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#3 母のRPGだった私の人生。

〜同級生のサンドバッグになった3年間〜

前回、塾内でイジメにあっていた事に少し触れましたが、今回はその続きからです。

私の通う塾は、地元密接型の小さな塾でした。生徒数は120名程度。小規模ながら、しっかりクラス分けも行われていました。学籍番号で張り出しますが、月日が経つにつれて、皆学籍番号と個人名が一致するようになり、実際実名張り出し制度でした。最初こそ同じクラスになれた事を喜んでくれた人達が、1人、また1人と、私が同じクラスにいる事を嫌がるようになりました。私は1番上のクラスに入らないと、身の安全はなかったので、必死にビリにしがみついていました。それが彼女達からすると気に食わなかったのでしょう。確かな実力のある自分達と雲泥の差がある私が同じクラスにいる事が気に入らなかった生徒達からのイジメが始まります。

手始めに、明らかに同じクラスの全員が冷淡になっていきました。クラス分けの後に教室に入ると、全員がゴキブリを見るような目で私の事をまじまじと見つめます。そして、いつの間にか徹底的にハブかれるようになりました。私が教室に行くと、蜘蛛の子を散らすように女の子皆が教室から走って逃げていきます。お弁当も当然1人で食べざるを得ないし、誰かに話しかけようとすると笑いながら他の人達の元へ逃げて行く。それを面白そうに見る男の子達。私はには塾にも家にも居場所がありませんでした。

そして、恐るべき事に、私はこの時期小学校でも同じようなイジメを受けていました。キッカケは、授業中に学年で人気な男の子と話している所を先生に注意された事。それが反感を買い、同じような現象が小学校でも起きました。極め付けには、その男の子が私の発表の際に「こいつの発表は拍手しなくて良いでーす」と言い出したり(担任教師もその場にいたが、見て見ぬふりで結局私の発表には誰も反応しなかった)塾と同じように徹底したハブが始まりました。(結局小学校のイジメは、女の子のある1人だけ何も無かったように接してくれ、その子と漫画を描いているうちにアッサリと終わりました)

〜虐められるのは私のせい〜

親にいじめの事を相談しなかったのか、と思う人も中に入ると思います。結論から言うと、自分の家に遊びに来た同級生からの嫌がらせなどは相談していました。しかし、母が聞く耳を持つはずもなく「お前が悪い」「そんなに嫌なら人を呼ぶな」と、虐められるのは私のせいだと言い切っていました。そして何よりも私に追い打ちをかけたのが、「だから女は面倒臭いんだ」という言葉でした。勇気を振り絞ってたった一度した相談。泥まみれの靴でぐしゃぐしゃに踏み躙られた気分でした。

これによって、私は誰かに自分の学校及び塾でのイジメを打ち明けることは出来ず、特に塾に関しては受験が終わるまでの3年間、ひたすら毎日猛烈なイジメを受けていました。

〜転入生もグルになって楽しんでいた〜

私の通う塾には、かなり頻繁に外部生が転入してきていました。私の1組も例外ではなく、とても優秀なMちゃんが加わりました。事件は授業中の小テストで起こります。Mちゃんは私に突然小さく折った付箋を私に渡してきました。既にイジメられていた事もあり、軽い反抗はしたものの、Mちゃんの言う通りにメモのやり取りをしました。(問題の答えを教えあった)

テストの後、Mちゃんは「私の家に誰も見ていないゴミ箱があるから、そこで私が捨てる」と言い張って聞きませんでした。多少疑う所はあったものの、あまりの頑固さに私は諦め、メモの全てを彼女に託しました。

そうして数日後、私は「カンニング犯」として講師に呼び出されました。

「私がMちゃんを誘い」「答えを教えるよう強要した」

という罪状でした。勿論、事実無根です。しかし、母は嫌がらせ段階ですら聞く耳を持たず、むしろ私を責め立てていた人です。そんな人に話して解決するわけがないし、むしろまた自分が責められる。そう思った私は、全てを諦めて罪を認めました。

〜どこにも居場所のない日々と高まる自殺衝動〜

家では虐待、学校と塾ではイジメ。人生の苦難を全て味わったのではないかという位、私の精神は日々蝕まれて居ました。自殺衝動が自分の中に確実な姿で根を生やしたのが、この頃からです。

小学校の帰り道は涙でタプタプの目で何本も信号を飛ばした。帰りたくなくて、死んでしまいたくて、何本も何本も信号を飛ばした。

塾には居場所が無くて、お弁当もひとりぼっち。私が動くだけで人が蜘蛛の子のように散っていく日々。それを見て見ぬふりして、成績優秀な子を依怙贔屓する講師。

付いて行けないなら金の無駄。下のクラスに行けと私を責める父親。私が実際に下のクラスに落ちてしまった時には殺されるんじゃないかという勢いで締め上げ、「保護者会で、何でこんなクラスの説明を聞かなければいけないんだという顔をしてやった。これでお前の立場は明日からねえな!」と高らかに話す母親。

消えてしまいたかった。死んでしまいたかった。楽になりたかった。

だから、ハサミで手首を何度も擦り、飛び降りようとベランダから毎日身を乗り出し、交差点に飛び込もうと赤信号に何度も飛び込んだ。死ねなかった。

いつだか、メジャーで首を吊ろうとした事が母にバレた。「そんなんで死ねると思ってんの?あんた面白いね笑」と鼻で笑われた。

そして遂に、私の精神の限界が来た日、私は泣き叫びながら「もう死にたい」と母親に告げた。普通の家庭なら、自分の子供がこんな事を言うなんて、両親が頭を抱えて嘆く大問題である。しかし、私の母は「あっそ。じゃ、そんなに死にたいなら受験終わったら死ねば?」と突き放して終わった。

この一言で、私は母が自分を「受験に成功させて名門校に進学させる」という目的に特化した、いわば自分の第二の人生を自分好みにカスタマイズして歩ませるだけのRPGなのだとりました。

そして、私は毎晩布団の中で声を殺して泣いて髪を引っ張りながら「自分は粗大ゴミだ。生まれちゃいけなかったんだ。ごめんなさいごめんなさい」と呪文のように言い聞かせて辛い日々を過ごして居ました。


さて、次は遂に中学受験編ですが、その前に閑話休題で今の私に関するお話を書こうと思います。

寒い日々が続きますが、どうぞご自愛下さい。


2021.12.28 小豆

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