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北条義時の日記『ライバルが片づくトキめきの魔法』⑤

1210年(承元4年)

1210年6月3日

小田原で切った張ったの大ゲンカが。和田ヨシモリ殿と三浦義村が止めてきた。
仲良く散歩してるとき、どっちの先祖がリッパだったかで言い争いになり、そこから殺しあいに。
はぁ。ポカーンだよ。
くだらねぇ理由でまたケンカしたら御家人から永久追放するぞと叱っといた。

1210年10月15日

実朝様の最近の推しは聖徳太子。みごとにハマッて沼落ち。
「太子のことならなんでも知りたい!」って目をキラキラさせてる。
大江広元殿が『十七条の憲法』『法隆寺の秘宝』などの本を探してきてプレゼント。
「天皇をカンペキにサポートしたとこマジ尊い」んだってさ。

1210年11月24日

「トリ年にイクサが起こる」ってお告げがあったと静岡の神社から報告が。
実朝様に「ちゃんと占ってみます?」と訊いたら「そのお告げがあったの21日の朝でしょ。同じ時間に私も合戦の夢をみたんだ。これ以上の占いはいらないよ」と。
トリ年って...3年後じゃん。マジ?

1211年(建暦元年)

1211年2月22日

実朝様が鶴岡八幡宮にお参りに。チョー久々。ホーソーにかかって顔にアバタができてから出かけてなかったんで、3年ぶりか。
アバタなんて気にすることないのに。ハタチの男の子は気になっちゃうのかねぇ。
仕事に打ちこめばアバタなんて忘れるさ。オレもサポートするよ。

1211年9月15日

頼家の息子ゼンザイが出家。新しい名前はコウギョウ。
京都に寄ってから、滋賀の園城寺で修行することに。園城寺ね...武闘派がそろってるけど大丈夫かな。武術のケイコなんてしないで苦行に耐えてくれよ。
実朝様の義理の息子でもあるんだから、リッパに送り出してやる。

1211年10月13日

近ごろ実朝様は鴨長明って京都人がお気に入り。何度も会ってる。和歌の話でもしてんのかね。
長明は頼朝様をリスペクトしてるみたい。月命日の今日、墓参りにいき和歌を作ってた。
「引退したら狭い家でエッセー書くのが夢なんだよね」とかよく言ってる。広い家じゃダメなの?

1211年12月20日

和田ヨシモリ殿が「千葉の長官はあきらめた。オネダリした手紙を返してくれよ」と言ってきた。
手紙を持ってる実朝様に報告したら「ちょっと待ってって言ったじゃん。なんで返せとか言うかな。バカにすんなよ」と怒っちゃった。
えっ、遠回しに断ったんじゃなかったの?

1212年(建暦2年)

1212年2月28日

相模川の橋を修理してと三浦義村が。例の呪いの橋だよ...
この橋の完成パーティーの帰り道で頼朝様は落馬、作ったイナゲシゲナリも畠山の乱のあと殺された。
ほっときましょうって実朝様に提案したら「みんなが便利なんだから直そうよ。呪いなんてないさ」と。
やさしい。

1212年5月7日

次男トモトキと親子のエンを切った。
実朝様のメイドにオカボレ。ラブレター何通も送って無視されたあげく、部屋に押し入ろうとした。実朝様も激オコ。
トモトキは「父さんもオレの母さんに似たことしただろ」と開きなおりやがった。バカヤロー、オレはムリヤリどうこうはしてねぇ。

1212年11月14日

御所で宴会。コスプレ、カラオケ、一発芸まで飛び出した。楽しかったあ。6日前の絵画バトルで負けた方のオゴリ。
バトルはベテランとヤングでチーム分け。自慢の絵を持ち寄って勝負。審判は実朝様。8月から準備してたヤツも。
結果は大江殿の絵がハマってベテランの勝利!

1213年(建暦3年)

1213年2月16日

昨日アヤしい坊主をつかまえた。取り調べで大規模なムホン計画が発覚。鎌倉中でタイホ劇が。
つかまえたなかに和田ヨシモリ殿の息子2人とオイも。なぜだ!
長野の泉チカヒラってヤツが頼家の息子をカツぎだして、オレを殺そうとした。何百人も関わってる。
ナメやがって...

1213年3月8日

鎌倉で合戦が起きそうってウワサが広まってる。
和田ヨシモリ殿が息子たちを許してくれと御所に。「オレはずっと鎌倉のために働いてきましたよ」と泣き落とし。
そういうのに弱い実朝様は息子2人を許すと言っちゃった。オレたちに何の相談もなく!
直接会わせちゃダメだな。

1213年3月9日

また和田ヨシモリ殿が御所に。一族98人を引き連れて。オイのタネナガも許してと。
今回は実朝様に会わせなかった。タネナガは主犯だから許さないって実朝様の決定をオレが約100人に伝えた。
縛って牢屋に戻すとき一族の前を通ったら殺気がハンパなかった。べつにビビってねぇよ。

1213年4月2日

和田タネナガの屋敷をもらったんで、家来にあげた。和田ヨシモリ殿が引き継ぐって決定を変更。
もう和田殿の家来が住んでたけど追い出した。実朝様の命令だから。
先日、病気のタネナガの娘がお父さんに会いたいと言いながら死んだ。
やりすぎか?頼朝様ならどうしたろう。

1213年4月29日

和田ヨシモリ殿の孫、トモモリは和歌が上手で実朝様と仲良し。
誰とも争いたくないと出家して家出したけど和田殿に連れ戻された。コイツ強いんだよな。
オレも次男トモトキを静岡から呼び戻した。コイツ強いんかな?
和田一族は、義時だけはゼッテー許さねぇと騒いでるよ。

1213年5月2日

囲碁をしてたら三浦義村からタレコミ。和田一族が襲ってくると。ついにか。
すぐ御所に行き、政子姉と実朝様の奥様を逃がした。
ホロ酔いの大江殿も御所に。昼飲みかよ。
夕方、御所とオレのウチに攻めてきた。泰時、トモトキが先頭で戦ったが、しばらくすると御所に火が。
実朝様と火事から避難。三浦義村が攻めるはずだった北門から脱出。義村が裏切って良かったぁ。
和田殿の三男ヨシヒデが強すぎ。ドーピング疑惑!でもトモトキがナイスファイトをしたと。ほぅ。
戦いは明け方まで。和田軍に疲れたが見えたところで市外に追いやった。

1213年5月3日

夜明け前から合戦。和田勢の味方が増えた。マズい。
「ムホンを起こしたのは和田ヨシモリ。敵を討て」って実朝様の手紙を大量にバラまいた。これでコッチの味方が一気に増加。でも相手も強く一進一退。最後は神頼み。
夕方、和田ヨシナオを討った。これで流れが変わった。
自慢の息子ヨシナオを失った和田ヨシモリ殿は、力なくフラフラしてるところを討ち取られた。息子たちも次々に。何人かは逃げた。
やっと終わった。勝った...
泰時は二日酔いで戦ったって。「禁酒をチカッたけど戦いの最中も飲んじゃった。もう飲みすぎません。ヒック」だと。

1213年5月4日

反乱軍の首を河原に。その数234。
最初に敵と戦ったのはドッチかの争いが。自分が先と言う三浦義村に、波多野タダツナが「私が前にいたんですけど。そんな目ならクリ抜いて銀紙でも貼っとけ」と。
オレが「今回は義村に花を持たせてよ」と説得したけど言うこと聞かないよ。

1213年5月5日

オレが軍と警察のトップに。和田殿のアトガマ。武闘派のイメージないけどイイよね。
3日の戦いで、味方の由利コレヒサの名前が入った矢が泰時に当たったことの取り調べ。
トキフサが「敵が矢を拾って射ち返しただけだよ」と証言。だけど実朝様はコレヒサ許さねぇと激オコ。

1213年5月7日

今回のボーナスを発表!
波多野タダツナは成績バツグンだけど、三浦義村に銀紙がどうとか悪口言ったんでホウビなし。言わんこっちゃない。
由利コレヒサは領地ボッシュー。なにも悪いことしてないけど...実朝様キレてんだもん。
これ以外はちゃんとボーナス配りましたよ。

1213年5月8日

泰時がホウビを返しにきた。実朝様が「なんで?もらっときなよ」と言ったら「和田殿は実朝様でなく父をウラんでムホンを。そのせいで大勢が死んだ。ホウビは他の人に。私は父の敵と戦っただけ」と。
みんなが泰時エライ泰時エライとホメるよ。オレ、どんな顔すりゃイイの?

1213年6月29日

晩メシのあと空を見てたらUFOが!ピカピカ光りながら北から南に飛んで、どっかに消えた。スゲェ!マジUFO!
最近ヘンなこと多いけど関係あんのかな?
先月は大地震が。この前は御家人たちが誰かに操られているかのように武器を持って行進。
どこの星だ!攻めてくるのは。

1213年9月26日

畠山重忠の息子チョウケイがムホン。長沼ムネマサが出陣して1週間で解決。ただイケドリって命令だったのに首を持ってきちゃった。
実朝様は「なんで殺すんだよ。出入り禁止!」と。
そしたらムネマサは「ふつう殺すだろ。甘っちょろいこと言ってんじゃねぇ」とブチギレ。

1213年11月23日

藤原定家殿が、家宝の『万葉集』を実朝様にプレゼント。実朝様は大喜び。「スゴい、スゴすぎる。いちばんの宝物にするよ」と騒いでる。
和歌について語り合う文通も続けてるんだって。
お礼に、定家殿の領地で勝手なことをやってた地頭をクビにした。ウタは世界を救う!!

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