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隣の芝生が猛烈に青いとき

Twitter(X)を見ていると、よく対立構造になっているなと感じることがある。最近よく見かけるのは専業主婦 VS 兼業主婦であろうか。

お仕事を持ち家事育児をされている兼業主婦とよばれる人々の中には「ずっと家のことをやったり、子供と向き合っているよりは、仕事という別のフェーズがあった方が日常がうまく回る」という人もいると思う。一方で「本当はもっと家のことや子供のことにコミットしたいけれども、経済的な事情等があって働かざるを得ない」という人もいると思う。兼業主婦という言葉でまとめられるほど、その内容は単純ではない。

同じく専業主婦と呼ばれる人たちもおなじだ。経済的に余裕があり、自ら望んで専業主婦になっている人もいるであろう。一方で転勤族の妻で各地を転々とするため職に就くのが難しいケースもある(私の知り合いには海外も含めてのケースもある)。また、言葉は悪いがかなり育てにくいタイプであったり、諸般の事情で子供でつきっきりになる必要があるケースもあるだろう。あるいは介護を抱えているケースもある。仕事をすることができる人が羨ましいという方も多いと思う。こちらも専業という言葉ではまとめられないのである。

いずれにしても、「今自分の置かれている状況が苦しい」という場合には、他人を思いやる余裕などありはしない。隣の芝生は猛烈に青く見えるし、他人の苦労など私の苦労の足元にも及ばぬというような気持ちにもなりかねないのである。また、苦しい状況は100%本人のせい、というケースも少ないであろう。

つまり、誰かを引き合いに出して自分の辛さを訴えざるを得ないときは自分が相当追い込まれているというバロメーターであるかもしれないと思うのだ。

人はすべてを話すわけではないし、他人の状況などを全てはわかりはしないし、あえて全て黙っている人も数多くいると思う。自分が隣の芝生が猛烈に青く見えたり、他人の窮状が小さいものに思えてしまうとき、自分は自分を生きられない辛い状況にあり、どこか改善が必要なのだ…そう思うことにしている最近だ。


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