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鎌倉殿の日記『源頼朝アワー 幕府開いていいトモ!』⑥

1188年(文治4年)


1188年4月9日

義経は平泉にいるってハッキリした。まぁ知ってたけど。
逃げるなら藤原ヒデヒラんとこしかねぇもん。そのヒデヒラも去年の10月に死んだが。
天皇とゴシラカワがヒデヒラの子ヤスヒラに出した手紙をコッソリ読んだ。
変な気ィ起こさず義経を捕まえろと書いてあった。ヨシッ。

1188年4月25日

センジュのマエが恋のヤマイで死んだ。平シゲヒラとの飲み会で、シゲヒラとカップルになった政子のメイド。
シゲヒラが殺されてから、ずっと元気なかった。一緒にいられたの1年くらいなのに。
愛の深さにトキの長さは関係ないっと。
...名言爆誕?

1188年12月11日

天皇とゴシラカワが藤原ヤスヒラに義経を捕まえろって命令をだした。
いいンだけどさぁ、もう3回目だぞ。
義経の味方するなら朝廷軍に攻めさせちゃうゾとも書いてるけど、プレッシャーのかけ方が甘いよ。
なんか本気を感じないンだよなぁ。
やっぱオレがやらなきゃダメか。


1189年(文治5年)


1189年2月22日

まだ義経が捕まンない。なにやってンだよ。もう1年くらいナンも進まない。
しかも今でも隠れて義経の味方してるヤツがいるらしい。
ヌルくチンタラやってンじゃねぇよ!って手紙を朝廷にだした。
もう待たない。ヤスヒラのとこにはスパイを送る。オレの本気を見せてやる。

1189年4月18日

時政のオヤジの三男坊で政子のお気に入り、トキフサの元服パーティー。
メインイベントの主役に冠かぶせる役は三浦ヨシツラに任せた。ずっと前、カズサと岡崎ヨシザネがケンカしたときの仲裁っぷりが良かったンで、トキフサも頼りにしてイイよ。

1189年5月22日

平泉から手紙。藤原ヤスヒラが朝廷とオレからのプレッシャーに負け、先月30日に義経を討った。
義経は相当ネバッて戦ったけど、数には勝てず、22歳の妻と4歳の娘を殺してから自殺したって。
首はあとから送られてくる。
こうなる前に関係修復のチャンスはあったのかもな...

1189年6月13日

義経の首がコシゴエまで運ばれてきた。和田ヨシモリと梶原カゲトキが受け取りに。
首はウルシのオケのなかで酒に浸けられてた。
コシゴエっていやぁ、4年前に手紙がきたな。
手紙は泣き言でウルサいくらいだったのに、首は何も語ってくれない...
義経ッ!

1189年7月19日

平泉の藤原ヤスヒラを討ちにオレ自ら出陣する!
朝廷の許可を待ってたけど、義経は死んだしもういいンじゃない?とかゴシラカワがグダグダ引き延ばすから、もう待たない。
昔から源氏の家来だった藤原氏を、源氏のトップが好きに処分して何が悪いって意見もあったし、問題ナシ!

1189年8月11日

畠山シゲタダが藤原クニヒラの首を持ってきたンでホめてたら、和田ヨシモリが「クニヒラはオレの矢で死んだんだい!ヨロイを調べて!」と猛抗議。確かに言った通りの証拠が。
まぁシゲタダも家来が首とった瞬間を見てたわけじゃなく、悪気なかったンだから仲直りしてね。

1189年9月6日

ナントカ次郎とかいうヤスヒラの家来が、ヤスヒラの首を持ってきた。
家来にしてほしいなんてヌかしやがったから「テメェの力なんぞ必要ねぇんだよ。主人を裏切るような恩知らずは死刑ね」と言ってやった。
なにが御家人になりたいです、だ。アグリーと言うとでも思ったか。

1189年9月7日

敵をドッチが生け捕ったかの手柄争いがボッパツ。
梶原カゲトキにホントのとこを捕虜に尋ねさせたら、態度が無礼だって怒らせちまった。
カゲトキ君さあ...そういうとこだぞ。
こんなとき頼りになるのは...畠山シゲタダ!礼儀正しくきいたら素直に教えてくれたって。ナイス!

1189年9月9日

朝廷から使者。「藤原ヤスヒラを討てとの天皇命令です」だって。
「前は待てと言ったけど、やっぱ討ったほうがイイね」ってゴシラカワの手紙も。
えーと...遅いよ!ヤスヒラもう首チョンパ済みだって!
でも手紙の日付をオレが鎌倉出発した7月19日に合わせてンのちょっとかわいい。


1190年(文治6年)


1190年4月11日

ムスコ頼家が初めて矢を射るお披露目の会。先生は下河辺ユキヒラ。
三浦ヨシズミも千葉ツネタネも八田トモイエも足立トオモトも畠山シゲタダも和田ヨシモリも梶原カゲトキも皆、頼家は弓矢の才能がある、天才だってホめてくれた。オレもそう思う。
これで源氏も安泰だね。

1190年9月7日

時政のオヤジんとこに伊東スケチカの孫が訪ねてきた。ソガ十郎と五郎。
ジジイの孫じゃ苦労してンだろうね。時政のオヤジとも親戚だから仕事の世話でも頼んだのかな。
まぁオレが気にするこたぁない。
それよりスゲェ雨だからか、なんか胸騒ぎが...

1190年11月7日

京都に着いた。ゴシラカワが来てくれ会いたいってシツコいから。
関東の田舎モンなんて言わせない立派な行列だった。道が見物人でアフれ返ってたもんな。ゴシラカワもコッソリ見にきてたって。
みんながやりたがった先頭は、ずっと畠山シゲタダに任せてた。正解だったね。

1190年11月9日

ゴシラカワと会った。サシでミッチリ政治の話。
帰りがけ「いいモンあげるから待って」と言われたけど、ヤな予感したから「またあとで」と逃げた。
後鳥羽天皇と九条カネザネとも会って、深夜、ヘトヘトで宿に戻ったら、「大納言にしたよ」って伝言。
いいモンってこれか!

1190年12月14日

鎌倉に帰る。久々の京都は楽しかったけど、ナンか息がツまる。色々メンドくせぇ。やっぱ鎌倉がイイや。
なったばっかの大納言と右大将はヤめた。とっととヤめないとずっと京都にいるハメになるンで。
この前から北条ヨシトキと小山トモマサがペアルック着てンのウケる。


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