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鎌倉殿の日記『源頼朝アワー 幕府開いていいトモ!』⑦

1192年(建久3年)


1192年3月16日

京都から速達。13日にゴシラカワが死んだ。67歳。腹の病気。去年の末から調子悪いって聞いてた。
食えねぇジジイだったけど、40年も政治の中心にいたンだからスゲェよなぁ。
日本一の大テングなんて言っても笑って許すフトコロの深さもあったし。
死ぬ前に会えて良かった。

1192年5月26日

北条義時の息子コンゴウが遊んでる前を多賀重行ってバカが馬に乗ったまま通った。
危ねぇし無礼だろって叱ったら、失礼はなかったと言い訳しやがる。
コンゴウに確かめたら、馬から下りてましたよとカバッてやンの。優しいね。
ホウビに刀をやった。イザッてときに使えよ。

1192年7月20日

京都から速達。オレが征夷大将軍になることが決まった!
正式な書類は朝廷の使者があとで持ってくる。
みんなのアコガレ、人事通達の受取り役は三浦ヨシズミに任せよう。最初から味方してくれた三浦一家へのお礼。
ついにオレが大将軍...やった!

1192年8月5日

将軍としての業務開始。
書類が山積みなんで、これからは官僚のサインだけで発行しようとしたら、千葉ツネタネが「イヤだ、鎌倉殿のサインがなきゃダメなんだい!」と大騒ぎ。
ンもう、ワガママなジイさん...わかったよ、サインしてやるよ。特別だぞ。

1192年8月9日

政子が男の子を産んだ!これで源氏は更に安泰。御家人たちも大船に乗ったつもりで付いてこい!
センマンと名付けて、今回は政子の妹に乳母を頼んだ。
10年前のマンジュのときを思い出すなぁ。兄弟仲良くしてね。うわっ、オレが言うと説得力ねぇ...

1192年9月25日

北条義時が結婚。相手は姫のマエ。ヒキ一族の娘でオレんトコで働いてた。
いいコなのよ。
義時がベタぼれして、ムシされてもムシされても、2年くらいずーっと手紙送り続けてた。
しょーがねぇから仲をとりもってやった。ゼッタイ別れませんと約束させて。
いいコなのよ。


1193年(建久4年)


1193年5月16日

富士野の狩でマンジュが鹿をシトメた。周りも手伝ったらしいけど、よくやった!さすがオレのアトツギ。弓名人!
夜、初めて獲物を捕まえた祝いのヤグチの儀式。黒赤白の三色の餅を並べたり重ねたり食べたり。ヤヤコシイよ。
それから酒盛り。みんなヘベレケ。楽しかった。

1193年5月22日

マンジュが鹿をシトメたことを政子に伝える使者を出した。
喜んでくれるかと思ったら「マンジュは武士の子です。武士が鹿や鳥を射ったってナンの自慢にもならないでしょ。なにワザワザ使いなんて出してンの」と言われたって。
えーと...ドッチなのかな。本気?ツンデレ?

1193年5月28日

十郎、五郎のソガ兄弟が工藤スケツネを殺した。
深夜、カミナリが鳴ってるなか、突然「父のカタキーッ」って叫び声とドタバタワーギャー大騒ぎが。
ゾクがこっちに走ってくるのが見えたンで、オレも刀を取ったよ。ソイツはつかまえた。もうひとりは仁田タダツネが倒した。

1193年5月29日

ソガ五郎の取り調べ。オレに直接言いたいことがあるってンで聞いてやった。
「願い通り父のカタキを討てた。祖父伊東スケチカのウラみを伝えてから死のうと思って、あなたのとこに向かった」だって。
助けてやろうか迷ったが、スケツネの子が泣いて頼むンで首チョンパに。

1193年8月2日

カバのノリヨリにムホンのウワサ。
本当か問いつめたら「100%ありえない。子孫まで従うと約束します」との手紙が。
ただ、署名が源範頼になってる。源と書くンは本心では家来になる気がない証拠じゃない?と大江ヒロモトに言ったら、ナニ言ってんだコイツ?って顔された...

1193年8月10日

明け方に大騒動。寝室に向かったら様子がヘン。調べたらカバの家来、タイマ太郎ってヤツが隠れてた。
手紙の返事がないのを主人が気にしてるンで直接聞こうと思って...とかモゴモゴ言ってたが、どぉ考えてもおかしいだろ。
ムホンって本当だったのか...カバッ、なんでだ!

1193年8月17日

カバを修善寺に追放。
家来のタイマ太郎は鹿児島に。死刑にしようとしたが、近ごろ大姫の体調が悪いンで、回復を願って罪を軽くしてやった。
カバとはもう顔をあわせることもないだろうね。
義経といいカバといい、なんでオレをしっかり支えない!弟だろ。
悪いのオレか?

1193年9月11日

北条義時の息子コンゴウが小鹿をシトメた。リッパに成長したなぁ。マンジュをしっかり支えてね。
義時がお祝いしたいってンで、また餅の儀式。相変わらずヤヤコシイよ。
もちろん酒盛りも。飲みたいだけじゃんって政子は言うけど、チガイマスヨ。


1194年(建久5年)


1194年2月2日

コンゴウの元服式。オレが冠をかぶらせてやった。
新しい名前は頼時!オレの字が入ってンだから、ヤスい名じゃないぞ。
三浦ヨシズミに、将来は一家の娘と結婚させてねと頼んだ。
式のあとは当然飲み会!今夜は政子は留守!みんなで歌い踊るまで飲みまくり!楽しかったぁ。

1194年7月29日

娘の大姫が夜になって苦しみだした。体調崩すこと多いけど、今回はすごく悪そう。
婚約者の木曽ヨシタカが死んでから10年、ずっとこんな感じ。いいかげん忘れてよ。
初恋をつらぬくなんてステキとか無責任に言うヤツいるが、こっちの身にもなってみろ。
悪いのオレかぁ?

1194年8月18日

大姫が回復。良かったぁ。みんな心配したンだぞ。
オレのオイっ子、一条タカヨシが京都から遊びにきてるンで、政子が「カレと付き合ってみたら?」と勧めたら「ゼッタイ、イヤッ!身投げして死んだほうがマシ」だって。ガンコ!
そしてタカヨシとばっちり!かわいそう...


1195年(建久6年)


1195年2月14日

京都に出発。東大寺がフッカツしたお祝いに。ヒミツの仕事もあり。かなりミッションインポッシブル。
今回は政子、マンジュ、大姫も一緒。家族旅行みたい!何千人も付いてくるけど...
行列の先頭はモチロン畠山シゲタダ。また見物が集まるかな?

1195年3月12日

東大寺フッカツの日。スゴい風雨で地震まで。神様もお祝いしてくれてるな。
雨ン中で警備する御家人たち、頼もしいぞ。ゴトバも出席して超ハナやか。
見物のボウズたちが騒いだンで梶原カゲトキが止めに入ったら、余計に怒らせてた。またかぃ...

1195年4月17日

ゴシラカワのお気に入りだったタンゴのツボネを招待。2回目。
正直キライ。だってエラそうなんだもん。贈り物いっぱいアゲても、そんなの当然って顔しやがるし。
政子と大姫に接待マカせちゃったら、帰ったあとも政子ピリピリしてる。大姫は元気ない。マズかったかなぁ?

1195年6月25日

鎌倉に帰る。4ヶ月か。長かった。
マンジュがゴトバと会えたのは良かった。武芸好き同士で気が合ったっぽい。ミッションアトツギは成功。
でも大姫とゴトバを結婚させるミッションは失敗。大姫は「京都コワい」って。
かわいそうなことした。ごめん。オレも鎌倉がイイよ。

1195年12月22日

アダっちゃんのウチに泊まった。徹夜でサシ飲み。
伊豆で「トークロー」「スケ殿」と呼びあってたころから30年の付き合いだもンなぁ。思えば遠くへ来たもんだ。この先は?
なんかシミジミしちゃった。あっ、フラグ立てたみたいになってるけど、オレはまだ死ぬ気ナイよ。


1196年(建久7年)~1199年(建久10年)1月

  *『吾妻鏡』欠落期間

1197年7月14日*

大姫が死んだ。まだ20歳だぞ。おかしいだろ。
伊豆で政子とノンビリ暮らしてたころに生まれた娘。あのままの生活のほうが大姫には幸せだったのかなぁ。
時政のオヤジが落ちこんでる。天皇と結婚させたかったって。
まだ娘はサンマンがいる。いや、もうやめよう。でも...

1198年1月11日*

ゴトバが上皇に。ゴトバ上皇...ゴトバ天皇より言いやすい。なんでだろう?
次の天皇はツチミカド。まだ4歳。母親は源ミチチカの養女。このミチチカってのがヤなヤツでさぁ。オレと仲良しだった九条カネザネを「カネザネ、アウトー」ってサセンしやがった。笑えねぇよ...

1198年12月27日*

イタイイタイ。馬から落っこちた。頭がボーッとする。全身イタイ。
イナゲシゲナリのカミさんを供養する橋のヒロメの帰り道で。
落馬なんて情けない。心もイタイよ。
ほとんど酒飲んでなかったのに。
でも...誰かに声かけられて、足ひっぱられた...気がするんだよなぁ。

1199年1月11日*

ダメだ。もう長くない。
極楽に行けるように出家した。行けンのか?
やり残したこと...まぁいっか。30過ぎのイナカのクスブりが、10年ちょっとで大将軍。よくやったよ。
しかし落馬でこんなに体調悪くなるかね?毒でもモられたか?
ウラまれるオボえは...いっぱいだぁ...

1199年1月13日*

......みんな、そんな顔してどうした?あぁ、いよいよなのか。もう死んでンのかもな。
息子たちも成長して、アトは万全。北条もヒキもサポートしてね。
あの世でカズサと飲めるかな。義経とカバとも語り合いたい。大姫...!
政子、ありがとう。楽しかったよ......(了)


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