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鎌倉殿の日記『源頼朝アワー 幕府開いていいトモ!』⑤

1186年(文治2年)


1186年1月21日

義経にオレを討てって命令出したことについて、「出さなきゃ義経たちは京都で大暴れしてた。わかってよ」なんて何度も謝ってくるから、今回は朝廷のヤツらを許してやる。
これでオレが優位に立ったな。どうよオレの政治力!
ついでにゴシラカワに還暦祝いを送ってやった。

1186年2月4日

裏山の子ギツネが寝室に迷いこんできた。
久々のホッコリエピソードかと思って、どんな意味があるか占ってみたら「大凶」...
全然ホッコリしないよ!
この前はゴシラカワから、しつこくスゴロクに誘われる悪夢を見たし。夢でも仲良くしたくない。
ロクでもないこと続くンで、おハラいをした。

1186年2月9日

ゴシラカワから手紙。「オレ、熊野にはもう28回も行ってるわけ。30回は行きたいのに、戦争ばっかで6、7年行けてない。春には行きたいから、エンジョよろしく~」だと。
知らんがな&タカるな!急に距離をツめてこないで。
一緒に行こうと誘われなかっただけマシ...なのか。

1186年2月26日

息子が産まれた!政子との子じゃない!相手は藤原時長っていうダテ男の娘。
いつも通り政子にはナイショにしてたんだけど、いつも通りにバレた。なんで...?
そしていつも通り政子はブチギレてる。
出産祝いパーティーは開けそうもない。
この子は寺に入れるしかないか。

1186年3月22日

鎌倉に連れてきた義経の愛人シズカをジンモン。今月2回目。義経の居場所は知らないの一点バリ。
しかもなんと妊娠してた。あんま厳しくできないじゃん。
武田ノブヨシが死んだって噂あったけどデマだった。えーと...殺される前に死んだことにしときたいとかじゃないよね?

1186年4月8日

政子と鶴岡八幡宮に参拝。政子がどうしてもシズカの踊りを見たいと言うンで、シズカを呼んだ。
義経と離れて悲しいって曲を歌い踊ったから、今ここでソレやるかぁ?と怒ったら、政子が「逆境だらけだった私たちの若いころを思い出すじゃない♥️」だって。
政子ったらもう...

1186年5月25日

ユキイエ叔父の首が届いた。イキナリなんで驚いた。確かに本物。
「大阪あたりをウロついてるって噂をきいて捜したら、手下のところに隠れているのを見つけました。裏山に逃げたところをハサミ撃ちにしてシトメました」との報告。
よくやった!今夜はウマい酒が飲めそう。

1186年5月27日

病気で寺にコモってた娘の大姫がシズカを呼んで、踊りを見せてもらったそう。元気になったかな。
この前はヤロウが何人かでシズカんとこ押しかけて飲み会やってた。
梶原カゲトキの息子が酔ってクドこうとして、こっぴどくフラれたらしい。
シズカの人気にちょっとシット。

1186年閏7月29日

シズカが義経の子を産んだ。男の子。女の子なら良かったのに...男じゃなぁ。由比ヶ浜で手配通りにするよう命令した。
シズカは何時間も泣き叫んで赤ん坊を渡そうとしなかったところ、シズカの母がムリヤリ引き離したと。
政子もヤメテと言ってきたが、こればっかりは...

1186年8月15日

鶴岡八幡宮でジイさんがウロウロしてた。誰かと思ったら西行。
サイギョーっていやぁ歌もアクションもできるスターだ!と興奮してウチにきてもらった。
「もう武道はやめた。歌も山奥の老夫婦と孫娘に教わるくらいの未熟者で」だって。
ちょっと何言ってるか分からない。

1186年9月16日

シズカと母親が京都に帰った。
最後まで義経の居場所はハかなかった。エレぇな。
いつの間にか仲良くなってた大姫が、政子と一緒に見送りに行ってた。
両手いっぱいに、お別れのプレゼントを抱えて。
シズカの姿が見えなくなっても手を振ってたそう。
あれっ、涙が...くそッ。


1187年(文治3年)


1187年3月8日

興福寺のショウコウを呼びつけた。義経の師匠。
ムホン人の義経をなぜ助ける?ときいたら、
「義経が逃げてきたとき、あなたに謝るように叱って送り出した。その後は知らない。そもそも今のあなたがあるのは義経のおかげでしょう。兄弟仲良くが平和への道」と。
グウのネも出ねぇ。

1187年5月13日

チクリがあった。地震で壊れた京都のゴショを直す約束をカバが守らず、鎌倉帰ってきちゃったと。
オシオキするぞとカバを叱ったら、スゲぇ謝ってきた。
この前はウソと悪口だらけの報告をした梶原カゲトキに鎌倉中の道をキレイにさせる罰ゲームを与えた。
怒ってばかりでヤになる。

1187年7月18日

仁田タダツネの妻が死んだ。三嶋大社への参拝途中、船がひっくり返った。
正月、タダツネが病気でヤバかったとき、私の命を縮めても夫を助けてくれと三嶋大社にお願いしてた。
神様もさあ...命縮めるとこまで願いをカナえないでよ。
タダツネにかける言葉が見つかんない。

1187年11月15日

地元に帰った畠山シゲタダがムホン起こすかもと梶原カゲトキから報告。
部下の管理不十分の罪で1週間牢屋にブチこまれたのをウラんでるって。
ホントだと思うか三浦や和田たちにきいたら、「シゲタダはそんなヤツじゃない」と。
友達の下河辺ユキヒラに確かめに行ってもらった。

1187年11月21日

下河辺ユキヒラが畠山シゲタダを連れて帰ってきた!
「オレがムホン起こすわけないのは鎌倉殿がご存知のはず」と堂々としてたって。
良かったぁ。モチロン信じてたよ!
すぐに3人で飲んだ。今回のことは話題にせず、バカ話で盛り上がった。
ユキヒラにホウビやろうっと。

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