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リセットされる前に。

時間が無い、時間が無いと騒いでいる割にはこんな文章を書いている暇があるのかという話なんだけれど、勢いよく作品を作っていこうとしてもどうしても一つ区切りがついた瞬間に訪れるダウンタイムというか、何にも出来ない期間が訪れる。これまではそれに身を任せてゆっくり進んできたのだけど、まさかこんなに切羽詰まるほど作品が貯まるとは思っていなかった。

ずっともう何も作れないと思ってたし、作れると思っても何も出来なかったのも本当のこと。それでもこの四年間、六年間(?)一生懸命何かを作ってきたし本当に自由だった。

これは2024年1月16日時点での一番新しい曲だけど、それなりに上手くいった気はしてる。いや、結構上手くいった気がしてる。動画とかはまあ致し方なく作っているから適当だけど曲と歌詞は本当にテーマに沿ってよく書けたと思ってる。

とにかくサビでの転調で曲の世界が開ける感覚っていうのをどうにか作り出してみたかったからそれが出来たのが大きな成果だと思う。曲自体は去年の10月にはあった気がするけどメロディと歌詞が全くハマらなくてずっと放置されてた。LTPでの活動で異様に戦略的に、考えながら作る音楽を制作している過程でここをこうしたらどうなるっていう曲の作用がクリアになってきた。

それを経てもう一度ファイルを開いてみて、時間が経った故にきっとこれはこういう形になって別の曲たちと一緒にアルバム単位になるんだろうと思うとアレンジもすぐ決まった。

「箱の中の人々 = People In The Box」という歌詞とタイトルにするのは凄まじく後ろめたさがあったけれどどうしてもつけたかったからつけた。誰かに気づいてもらうとかじゃなくて、自分が忘れた頃に、この時の自分はPeopleにここまで連れてきてもらったことを思い出せるようにつけた。

「木漏れ日、果物、機関車」という曲の中で波多野さんは時間の流れに対してこう描いていた。

「紙幣が印刷される速度で
 年老いていくしわしわの赤子へ
 少年はいまエレベーターにいる
 思い出は部屋に残していけ
 ハッピーバースデーから
 レストインピースまで
 埋め尽くすだけ」

時間は音速で過ぎていく。明日もきっと何かを作ろうと努力だけはしてみる。何も出来ないかもしれないけど、それしか自分の中の孤独と向き合う方法は無いから。孤独でも無いのだけれど。相容れない感覚は自分の曲に入れてしまえ、まだ残ってるからまだ作れると思ってる。これまではその時思っていることを描いた作品を出してきたけど、時期的に振り返りの作品を作ってもいいのかなと思っている。

自分の一番苦しかった部分をまとめて曝け出して、全く違う生活にこのジュブナイルをリセットされる前に音のパッケージにして残さなきゃいけない気がしている。だから何があっても止められないよってね。学生が終わる終わると騒ぐ声を背中に受けて、これまではこのためにあったという作品を一つだけなんとか形にしたい。そして思う、時間が無い。

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