一因ともなる。)そしてポリープ切除手術を2018年年末に受けて、さらに手術で見つかった子宮内膜炎を春に治療し完治させた。

そうして迎えた4回目の移植。
ようやく、陽性判定を見ることができた。

↑妊娠判定をした際に、エコー写真を入れるために不妊治療の専門病院でいただいたファイル。中には数枚のエコー写真が入っている。

妊娠判定をもらえたら喜べると思っていた。
でも、全然喜べなかった。不安でしかなかった。

胎嚢(赤ちゃんが入っている袋)の「現実サイズの数字」と、移植週数から算出される「理想サイズの数値」が、ずれはじめていたのである。
そして、そのずれは、日を増すごとにどんどん大きくなっていった。

日ごとに増す、流産の不安

妊娠6週、流産の不安が増える時期と重なって、つわりもはじまった。
嗅覚に敏感になり、ファブリーズのにおいや猫のトイレのにおいなど、ダメなものが少しずつ増えていった。

流産の不安と、つわりで、夜もあまり眠れなくなった。
つわりで吐き気が襲ってくる中、夜な夜なトイレで読みはじめたのが、哲学科・鈴木大拙氏の「禅学入門」である。

「おでむかえ」とは何か

鈴木大拙氏の本を手に取ったのは、友人たちからの言葉がきっかけだった。

(少し時期はさかのぼって)4回目の移植手術直前に友人たちとだべっていた時に、私が不妊治療についてや未来への不安、及びその不安への対処(迎え撃ち)について長々と吐露したところ、こう友人たちから言われたのである。

「迎え撃ちじゃなくて、『おでむかえ』すればいいんじゃない?」
「そうそう、『おでむかえ』だよー!

???「おでむかえ」??「おでむかえ」is 何??

ぜんっっぜん意味がわからなかった。おでむかえ??何を出迎えるの?てか何を言っているんだこの人たちは。
でも、信頼している友人が、二人で言葉をそろえて言っているのだ。

ほんとに全然意味が分からなかったので、友人たちの言葉をじっくりきいてみたところ。以下のことがわかった。

▼「おでむかえ」とは何か

・「おでむかえ」とは「先が見えない、理不尽な世の中、どんなに尽力しても、予想できないこともおこる。そうしたことを受け入れる。」ということ

・その考え方は禅の考え方だ

・禅を読み解くヒントとしては鈴木大拙氏の著作がおすすめだ

…わかるような、わからないような。

さて、時間をつわりで眠れない夜に戻す。
つわりで眠れない夜は、ただただ気持ち悪さと不安が無限に広がっていく、身体と心ともにしんどい時間だった。
その「流産したらどうしよう」「流産したらどうなってしまうんだろう」「どうか育ってほしい」という不安な感情の広がりにのまれると、身体の具合の悪さも相まって、自分を見失いかねない。

そんなとき、私はふと「おでむかえ」の言葉と本を思い出して、広がりに自分をのまれないように「禅学入門」を読みだしたのだった。
ここでは、気になった数節をあげる。


「ここには生も死もない」

「生と死とはもはや吾々を苦しめない。そうした二元性はどこにもないからである。我々は死を通してさえもなお生きることができる」

「生きているままの生命の中心事実にこそ禅の掴もうとするところのものである。」

「自己を試みよ、しかして他人を通じてそれを求むるなかれ。汝の心はすべての形態を超絶するものであり、煩いのないものであり、静寂であり、また充足している、永久に汝の六感官と四第に印せられてある。」

「禅学入門」 鈴木大拙

……正直にいうと。
読んでみたら、「禅学入門」は、入門っていってるくせに難解で。
「意味わからねえ!」と心の中で叫びながら読んでいた(そしてそのまま、何回か寝落ちした。)

まあそうして。いく晩も、鈴木大拙氏の本を、(読めるとこだけ、本当に漠然と)読解した結果。

・事象を「生と死」「成功と不成功」というような二項対立でとらえるのではないよ
・事象に対して、心を煩わせることなく、そのままの状態を受け入れよう。(この本を読んでいる)あなたには、きっとその力がある

ということが要点だったのではないかと(勝手に)受け取ったのである。

流産の不安で感情の波に流されそうな私をとどめてくれたのは、まぎれもなく友人たちの「おでむかえ」という言葉と、スマホに入った鈴木大拙氏の本だった。

もちろん、その時点では、「頭でわかってた」状態だったのだけど。

身体で「おでむかえ」が「わかる」

妊娠8週になると、赤ちゃんの心拍が微弱ながら確認できるようになり、少しだけほっとしたのもつかのま。つわりは一段と酷くなった。
たかだか15分程度の電車に立って乗ることさえもつらかった。
やむを得ずマタニティマークを付け始めた、数日後の診察。

赤ちゃんの心拍がないことがわかり、「稽留流産」という診断が下った。
「流産したらどうしよう」が現実として、おきてしまったのだ。

その瞬間、思い出したのは。
冒頭でも書いた「おでむかえ」の言葉だった。

ーーー赤ちゃんは亡くなった。
でも、そこにいたんだ。
そこにいてくれたことで、こうしてままならないことを受け入れるということを、私に全力で教えてくれた。

そして、私は、生きている。
だから、私は、生きよう。ーーー

それは理不尽だし、努力だけでは決してどうにもならないことだ。
でもそのままらななさの中で「生きよう」と自然に思えたその瞬間こそが、身体で「おでむかえ」を「わかった」瞬間だった。

生きるということ

稽留流産の手術後は、泥のように眠り、翌日昼過ぎに目が覚めた。
いい天気だった。
術後の腹痛は薬でそこそこおさまっていたことと、手術のために風呂に入れずベタついた髪をさっぱりさせたかったため、ふらっと近所に髪を切りに行くことにした。

髪を切ったら、なんだか頭が軽くなった。
そしたらふとコーヒーを飲みたくなって、その足で、近所の喫茶店へ向かった。(妊娠中にはコーヒーはNGだったのだ)

その喫茶店は、コーヒーを飲むコーヒーカップを、棚の中から自分で選ぶことができる。

どれにしようか。
どんなカップで、私は飲みたい?
私は、今、どういうカップで今の時間を感じたいのだろう。

手に取ったのは、木でできた、黒くてやさしい口当たりの、たっぷりコーヒーが入るカップだった。

このカップで飲むコーヒーも、おまけとして食後についてくるコーヒーゼリーも、とびきりおいしかった。
五感をフルにして、コーヒーを味わう時間そのものをふとメタ視点で感じて、「ああ、生きているなあ、私」と思った。

そして、生きている勢いそのままに、自分の思考を描きたくなって、ペンを持った。

理不尽で、ままならない世の中で、どうやって、これからの自分が生きていきたいか。
夕日が差す喫茶店で、私はコーヒーを飲みながら、ただただ無心に描いていた。


-----------------

ふりかえると、ここが私の潮目で、「おでむかえ」を身体で捉えたことで、仕事への覚悟も随分変わってきたように思います。

課題解決から、価値創出へ。
ままならないものを受けとめて、自分が描いたものを実現するということ。

稽留流産という事象はほんとうにままならない、悲しい状況ではあったけど。
同時に私はまわりにたくさんのつながりがあることもあらためて身体・心ともに感じられた時間でした。

夫。家族。友人。そして会社のチームのみんな。バンドのみんな。
ただただ普通に(普通に見えるように尽力してくれたはずだ)そばにいて、心をくだいて、そして時に大事なことを担ってくれた大事な人たち。
本当に、ありがとうございました。
心から、2019年の精いっぱいのお礼を申し上げます。

PS:もし私と直接面識がある方で、この記事読んで私に会う時間があってなんと声をかけていいか戸惑ったら「おつかれー!」とでも声をかけてください!
(もしご心配かけてしまってごめんなさい!本人、事象も気持ちもうけとめて、生きて立っているので、どうか過分な心配をせずにいてもらえると嬉しいです!)




サポートでいただいた費用は、私と我が家の猫さまのfika代(おやつ代)にあてさせていただきます! /ᐠ。ꞈ。ᐟ✿\ < ニャー ちゅーるが好きだニャー