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小説| 水際の日常。#14 - フェミニズム通用せずの現場から。

■同意と不同意のあいだに

 帰りの車内で空がすすり泣いていた。
 これにはあたしも罪悪感が湧いた。
 想像以上に癖の悪い男だった。更磨町の印刷会社の社長だという藤田は、はじめから空に狙いをつけていたようだ。

 アフターで連れて行かれたスナックは、心霊スポットで有名な岸壁のそばにあった。
 オールドアメリカンな佇まいの廃ペンションの、道路に面したひと部屋を改装し営業しているのだが、スナックとして使用している部屋以外は真っ暗で、全体的に薄気味悪かった。
 あたしたちは、それぞれドリンクを注文し、藤田を挟むようにスナックのテーブルに着いた。藤田は空を自分の隣に引き寄せ、地元の中小企業経営者らしい将来のビジョンを自己顕示欲たっぷりに語り出した。
「オレ、この店に共同出資してんの。これからここを拠点に、古いしがらみとか取っ払って、フレッシュな感性で町の経済を盛り上げていくから、みんなも応援よろしくな」
 あたしたちは普段通りのお仕事モードで「お若いから行動力ありますね」「スゴいですね」と褒めちぎった。
 順番にカラオケの曲入れをしている時も、藤田は空の腰に手を回し、隣にぴったりくっついて離れなかった。空はすっかり捕まっていた。

■マスキュリズム無双

 ここで、あたしかひめ乃が間に入って空をフォローするべきだったのだ。
 少し前、別のお座敷のアフターで、あたしが水産加工会社の常務の男の餌食になった時は、ママがあたしの身代わりになった。
 その男は地元の太客の一人だった。田舎の水商売は、太いお客が切れたらその穴埋めになりそうな新規さんを見つけて定着させるまでに都会とはまた違った労力と時間がかかる。だからママは、古い付き合いの太客が多少のやらかしをしても目をつぶる。
 その男は自分の股間を指差して「おまえ、今すぐこのチャックを下ろしてオレのちんちんを揉め」とあたしに命令した。ぜったいに無理だと思ったが、個人的な感情で置屋の顔を潰したくもないし、だからといって「嫌です」とも言えず、今にも泣きそうだったあたしの顔を見たママがすかさず「はいよ!どれどれあたしが揉むよっ、はいっ、一、二、一、二…」と、男のズボンの上から両手でリズミカルにパンを捏ねるように股間を揉み始めた。
 後に続いて、「一、二、一、二…」とコンパニオンたちの軽快で間抜けな合いの手も加わり、笑いに変えながらあたしを上手く逃がしてくれたママの機転の利いた対応に、あたしは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。ママは今まで何人分の客のNG行為の身代わりを引き受けてきたのだろうか。
 …でも、あたしはママみたいに空の身代わりになるのを避けた。藤田に指一本触れたくない生理的な嫌悪感のほうが勝ってしまった。接触が無理なら話術を使って空を救出することも出来たかも知れないのに、あたしはそれさえも怠った。空も空で、トイレに行くとか別の用事を作って藤田から離れればいいものを、初出勤の緊張のせいなのか、怖くて逃げる気力を失っていたのか、藤田が空の耳たぶをペロペロと舐め始めても、抵抗することなく目をトロンとさせてまんざらでもないそぶりをするので、あたしはすっかり混乱していた。
 うわぁ何このオッさん気持ち悪い…。あたしもひめ乃もつい露骨に顔を歪めたが、空が抵抗なく受け入れているのを見て呆気に取られ、声をかける隙も見つけられずにいた。すると、藤田と空はハプニングバーの如く、互いの身体を触りながら舌を絡め合い、恋人同士のようなディープキスをし始めた。
 えぇ?!どういうこと?かれんもユウも、皆、素知らぬ顔でカラオケに興じるフリをしながら、内心困惑していた。

■気づいたらあたしもセカンドレイパー

「空ちゃん、ゴメンね。気づいてあげられなくて。嫌だったんだね、ほんとにゴメン、謝る」
 後部座席で泣き止まない空をひめ乃がなだめている。
「あたし、一人で結構がんばってましたよね?なのに皆さんアフターで手ぇ抜いてませんでした?新人のあたしが生贄ですか。この仕事ってそういう仕事なんですね。っていうか、あのオヤジ、マジ気持ち悪い。舌まで入れて来たんですよぉ。汚ねぇ。早く帰って身体洗い流したい」空の嗚咽が治まらない。
「空おまえ、がっつり酒飲んじゃってどうすんの車で来たのに。二人で飲んだら誰が運転して帰んの、バカ。詰め所に泊まって明日帰るしかねえだろうが。風呂は詰め所で借りよう?とりあえず息子はおかんに迎えに行ってもらったからいいけど、早く帰りたいわぁ」かれんがキレ気味にぼやいた。
「空ちゃん、初日なのによくがんばった、立派だよ。そこは褒めるわ」ひめ乃が続けた。「…だけど、そんな下着みたいな服装でお座敷に出たらさ、『どうぞセクハラしてください』って言ってるようなもんだからね?あたしたちは所詮、酌婦な訳。お酌以上のサービスで自分を安売りしていったら一時的にウケるかもしんないけど今後ますますしんどくなって病むよ。個人プレイでガンガン稼ぎたいなら派遣コンパニオンじゃなくてキャバ嬢やったほうがいいって。あと、空ちゃんは黒とかの清楚系のワンピース着て接客したほうがかわいいし普通に人気出ると思う」
「えぇー、でも今日のお兄さんたち、『他のお姉さん方はなんでみんな喪服着てんの?葬式の帰り?』って言って笑ってましたよ」
 ひめ乃は明らかにカチンときていたが、あたしは吹き出しそうになった。

■綺麗に生きていけるはずもない

「ところで率直にお聞きしたいんですけど」空が続けた。「この業界ってやっぱり本腰入れて働くとなったら枕とかもやらないといけないんですか?」
「客とやったらおしまいだってママが言ってたけど」ユウがすかさず口を挟んだ。ユウ、あんたがどの口でそれを言う?とあたしは言いたかったが黙っていた。あたしもこの仕事を始めたばかりの頃、亜哉子ママに同じ質問をしたことがある。ママは言った。
「あたしは売れたかったから、若い時は色恋営業でもなんでもガムシャラにやってた。けどね…枕で稼いだお金ってなんでか知らないけど、すぐになくなっちゃうんだ。早く使い切らなきゃと急き立てられるの…なんなんだろう…まさにあぶく銭というか。それと、枕でつないだ仕事なんて後が続かないから。田舎だと噂もすぐ広まるからうちにいる間はやめてね」

 皮肉にも、娘ほど歳の離れた新人のおかげで今日の稼ぎはいつもの三倍ほどになった。
 諭吉が数枚入った茶封筒をひめ乃から受け取った時、後味の悪さとともに、「これで今月は豚のこま切れ肉でなくもう少し高い牛肉を買ったり美容室で髪を染めたり木更津まで遠出してイオンモールで服を買ったり、先月よりも気持ちに余裕を持って過ごせる…」、と安堵した自分を、否めなかった。
 自分の娘をデリヘルで売春させ生活費の足しにしていた母親が逮捕された事件をその日のネットニュースで見かけた。母親への軽蔑の感情は、ブーメランになって自分に突き刺さった。あぁあたし、ずいぶんと落ちぶれてしまった。#第15話に続く

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