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小説| 水際の日常。#11 - 膝でタコを飼う女。

■トンネル抜けて

 前方の軽トラのノロノロ運転にひめ乃はかなりイラついている。
「ここ、追い越し禁止区間が長いからしばらく追い越せないわ…ゴメンね」あたしが謝る。

 東北地方のリアス式海岸にも似た不連続な断崖が続く海岸線のトンネルに、時速四十キロほどのスピードで吸い込まれては、息継ぎをするように海の見える通りに出て、また不可解に長いトンネルの中にすうっと潜っていく。あたしを乗せた車は、あたしの運転に忠実に従い、到着したくないのが本音の…目的地へと向かっていた。ひめ乃以外の後ろの三人はすっかり眠っている。ついこの間、西のほうで起きたばかりのトンネル陥落事故があたしの頭をよぎり、車がトンネルに入るたびにわずかに身体がこわばる。

 最後のトンネルを抜けると、港町に出た。
 頼りなく点滅する街灯の周りに大量の小さな蛾がほろほろと飛び回っている。車がすれ違うことが不可能なくらい幅の細い私道を蛇行すると、日本のお城をオマージュした癖の強い外観の瓦屋根の白塗りの建物「シーサイドホテル天空」が現れた。あたしは、あぁ着いちゃったな…と、あきらめモードで砂利の駐車場にしぶしぶ車を停める。
「まだちょっと早いね。このまま車の中で待ってようか…」ひめ乃が宴会場にいる幹事とスマートフォンで連絡を取っている。「今、幹部クラスが順番に挨拶中だって。とりあえず中に入って乾杯直前まで廊下待機するのがベターかな。さっ、行こう」

■NO座布団、正座接客、乙

 ホテルの玄関の隅に、パンプスを綺麗に並べる。下駄箱があっても、そこに自分たちの履き物を入れることはない。靴を脱いだあたしたちは速やかに移動し、宴会場の外の薄暗い廊下に正座して出番を待つ。

 襖の向こうで大きな拍手が聞こえる。
 襖の隙間から中の様子を覗き、ひめ乃がタイミングを見計らっている。
「行くよ」ひめ乃が小声で呼びかけた。

 襖が一気に開く。
 眩しい。
 お兄さん方がこちらに奇異な視線を向ける。
 …当たりだな、外れだな。
 そんな言葉が聞こえた気がするが、空耳かも知れない。

 これから、派遣コンパニオンの仕事の幕が開く。
 お座敷の隅に横並びで正座したあたしたちは、お兄さん方に向けて顔を上げ、三つ指を立てる。
「本日は、みね岸へのご指名、大変ありがとうございます」
 ひめ乃の挨拶に続き、「ありがとうございます!」
 全員で深くお辞儀をする。
「よっ」という掛け声と軽い拍手が会場に湧く。そして、ゆっくりと顔を上げた瞬間から、二時間一本勝負の、前哨戦が始まる。

 ホテルの従業員たちが、ビールやソフトドリンクの瓶の詰まったケースを次々と座敷に運んでくる。あたしたちは栓抜きを指に引っかけ、瓶ビールを両脇に抱え、室内をせわしく移動する。
 一旦テーブルに置いた瓶ビールはその場で速やかに栓を抜く。そして、お兄さん方に次々と声かけしながらご希望の液体を休みなくグラスに注いでいく。烏龍茶が良いのか、オレンジジュースか、焼酎のお湯割りか、ロックか。最初の乾杯ぐらいは全員ビールか烏龍茶にして欲しいのが本音だ。人数が多いと、個別に希望のお酒を作るのは至難の業だ。
「お姉さん、何飲むの?」いやいや、今それどころじゃないから結構です、と言いたいところだが、断るのは失礼にあたる。
「あ、じゃあ烏龍茶お願いします」
「なんだつまんねえなあ!おめえ飲めねえのが!あっ、運転手なのね、いいよ、帰れなくなっても。オレ送ってやっがら飲め、なんてな、あっはっは」
 あたしは愛想笑いでかわしながら、お兄さんが注ぐ烏龍茶をグラスで受ける。
 正座する両膝がすでに痛むがもちろん笑顔は絶やさない。お兄さんが「いいから座りな」と座布団を出してくれた場合は別だが、通常はコンパニオンが座布団に座ることは許されない。ベテランのお姉さん方の膝には必ず黒ずんで角質が硬く盛り上がった「座敷ダコ」が育っている。新人のあたしの膝も、うっすらと変色が始まっている。

 全員にグラスが行き渡ったら、宴会のウォーミングアップは完了だ。
「乾杯!」
 かんぱぁいっ!!威勢の良い掛け声と、猛々しい拍手の音が、いよいよ本戦の始まりを告げる。
 アルコールを注ぐタイミングは本当に難しい。グラスの液体が二割減ったくらいのところでせわしくお酒を注ぎ足すのは個人的には野暮な感じがするし、「ゆっくり自分のペースで飲みたいのに」とお兄さんに嫌がられる時もあるのだが、置屋としては、お座敷での酒の消費量が多いほど会場の店に贔屓にしてもらえるので、テーブル上のグラスが少しでも減っているのをひめ乃が見つけると「モッチィ、早くお酒注いであげなよ」とあたしを急かす。
 今日のお座敷は、ホテルスタッフの人手が足らず、お酒の手配の他に、お膳の料理の配膳や空いた皿の撤収のサポートもしなくてはならなかったため、お兄さんと密に交流する時間が減ってあたしの中ではラッキーと思った。

■煮魚の小骨取るの上手くなったよ

 お一人様用の小鍋の固形燃料の火が途中で消えてしまい、チャッカマンで火を着け直さないといけない時には、お兄さんに手を添えてもらって「コンパニオンとの初めての共同作業」に仕立てるといっきに場が盛り上がる。このくらいのサービスならあたしはエキシビションとして喜んで応じるのだが、鍋の火が充分に通ってから具を小皿に取り分けてあげるルーティンにはうんざりする。中には「自分でやりますから…」と気まずそうに断るお兄さんもいらっしゃるが、「それ正解!違和感ありますよね?そんなことされてもうれしくないですよね?」と言いたい気持ちはそっとあたしの胸にしまう。基本は亜哉子ママのマニュアルに従うのがあたしたちのルールだから仕事中は時代感覚が意味を持たない。

 海沿いの老舗の高級料亭の、着物のお座敷仕事に呼ばれた時に必ず出てくる魚料理の取扱いにも毎回悩まされる。
 殿方のお隣に寄り添い、とりとめもない会話をつなぎながら、九十九里エリアの魚料理の定番、キンメダイの煮付けを殿方が食べやすいようにおてもとを使って身をほぐし、小骨を取り除いて差し上げる作業もみね岸の基本サービス。安心してください、これはただのイメージプレイ。智之、あたし煮魚の小骨取るの上手くなったよ、と報告したい衝動に駆られる。もちろん、煮魚の小骨取りよりも、重要なのはアルコールの消費量である。あたしたちは正座した足の痺れと戦いながら、どうやってお兄さんにお酒を飲ませようかと常に試行錯誤するのだ。その上でのお酒の失敗は、ベロベロになって記憶を失くしたとしても、がんばった勲章みたいに扱われ評価してもらえる。飲めないあたしは評価の対象から外れるばかりか、お座敷の一部始終を毎回シラフの状態で見届けることになため、その場で起きた胸糞悪い出来事も全て記憶にとどめているから損だ。#第12話に続く

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