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【漢法いろは塾】東洋医学の原典『黄帝内経』について、講義をしてきた #2

東豪です。3月15日(日)に東洋医学の鍼灸の歴史について、姉弟子の皆様が発足した漢法いろは塾で講義をしてきました。



今回は、鍼治療(はりちりょう)を行う上で外すことのでできない、①道具、②経絡(けいらく)をメインに据えました。

最後に、東洋医学独自の概念である③三焦(さんしょう)について触れました。


①道具について

鍼治療は、金属製の針金を身体の中に刺し入れる治療である。

もともとは、砭石(へんせき)と呼ばれる石メスで、腐敗したり外痔核などの余計な肉を切ったり、化膿した場所を切開して排膿したりしていた。その後に、金属製の針金を刺しいれる鍼治療へと移り変わっていった。


石メスから刺入する鍼へ。「鍼を刺いれるという発想は、いつ、どこからきたのか……」。

参考にさせて頂いた黄龍祥『中国針灸学術史大綱』を見てみると、『黄帝内経』以前の歴史書群(『呂氏春秋、『史記』)や発掘された書籍群(『馬王堆漢墓出土の医書』など)に書かれている条文と、『黄帝内経』に書かれている条文を比較することで、その謎の一端を明らかにしている。



例えば、病の軽重と刺入深度の関係性を示した砭石の刺鍼原則の条文と、『霊枢』九鍼十二原の微鍼(びしん)の刺鍼原則の条文の近似性を指摘している。

すなわち砭石の刺鍼原則をスピンオフして、刺鍼として解釈されている微鍼の刺鍼原則としたという説を一例として挙げている。

要は、いきなり鍼の打ち方が現れたれたのではなくて、『黄帝内経』が書かれる以前の経験をもとにして、微鍼(微鍼といっても、今よりはずっと太かったと思います)の草創期の刺法を作り出していったのだと思います。

◆図 1968 年に河北省満城の劉勝墓から出土した西漢の金鍼

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※写真は『真柳誠「経穴部位標準化の歴史的意義」』より転載


②経絡について

日本や中国、韓国や台湾をはじめ、中国を起源とした東洋医学は、『漢書』芸文志の『黄帝内経(こうていだいけい)』という一つの経典から興りました。


※補足…正史『漢書』の図書目録部分であるが、今となっては佚してしまった最古の図書目録である劉歆の『七略』をほぼ含んでいる点でも貴重であり、中国書誌学研究のうえで最も基礎的な資料となるものである。(抜粋:中医学工具書提要・漢書藝文志 (附:歴代正史藝文經籍志)


今では、『黄帝内経』が編纂されたであろう以前の出土品が、馬王堆漢墓をはじめいくつか発掘されている。この発見は、とってもとっても大きな影響を与えました。


微鍼を刺鍼原則を提起した『黄帝内経』の経絡学説を「古代経絡学説」とするならば、いわば砭石の刺鍼原則を提起した出土文献は「超・古代経絡学説」といえる。両者を比較することによって、朧気(おぼろげ)ながら経絡学説の意味が解明されてきた。

※『黄帝内経』の経絡学説を「古代経絡学説」とする理由は、現代の経絡学説が1341年・中国元代の滑伯仁『十四経発揮』にほぼ基づいているため。


『黄帝内経』の古代経絡学説と、出土文献や出土品から明らかになってきた超・古代経絡学説を比較すると、かつては「直線的で蔵府との関わりもなく、他蔵との関わりのなかった」超・古代経絡学説でしたが、『黄帝内経』の古代経絡学説は、「端なき環の如し」という循環といった新概念を提起しました。


これらを比較することで、『黄帝内経』の鍼治療における最も重要なキーコンセプトが「経絡を調えることで、気血をめぐらせる」ことを目的とした治療であることを再認識した。


反響

東洋医学の講義では、日常生活の上で触れることのない文体である漢文や書き下し文を読んでいくため、慣れない方には本当に骨のある内容である。ベテラン先生方からは「刺激になった」や、卒後2年目の先生からは「途中難しかったけど、勉強したいと思いました」と、比較的前向きな言葉を頂けたので、まずは及第点かなと思います。


次回予告

『黄帝内経』によって、東洋医学的な哲学(ものの見方・捉え方)・診断と治療のアイディアに関する、粗削りながらオリジンのすべては出そろった。


次回は、この『黄帝内経』のアイディアを承けて、『黄帝内経』のアイディアの画素の粗かった部分を補いかつ詳細に描き記していった『難経(なんぎょう)』という古典について触れていきたいと思います。


講義の日程は、近く決まりましたら詳細をお知らせしますので、ご興味のある方は是非事務局の方までご連絡下さい。ではまた。

漢法いろは塾 事務局
📞03-3379-4622



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