風街ろまんの憂鬱
初夏と言うにはまだ早い梅雨空の朝。
朝、といっても、空の色はまだ薄暗く、まだ町が機能を始める前、ほんの小道に歩を向かわせるのがたまらなく好きだ。
場所はどこかというと、“都会”というまやかしの羽衣を身に纏おうと必死に背伸びしているような、私が生まれ育った町。
幼い頃には、はっきりと“田舎”という形容が何の抵抗もなく当てはめられたが、最近では都市開発とか、取って付けたような町おこしか何かかわからないが、不慣れな化粧で着飾る思春期の女の子のように、みっともなく見栄を張っている。
フランチャイズ化された、どこの町でも見れるようなお決まりの看板がそこここにぶら下がっているのを確認し、ため息をつきながら遠くの方に視線をやる。
雨が降っているので傘をさして歩いた。
時代に取り残されたようなトタン屋根に雨が突き刺さる音と、せっせと働く雨樋の掛け声があたりに響き渡っている。
不思議と、煩わしさを感じない。
細胞が増殖したような、建築法を無視して勝手に増改築を繰り返して成立している家並みを見て安心してみる。
ふいに、あの遠くの山の方へ目をやると、だいだらぼっちか何かがギョロッと目をひん剥いて、こちらの様子を伺っているような、そんな景色が瞼に映し出されそうだ。
紅色を含んだ金襴緞子の鼠の嫁入りが、小さな大行進を伴っていそうな、そんなコントラストの妙。
まだいたんだね。
気づいたら雨は上がり、日が差し始める正午あたり。
誰もいない空き地の草っぱら、湿気を含んだ空気、鼻の奥底を嫌でもつんざく、むせ返るような植物の匂い。
意味もなく生い茂った草原の中に、失くしたおもちゃが転がっていそうで、目を背けながら、急いで歩を進める。
彼らの持ち主はどこかへ行ってしまった。
小学一年生の下校時分、母親が家路の途中まで迎えに来た風景が、曖昧なドット絵のように一瞬にして思い出された。
あの頃、あざやかに僕らを騙した道化師のような大人たちはどこへ行ったんだろう。
ゴロゴロ雷、雨ザーザーの、世界に自分だけが取り残されたような、一人ぼっちの留守番をする頼りない夜もどこへ行ったんだろう。
そんなことを考えながら、昨日見た夢の続きを追いつつ、自分が駆けずり回っていた裏路地を確かめるように歩き回る。
いつの間にか夕暮れになっていた。
絵本にでも出てきそうな赤青黒のグラデーション、バックに一本松と寺のシルエット、最後の一滴を加えるようにカラスの鳴き声が響き渡る。
そういえば、あの頃、野暮なレトリックで僕らを煙に巻いた、正体不明のおじさんだけがいない。
宵闇通りを歩きながら、遠くで鳴る鐘の音を聞きながら考えるのは、“生活していく”ということだけに特化したような、この町の胡散臭さ。
くたびれた街灯が生活を照らしている。
真っ暗闇の中、遠くで電車が生活を運ぶのを目撃して、私はまた眠りについた。
〈今日の覚言〉
どんな怠けた人間でも、何かと誠実に向き合える“場所”がどこかにある。
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