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北条義時の日記『ライバルが片づくトキめきの魔法』②

1201年(建仁元年)

1201年2月3日

京都から急使。ジョー・ナガモチってヤツが反乱。
関東を討てって命令を出せと天皇と上皇をオドした。もちろんそんな命令は出なかったので、ジョーは逃げた。
コイツもとは平家の味方で、梶原カゲトキに救ってもらったヤツだ。
まっ、すぐ片づくさ。オマエはエースじゃない。

1201年3月24日

千葉ツネタネ殿が亡くなった。頼朝様の挙兵以来の仲なのでサミしい。84歳で畳の上で死ねたんだから幸せか。
ジョー・ナガモチの件はだいたい片づいた。あとは地元の新潟を押さえるだけ。
これからもこんな反乱とか争いとか起こるのかなぁ。オレはいつどこで死ぬんだろう。

1201年5月14日

新潟から報告。「ジョーと仲間たちの最後のトリデを落としました。守りが固く、苦労しました。特に、ハンガクゴゼンという女武者の弓がスゴいのなんのって。イケドリにしたので鎌倉に連れてきますね」
最強の女武者!見たい!

1201年6月28日

弓の名人ハンガクゴゼンが鎌倉についた。
頼家サマが見たがったので、御所に引き出された。
オレも見たいオレも見たいと御家人がワラワラと集まって大混雑。入場料とるぞ。
ゴゼンの態度は堂々としてリッパ。しかもチョー美人!
みんな心を射ぬかれたな。

1201年6月29日

甲斐源氏のアサリヨシトオ殿が「ハンガクゴゼンを預かりたいんです」と頼みにきた。
頼家サマが「なんで?」と尋ねたら「夫婦になって最強の子どもを産む!」だって。
これを聞いた頼家サマ大爆笑。「美人だけど大変だぞ」と言って許可してあげてた。

1201年7月6日

暑いなか、ケマリの猛特訓がスタート。
ケマリの道をキワめたいので達人を鎌倉に派遣してほしいと、頼家サマがゴトバ上皇に頼んだら、OKがでた。
達人がくる前にレベル上げとくぞ!と盛りあがってる。弟トキツラはメンバー。
オレと泰時も審判でつきあわされた。暑いのに。

1201年9月22日

頼家サマは今日もケマリ。最近まともに仕事してない。
泰時がトリマキの1人に「ケマリがただの遊びじゃないのは分かる。けど8月の台風のせいで飢えた者が大勢いる。お前は鎌倉殿と親しいんだから、ちょっとは意見しなよ」と言った。
正しい。でも言う相手が悪いんじゃ...

1201年10月2日

泰時に警告が。
この前トリマキに言ったことがネジ曲がって頼家サマの耳に入った。怒りが冷めるまで、鎌倉から離れたほうがイイと。
やっぱり...
ちょうど明日からオレの代理で伊豆に行くとこだった。本当に逃げるみたいでイヤだと泰時はゴネてたが、タイミング良かった。

1201年10月6日

伊豆では、台風の被害で種まき用の米を返すアテがなくなったため、逃げだそうとしてる農民が多数いるとの報告が。
泰時に対応を任せたら、農民の前で借用書を焼き捨てて「チャラにしてあげる」と。さらに食事に酒、米を配ってやったそう。
「俺たちの泰時!」とみんなが涙したって。

1202年(建仁2年)

1202年1月29日

源氏の長老、新田ヨシシゲ殿が14日に亡くなった。
そんななか、頼家サマがハデなケマリ大会を計画。
政子姉が「こんなときに遊んでたら周りがどう思うか」と説教。
「世間が許さない?そんなの関係ねぇ。ケマリが大事」とダダコネてたが、大会は中止に。

1202年8月23日

泰時が三浦義村の娘と結婚。泰時元服のとき頼朝様とした約束。もう8年も前のことか。シミジミしちゃう。
泰時、これまで以上にシッカリしてくれよ。頼りにしてるぞ!
先月22日に頼家サマが征夷大将軍になった。ちょっとはシッカリしてくれよ...頼りにならないケマリバカ。

1202年12月19日

大雪。頼家サマは平トモヤスを連れて、どっかに出かけた。
夜、帰り道で馬がアバれてトモヤスは井戸に落っこちたって。ザマァ。
トモヤスは後白河法皇の腰ギンチャクだった。
半年前、弟トキフサの前の名前、トキツラってのは貧乏臭いとケチつけて、政子姉から怒られてた。

1203年(建仁3年)

1203年5月20日

昨日、頼朝様の弟、全成殿が突然タイホされた。ムホンの疑い。
ただ疑いの中身がハッキリしない。頼家サマの周りだけで動いてる。情報が入ってこない。
政子姉のとこにいる全成殿の妻、妹アワも引き渡せと言ってきたが、これは姉さんが追い返した。
誰か糸を引いてる...?

1203年6月1日

伊豆で狩りしてたらデカい穴を発見。
頼家サマが和田タネナガに「ちょっと調べてきて」と命じたら、8時間くらいして帰ってきた。
「穴は何kmもあって真っ暗。スッゲェ大蛇が襲ってきたんで斬り殺しました」だって。
暗いのによくヘビ見えたな。話を盛った?

1203年6月4日

富士の狩りでまた穴を発見。仁田タダツネ殿が一日がかりで調べてきた。
「狭くて暗くてヤな感じ。しかもコウモリだらけ。デカい川の前で立ちどまったら、突然ビームを撃たれて部下4人が死亡。聖剣を川に投げ入れて、逃げてきました」だって。
ジョーンズ博士かよ!?

1203年6月23日

全成殿が栃木で八田トモイエ殿に殺された。頼家サマの命令。
茨城に流されたのに、なんで栃木で殺された?八田殿は、なんでクソ命令にホイホイ従う?
わからないことだらけ。オレの灰色の脳細胞、動け!
最近、巨大なヘビや大量のコウモリが出るなど、ヘンな出来事も多い。

1203年7月23日

3日前、頼家サマが急に病気になった。すごく苦しそう。今は、かなり危険な状態。
もう神頼みしかない。けど占いでは神様のタタリと出た。神様を頼ってイイの?ダメなの?
そういえばここ1ヶ月くらい、鶴岡八幡宮のハトが突然死んだり共食いを始めたりして、オカシかった。

1203年8月27日

頼家サマの病気は良くならない。そろそろ「次」を決めないと。頼朝様のときのバタバタはもうごめん。
相続は弟のセンマン様と長男のイチマンサマで半分ずつと決めた。
イチマンサマが全部引き継ぐべきとヒキがブチギレてた。なに言ってやがる。草でも喰ってろ、埼玉県人。

1203年9月2日

政子姉から連絡。時政ブッ殺したいってヒキヨシカズの願いに頼家サマがOKしたと。
ヤロォ、先にヤッてやるよ。
新しく作った仏像を見にきてよ、と父さんがヨシカズを軽い感じで誘った。名演技!
ヤツがヨロイも着ずにノコノコ出てきたとこを仁田タダツネ殿たちが片づけた。

1203年9月3日

昨日、ヨシカズを片づけたあと、ヒキ一族が立てこもるイチマンサマの屋敷を攻めた。
政子姉がヒキ一族を討てとの命令を出した。鎌倉のほとんどがこっちの味方に。
屋敷は焼け落ちてイチマンサマも亡くなった。さっきナキガラが発見された。
ここまでするか?とは思うけど...

1203年9月5日

頼家サマが元気に。
ヒキ一族のことを聞くと激怒して、時政を殺せと和田ヨシモリ殿と仁田タダツネ殿に命令したと和田殿が教えてくれた。
頼家め...ずっとヒキこもってりゃ良かったのに。ヨシカズの意見にヒキずられたのはオマエだろ。北条だけのせいにするな、ヒキョウ者!

1203年9月6日

仁田タダツネ殿を呼んで、ヒキを倒した打上げ。盛りあがった。
そしたら、遅くまで帰らないのを心配した仁田殿の家族が、時政を殺せって頼家の命令をチクらなかったから殺されたんじゃないかと勘違い。
攻めてきたんで片づけた。仁田殿も。
やりたくなかったけど...オレらそんなに信用ない?

1203年9月7日

頼家が出家した。いや、出家させた。
フザケんなとかゼッテーしねぇとか、さんざんゴネてた。
「いまのあなたの体力では政治はムリです。私はあなたに死んでほしくない」って政子姉の泣き落としで、ようやく納得した。
ホントはオマエの能力では政治はムリだからだけどな。

1203年9月10日

頼家の弟、センマン様を次の将軍にすることに。
センマン様は政子姉のとこから父さんの屋敷に引っ越し。妹アワが付き添い、泰時と三浦義村が出むかえた。
将軍交代しても領地はそのままでOKって文書を父さんが出した。みんな心配してたから。
これでゴタゴタおさまるかな。

1203年9月15日

妹アワが来て「センマン様を父さんの屋敷で育てるのは危険かも。義母さんがなんか悪いことタクラんでるみたい」と。
「わたしもそんな気がしてた。やっぱりウチで育てます」と姉さんも言うので、オレが取り返しに行った。
父さんは何が起きたかわからず、アタフタしてた。

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