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鎌倉殿の日記『源頼朝アワー 幕府開いていいトモ!』②

1181年(治承5年)


1181年1月11日

梶原カゲトキってのに会った。
なんと、石橋山で負けて洞窟に隠れてたとき見逃してくれた、目ツキの悪いヤツがカゲトキだった!
目が悪いわけじゃなく、わざとスルーしてくれたって。
コイツと話してると気分良くなるんだよね。ヨイショがウマいのかな?気に入っちゃったよ。

1181年1月18日

ヤなこと聞いた。平家が奈良の大仏焼いちゃったって。
いくらサカらったからって、ヒドいことすんなぁ。清盛もロクな死に方しねぇぞ。
オレなんて、石橋山で負けたとき洞窟に置いてきちゃった観音像が、年末に見つかって返ってきたのがウレしくて、毎日拝んでるってのに。

1181年2月1日

足利ヨシカネと政子の妹が結婚。
ヨシカネは伯父さんの新田ヨシシゲと違って最初から一緒に戦ってくれたし、オレのこと尊敬してるっぽいから親戚付き合い。
ヨシシゲのジジイもちったぁ見習え。
それにしても足利と新田で絶妙に差をつけるオレの政治力ってどうよ。

1181年閏2月19日

マジかよ。清盛死んだって!今月4日に。京都のヤス君からの手紙だから確実。
ほぉらみろ、大仏焼くからだよ。バチってホントにあるんだねぇ。
九州でも四国でも反乱。平家も終わりか?
また平家がオレを討とうとしてるらしいけど、和田ヨシモリたちを出兵させて対応済。

1181年3月7日

後白河のタヌキジジイがオレを討てと武田ノブヨシに命じたとヤス君の手紙に書いてあったんで、武田を呼びだした。
「いや、そんな命令ないっす。あってもやらないし。去年、一緒に戦った仲じゃない、信じてよ」って、その戦いで勝手にヌケガケしたお前を誰が信じられるか。

1181年3月19日

今月10日、ユキイエ叔父が岐阜のスノマタ川で平家に大負け。オレの弟のギエンは殺された。
ユキイエ叔父の浅知恵で夜討ちかけようとしたのがバレて、逆に不意打ちされて全滅だって。
あのオッサン、ロクなことしねぇ。ギエンもかわいそう。オレんトコくりゃ良かったのに。

1181年6月19日

三浦一家の地元に遊びに行った。
途中でカズサに会ったら、馬に乗ったままペコッと頭だけ下げやがった。なんかカチンときた。
飲み会で、岡崎ヨシザネがオレの服を欲しがったんで着せてやったら、カズサが「ジイさんには似合わねぇ。オレがもらう」と言い出し大ゲンカになっちゃった。

1181年7月20日

鶴岡八幡宮を建ててる大工にホウビの馬をあげる役を義経にやらせようとしたら、あからさまにブッチョーヅラになりやがった。
畠山シゲタダたちは喜んで受けたのに。
「オレの命令には従え!」と強く言って、やらせた。
畠山たちよりエラいとでも思ってんのかね。カン違いすんなよ。


1182年(養和2年)


1182年2月15日

昨日、三浦一家に預けていた伊東のジジイが自殺した。政子の妊娠祝いで許してやると伝えた直後に。
死体は誰にもみせず、すぐに処分。まぁ、そういうこと...
前に助けられた恩のある伊東のムスコに伝えたら、「オレも殺してくれ」と言うので、そうした。
後悔は...しない。

1182年6月1日

ヒミツのカノジョ、亀のマエを中原光家ンちに住まわせた。
妻が妊娠中に愛人を隠れ家に!なんてサイテーっぽいけど、亀とは政子と出会う前からの知り合いなンよ。
言い訳にならない?
そういえば、新田ヨシシゲの娘が美人らしい。ラブレター出してみよ。
...やっぱサイテー?

1182年8月12日

長男誕生!政子よくやった!神様仏様のゴカゴかな。これでオレの家はマスマス栄える!
オレの乳母だったヒキノ尼の娘に乳母を頼んだ。ヒキの母さんはいつでもオレの味方だから、この子も安心。
三夜の祝いは小山、五夜はカズサ、七夜は千葉、九夜は時政のオヤジに任せる。

1182年11月10日

亀のマエの隠れ家が襲われた。政子のサシズだと。
亀はなんとか逃げだせたけど、家はメチャメチャ。
実行犯は牧ムネチカ。誰だよと思ったら、時政のオヤジの妻、牧のカタの兄だった。
ぜってー許さねぇ。
そもそも政子に亀のことチクったの、牧のカタらしい。チクショーめ。

1182年11月14日

時政のオヤジが勝手に伊豆に帰っちまった。牧ムネチカの髪を切って恥をかかせたンを怒ってるらしい。
怒ってんのはコッチだよ!
息子の義時は鎌倉に残ってた。正直、ホッとした。
呼び出して「お前はエラい。ホウビをやる」とホめたのに反応ウスかった。義時も怒ってる?

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