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294:黒部の太陽(立山登山記①)

登山愛好家の憧れの北アルプス、立山に登りに行った時の話。

立山とは富山・長野を貫く3000メートル級の連なる山々を指す総称で、一般的に雄山、大汝山、富士ノ折立を指して「立山三山」と呼ぶ。

2年前に登山を始めてから行ってみたいと思っていたので、今年初めて挑戦した。東京から行こうとすると、とにかく遠いので時間が掛かる。

新宿から『高速バス』で信濃大町
信濃大町から『路線バス』で扇沢、
扇沢から『電気バス』で黒部ダム、
黒部ダムから『徒歩』で黒部湖、
黒部湖から『ケーブルカー』で黒部平、
黒部平から『ロープウェイ』で大観峰、
大観峰から『トロリーバス』で立山室堂(登山口)。

乗り物6回と徒歩の乗り継ぎも含めて、
合計で10時間ほどかけて立山室堂へ向かった。

途中に立ち寄る黒部ダムは、三船敏郎と石原裕次郎の共演した映画【黒部の太陽】で有名な、歴史に残る難工事を乗り越えて完成したあの黒部ダム。

1950年頃は、戦後の電力需要が爆発的に増していく中で供給が安定しておらず、深刻な電力不足と増加する需要に対応するためにどうしても一定の発電量が見込める黒部ダムの開発が必要だったのだとか。

「黒部に怪我なし」と昔から言われている。黒部の辺りでは足を滑らせても怪我をする心配はなく、滑落すれば必ず死ぬから「怪我なし」と言われるのだという。そびえ立つ山は険しく、切り立つ谷底に落ちれば激流に飲み込まれて助かる見込みがない。登山道の整備された現代でも毎年ハイカーの死亡事故を聞くほどに黒部は険しい。

もちろん当時は交通網も発達していない(というかダム開発のために交通網を整えた)ので、ダム建設のために山を越えて谷を越えて、深い深い山奥にまで行く必要があった。そんな険しい土地で七年の歳月と一千万人の人手と513億円の工費を投じて、171名の尊い犠牲を超えて黒部ダムは完成した。

工事の犠牲は、戦前・戦後の頃なら当たり前にあったのではないかと、国の一大事だから人命尊重よりも完成が優先されたのではないかと勝手にイメージしていた。けれど黒部の太陽の原作を読むと「絶対にひとりの犠牲者も出すな」と、現場に行くだけでも命懸けになる難工事を怪我も死もなく乗り越えようと懸命に努力をしていたのがわかる。

犠牲になった171名は当時を生きていたひとりひとりの命なので、当然だ。むしろ命を軽く考えていたのは自分のほうじゃないか? と読みながら人の偉業に思いを馳せる。

黒部ダムは今ではすっかり人気の観光地で、誰でもアクセスできるようになっている。見上げてみればダムの両側は険しい山に囲まれていて、この山々を貫いて道をつくろうなんて、思いついたってやれるものじゃない。

この美しい景色を眺めていられるのも、たくさんの人のおかげなのだと実感する。


…ここから立山へ向かいテント泊で酷い目に遭うので、それはまた後日。

また新しい山に登ります。