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北条義時の日記『ライバルが片づくトキめきの魔法』④

1206年(建永元年)

1206年3月12日

実朝様が桜井五郎というタカジョーと会った。鷹のトレーニング名人。
思いどおりに鷹をアヤツる奥義を自慢げに話してくれた。よくしゃべるヤツ。イメージしてた達人となんか違う。
しかも鷹じゃなくモズでも狩りができるって。ホントかよ。実朝様は見たい見たいと大興奮。

1206年3月13日

実朝様と「モズの狩りを見たがったのは子どもっぽかったかな?」「珍しいワザだよね。オレも見たいよ。でもホントにできるんすかね」などと話してたら、タカジョーがモズを連れてきた。
大江殿やミヨシ殿も見てる前で、モズはスズメを3羽とった。スゲェ...
観客総立ちの盛り上がり!

1206年5月6日

京都の公家から「加藤ミツカズはウチの使用人なのに、最近ちっとも言うこときかない。しかも勝手にケビイシになってた。叱ってよ」とクレームが。
大江殿たちと対応を協議。後鳥羽上皇の考えでケビイシになったんだからイイんじゃねってことに。
頼朝様ならキレてたかもなぁ。

1206年6月21日

御所でスモウ大会。結城トモミツが行司。仕切るのうまいんで、これからトモミツはスモウ奉行ってことに。
うーん、全然ウラヤマシくない。
取組が終わったあと、参加者全員に実朝様からホウビが。
負けて泣きながら帰っちゃったヤツにも、わざわざ呼び戻してプレゼント。優しいね。

1206年10月20日

実朝様と頼家の息子ゼンザイが義理の親子に。政子姉の考え。
ふたりは15歳と7歳だけど、オジとオイの関係だからオカシくはないよな。
育ての親の三浦義村が贈りものをもってきた。
そういや、オレの次男もそろそろ元服させよう。名前は実朝様の朝の字を頂いちゃおっかな。

1206年12月23日

実朝様をシクジッて出入り禁止中の東シゲタネが泣きついてきた。
和歌をプレゼントしたら機嫌なおるかも、とアドバイスしたら、すぐに一首作った。
実朝様に見せたら気に入ったみたいで「許してあげる」と。
シゲタネは「さすが北条殿、マゴコの代までついてきます!」だって。

1207年(建永2年)

1207年2月20日

弟のトキフサが先月14日に武蔵守になった。以前の武蔵守、平賀ヨシノブ殿のやり方を見習うようにって命令もでた。
ヨシノブ殿か...頼朝様にハマッてたよなぁ。イイ人だったし。平賀トモマサの父親とは思えない。
まぁトキフサ、相模守のオレと一緒に幕府モリタテようぜ!

1207年3月3日

御所で闘鶏大会が開かれた。
弟のトキフサ、結城トモミツ、和田ヨシモリ殿、足立トオモト殿、安達カゲモリ、三浦義村たちがニワトリ同士を闘わせて大騒ぎ。
オレは参加しなかった。ニワトリとか犬とかを闘わせるのに熱中すると、将来よくないことが起きる気がするんだよね。

1207年8月15日

実朝様が鶴岡八幡宮へお参りに。
出発ぎりぎりになって、何人かのボディーガードから休みますと連絡が。代わりの手配で大混乱。
シフト管理方法を見直さないと。
出発が遅れたせいでイベントはメチャクチャ。
休んだヤツのなかには、サボりもいたっぽい。シメるしかねぇな。

1207年8月17日

おととい急に休んだヤツらを問いつめたら、熱が40℃でたとか親戚が死んだとか。ウソくせぇ。
アズマスケミツなんて「ハレの舞台に用意したヨロイがネズミにかじられちゃって」だと。
ボディーガードは守るのが仕事。カッコつける必要ねぇんだよ。スケミツ、出入り禁止な。

1207年12月3日

御所で宴会中、アオサギが屋根に。
実朝様が「なんか不吉。誰か射って」と言うので、キンシン中の弓名人アズマスケミツを呼んでやった。
矢はサギの顔を引っかけるように飛んで、殺さずに射落とした。やっぱスケミツはウメェな。
実朝様も感心して「元のように仕事してイイよ」って。

1208年(承元2年)

1208年1月16日

ミヨシヤスノブ殿の家が火事。大事な本や書類が灰に。儀式のやり方が書かれたトリセツも。
ミヨシ殿は号泣。見てらんないんで「これからオレたちで新しいルール作ってけばイイじゃん。古いシキタリなんて、ブッ壊そうぜ!」とナグサメたけど、まったくミヨシ殿の心にはヒビかなかったよ...

1208年5月29日

京都から実朝様の奥様の使用人がきた。実朝様に『古今和歌集』をプレゼント。
「一生大事にする!」って抱きしめて喜んでる。かわいい。
京都のことをいろいろ聞いた。
ヤブサメで失敗した上皇のお気に入りが、逃げ出して出家しちゃった話が面白かった。いきなり出家って...

1208年7月22日

京都にオネダリされた馬を届けにいってた藤原スエヤスが帰ってきた。
上皇が熊野モウデに行ったとき火事が。そしたら上皇みずから現場に駆けつけたんだって。
燃え盛る炎のなかに飛びこむ上皇、しばらくすると両腕に子猫を抱えて...なんてことがあったらウケるな。超人!

1208年12月20日

実朝様が正四位下に。まだ17歳。頼朝様は38歳で同じ役職だったから出世早いな。上皇効果だね。
熊野にお参りにいってた政子姉と弟トキフサが帰ってきた。このふたり、いつも仲良し。
中原チカヨシ殿が京都で亡くなったらしい。13人で頼家を支えようとちかったのは10年前か...

1209年(承元3年)

1209年5月12日

和田ヨシモリ殿が千葉の長官になりたい、してくれと言いだした。そりゃワガママだよ。
困った実朝様が政子姉に相談したら「御家人は国の長官になっちゃダメって頼朝様が決めたでしょ。規則を変えるのなら口は出しませんけど」と。
うーん、正論。実朝様、ちゃんと断って。

1209年5月20日

梶原カゲトキ一族の霊をシズめるために法事をおこなった。いや別にオンリョウとか信じてないけどね。
なんか最近、御所で奇妙な出来事が多発したらしいんだよ。いや別に超常現象とか信じてないけどね。
夢でお告げがあったんだ。いや別に夢とか信じ......ホントはぐっすり寝たいです...

1209年5月23日

和田ヨシモリ殿は千葉の長官になるのをあきらめてなかった。実朝様、ビシッと断れなかったからなぁ。
オネダリの手紙を大江広元殿に届けてきた。
「30年スゲェ働いてきたよ。テガラも覚えらんないほどいっぱい。一生のお願いだから!」だって。
気持ちはわかるけどさぁ...

1209年8月13日

実朝様の和歌の才能査定が返ってきた。
京都の藤原定家殿に先月送った30首、ちゃんとチェックしてくれたみたい。
才能アリになってます?と見ようとしたら、恥ずかしがって隠されちゃった。嬉しそうな顔見ればバレバレだけどね。
定家殿が書いた和歌のトリセツももらった。

1209年11月7日

3日前、第1回鎌倉弓道大会を開催。
最近、武芸がオロソカになってる気がしたから。和歌もイイけど武芸もね。
負けたほうが酒をオゴるシステム。
その酒で、今日は打ち上げの大宴会。
無礼講でかなりハシャいだヤツがいたけど、実朝様も楽しんでたからOK。
武芸の大切さもわかったかな。

1209年11月14日

オレの部下を御家人同様にしてやろうとしたら実朝様に断られた。
「最初は控え目にしてても、じきに調子にのるようになるよ。トラブルのもとだからダメ」だって。
誰でも出世できる明るい職場ですってワケにはいかねぇか。それにしてもイッチョ前の口きくようになったな。

1209年11月27日

和田ヨシモリ殿は千葉の長官になるのをまだあきらめてなかった。
実朝様が「朝廷への根回しとかあるから、ちょっと待っててね」と伝えたら、和田殿は大喜びだったって。
えーと...これ断ってんだと思うけどなぁ。実朝様は京都人との付き合いも深いのよ。京都シグサだろ。

1209年12月11日

いきなり御家人同士のドンパチが始まる寸前に。互いに仲間を集めて大騒ぎ。
実朝様がやめさせようとしたら、警察トップの和田ヨシモリ殿が既に片方の味方になっちゃってた。ダメじゃん。
代わりに弟トキフサが両者をナダメた。
ケンカの原因はネトラレ案件。なんだそれ...

1209年12月15日

近ごろ強盗が多いって訴えが色んなとこから。守護がタルんでんだよ。
そもそもなんでソイツが守護になったか調べることになり、千葉、三浦、小山たちが証拠を提出した。それなりにちゃんとしてる。
何年かで守護を入れ替えるって案は中止に。そんなことしたら血の雨が降りそうだからな...

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