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私の孤独を救ってくれた コンビニ店員さんへ
人間が本当にダメになってしまうのは、挫折した時でも、誰かに非難された時でもなく、心の底から「自分は孤独なんだ」と感じた時ではないかと、思う。
振り返ればこの3年半、孤独を感じる事ばかりだった。
大学卒業後の2020年4月、私の社会人生活はコロナと共に始まりを迎えた。こちら新入社員、直接友達と言い合いたい愚痴なんて死ぬ程ある。それすら、許されない。毎日顔を合わせるのは、2回り以上年の離れた職場の人達だけ。
お堅い業種だったので、端的に言えば「社員の使い捨て」的な社風にも、馴染めなかった。例えば、パワハラを受けて退職した人の代わりの業務を、入社2ヶ月で1人で全部担当させられたりした。私が仕事でどんなに困っていても、上司は誰一人助けてくれないどころか、むしろミスの責任を押し付けられることもあった。
心底、私は軽蔑した。
軽蔑はしたけれど、日常は続く。食べるためには、お金が必要である。お金を稼ぐには、会社に行って、なーんにも傷ついてないフリして、馬鹿みたいにヘラヘラ笑っていないといけない。私の心は、徐々に荒んで、動かなくなっていく。
私は毎日退勤後に、職場近くのコンビニに寄るのが日課だった。そのコンビニは外国の方が沢山働いていて、流暢に日本語を話しテキパキ仕事をこなす彼らの姿に、私は心の中でとびきりの尊敬の念を送っていた。
平日18時頃の時間帯には、ほぼ決まってある一人の外国人の男の子がレジに立っていた。私と同じ、20歳前半くらいだったと思う。毎日通ううちに、すっかり顔を覚えられているようだった。
商品を渡すと、いつも「キョウハ、オシゴトオワリデスカ?」と、彼に尋ねられた。投げかけられる言葉は、日によってちょっとずつ違った。金曜日は「アシタハ、オヤスミデスカ?」だったし、私が顔から大疲労をぶら下げている日には「キョウハ、イッパイガンバリマシタカ?」に、変わった。
初めは私もどう返せば良いのか分からずモゴモゴとしていたが、いつも元気に声をかけてくれる彼との会話に、気付けば心をワクワクさせている自分がいた。「明日はおやすみですよ」と答えれば「ナニシマスカ?」と更に返ってきた。「寝たいです笑」と私が正直な気持ちをこぼすと、彼は少し不思議な顔で「セッカクノキュウジツナノニ…?」と今にも言いたそうにしていて、面白かった。
名前も国籍も年齢も知らない彼との、レジの精算を終えるまでのわずかな時間、近況を伝えるだけの何てことない、でも不思議な関係。これは私が転職して新しい職場の場所も遠くに離れ、それによってこのコンビニに寄ることが無くなってしまうまで、約1年半ほど続いた。
職場でずっと孤独を感じていた当時の私にとって、彼の「オシゴトオワリデスカ?」や「イッパイガンバリマシタカ?」が、その「何気ないたった一言」が、どれだけ救いになっていただろうか、と今では思う。
ギリギリの毎日を生きていた私が何とか会社に行けていたのは、自分のことを毎日心の隅で気にかけてくれる、彼という存在がいてくれたからだった。
親でも友人でもなく、彼にとっての私は「ただのお客さん」で、私にとっての彼は「ただのコンビニ店員さん」で、だからこそ正直に言えた「辛い」があった。
今でも職場のあったオフィス街を通る度に、しんどかった日々を思い出して胸が苦しくなるけれど、ただあのコンビニだけは、いつまでも私の心に光を灯し続けてくれると思う。
彼は、今も元気にしているだろうか。
笑って働いているだろうか。
本当に、ありがとう。
きっと読んでいないと思うけれど、
ささやかな感謝をこめて。
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