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北条義時の日記『ライバルが片づくトキめきの魔法』⑦

1220年(承久2年)

1220年1月14日

トキフサの次男トキムラと三男スケトキが出家。いきなり。なんで?
兄弟ゲンカでもしてバツでマル坊主にされたのかと思ったら、ホントに出家。マジ坊主。
トキムラは上皇の前でもケマリを見せた、チームの柱なんだけど。
二人とも実朝様のウタ仲間。あれから1年。関係が?

1220年12月20日

源ヨリモチとの戦いで焼けた天皇のおウチが復活。カネかかったなぁ。今年はキヨミズ寺とギオンの神社も火事で焼け落ちた。
京都だけじゃないよ。鎌倉はここ2年くらいズーッと火事続き。この前の火事でとうとう鎌倉で被害にあってない場所がなくなった。
ノロわれてんの?

1221年(承久3年)

1221年5月19日

京都の伊賀ミツスエから「上皇が軍勢を集めてる」と連絡。
2時間後、別の連絡。「伊賀ミツスエが殺され、北条義時を討てとの命令が出ました」
えッ!オレ?な・ん・で?
三浦義村が来て「弟タネヨシが上皇についた。でもオレはお前の味方だ」と。
ありがとう。ありがとう。

御家人を集めて政子姉が演説。
「頼朝様たちが作った幕府がバカな言いがかりでツブされそうです。今こそ関東を守りましょう!でも京都に味方したい人はどうぞ」
みんな泣いた。
「鎌倉を守るぞ」「京都にナメられてたまるか」「戦うンべぇ」「黒いうどんツユ最高!」

ウチで作戦会議。箱根あたりで待ち構えようって決まりかけたら、大江広元殿が「守ってばかりで時間がたつと、団結が崩れるかも。ここは一発、京都に攻めこみましょう」
えっ?コッチから攻めるの?
政子姉も「京都に行かなきゃ勝てません」
ええっ?姉さんまで!?

1221年5月21日

また作戦会議。地元を離れたくないってヤツが出てきた。
大江広元殿ブチギレ。「だから早く動けって言ったんだよ。ああ、もう泰時殿1人でイイから今夜出発して」
ミヨシヤスノブ殿まで「いま議論するやつバカ。すぐ攻めなきゃ」
...2人ともキャラ変した?
俺の泰時、頼む。

1221年5月22日

早朝、泰時が京都に出発。たった18騎。
大江広元殿が「早く行け、大将1人でも行け、そうすりゃみんな続いてく」って言うから。
ホントかな。大丈夫かな。心配だな。
トキフサや三浦義村はちゃんと準備してから出陣。東海道を進む。次男トモトキは日本海に出て京都に向かう。

1221年5月25日

いやあ、大江広元殿の言う通りだったねぇ。泰時が出陣してから3日、メインどころの関東武士は全員京都に向かった。
19万騎!すげぇ!
名前をメモってたら、紙が足らなくなりそうだった。トイレなら大惨事。
太平洋、日本海、山ん中の3方向から攻める。勝ったも同然だね。

1221年6月8日

ウチに雷が落ちた。カミナリコワイヨ!
心細かったんで大江広元殿を呼んだ。
「朝廷に逆らったからバチが当たったの?」と訊いたら「雷はラッキーアイテム。頼朝様が東北攻めたときも落ちたじゃん。心配ないさぁ~」だって。
占いしてみたら1位だった。もうなにも怖くない!

1221年6月23日

泰時から手紙きた!やっときた!連絡くれないから心配したんだぞ。
で、勝ったって。やったー!
これまでどーでもいいウワサばっかり耳に入ってきたから。宴会中、昔の友だちが駆けつけてくれたのを喜んだ泰時が、この感情がすべてだ!と叫んだとか。
で、長いよ、手紙。

”6月5日 愛知到着。打合せ。いっぱい道あるから分かれて攻めることに”
そうですか。

”6月7日 岐阜到着。打合せ。色んなとこから攻めることに”
2日前と同じこと言ってるね。

”6月9日 父さんが殺されたってウワサが。まあ、ウソだろ”
もっと心配しろ。まあ、ウソだったけど。

”6月12日 滋賀到着。宴会中、古い友だちが来てくれた。仲良し姿を見せつけてやった。みんなキュン死した”
これか!でもこんな情報いらん!

”6月13日 宇治川で戦い。負けちゃった。敵の矢がすごい数なんだもん”
いきなり負けてんじゃん。実はヤバかったのかもね。

”6月14日 泳いだりイカダに乗ったり裸になったりして宇治川を渡った。大勝利”
ヨシ!

”6月15日 上皇から「今回のことは家来が勝手にやったんだ」って手紙。戦いは終わり”
おい、上皇さんよぉ...

”6月16日 戦後処理開始。父さん、手紙送るね”
やっぱ泰時最高!

1221年8月7日

ゴトバはオキに島流し。そろそろ着いたかな。そこに行けばどんな夢もかなわないよ。
京都チームの土地は没収。泰時が調べたら3000ヶ所以上。よく数えたね。エライ。
政子姉が仕切って、味方で山分け。
オレは受け取らなかった。当然じゃん?そんなにホメなくてイイってば。

1222年(承久4年)

1222年2月6日

御所の庭でドッグハント。ミトラ様、大ハシャギ。20匹の犬を4人が順ぐりにハンティング。
犬、オレの守り神...かわいそう。でもミトラ様が喜んでるからOK...なのかなぁ。
三浦義村が審判。「いぇい!また当たった。スッゲェ。次いってみよう!」じゃねぇよ。だめだこりゃ。

1223年(貞応2年)

1223年5月5日

ミトラ様と宴会。というか、おゆうぎ会。女性歌手に歌ってもらった。ミトラ様、大興奮。
オレも感動しちゃったんで上着をプレゼント。政子姉や三浦義村も盛りあがってた。
最近のミトラ様は若いのと手マリやったりスモウやったり楽しそう。
よかったね。イイでしょ、鎌倉。

1224年(貞応3年)

1224年2月29日

去年の冬、外国の難破船が新潟に流れ着いた。たかが恋を忘れるために、海の底に沈もうとしたのかな?
船にあった弓や刀が届いた。外国人は来なかった。残念。身長57メートル、体重550トンあったってウワサ。見たかったよぉ。
ナゾの4文字が書かれたフダにみんな興味シンシン。

1224年6月12日

朝から調子悪い。最近ちょっとおかしいなと思ってたら、いきなりMAXで体調不良。
今年に入ってからヘンなこと多かったんだよね。
ミトラ様ンちの台所の釜にキノコ生えたり、巨大魚の死体が鎌倉の海岸に押し寄せたり。
こっそりキノコ食べたのがマズかったかな。味はウマかったけど。

1224年6月13日

もうダメ。脚イタイ腹イタイ頭イタイ泰時に会いたい。
向こう行ったら懐かしいみんなに会えるかな。
62歳。面白い時代と人生だった。
ミトラ様に断って出家。念仏唱えてるうちに死んじゃった。
ん?死んでるのは確かにオレだが書いてるオレはいってぇダレなんだろう?(完)

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