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何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!

どうも、あずきです。タイトルの元ネタ作品は見たことがない笑

最近自分がネットやる上とか他のものに言及する時に気を付けていることがあります。

それは「決して主語を大きくしないこと」と「それが好きな人もいるということを頭に置いて言葉を紡ぐ」ってことです。

この2つについてなんでそれが広がってしまったのかと、それをしてしまう心理を考察してみようかなと思います。

結論

SNSが共感のメディアが故に、自分の好きなものに共感を得てほしくてついついやってしまいがち

ということです。

つまりみんな「自分の好きなことを語るにも共感が欲しい」ということです。それを攻撃されるのも嫌ということなんですよね。

だからついつい主語を大きくしたり、それが好きな人もいるという当たり前の事実を見過ごしてしまいがちになってしまうんですよね。

自分もついついやってしまいがちになるんですけど、おそらく自分の好きなことに対して共感されないし蔑まれる人生を過ごしてきたので「自分が好きなんだからいいじゃん。ただ呟いてそれに共感してくれる人がいたらその人と話がしたい。」という感覚でSNSをやっているのでおそらくそれにのまれることが少ないのだと思います。

では、よくやりがちな文例とともに対策をしていきましょう。

主語を大きくしない

どんなエンタメ作品などのレビューも「定量的に評価するというのはかなり難しい」です。どんなに売れている作品でも自分が見たくないと思ったら見ないし、自分がやりたくないと思えばやらないのが人間の自然な感情です。

なのでよくエンタメ系のレビューをする時にやってしまいがちなのは・・

「日本人なら全員見るべき」
「男性なら見るべき」
「ゆとりはみんなこれ見ておけ」
「全米が泣いた」

みたいな文言をよく投入していきます。このレベルならまだしも

「これを見て感動しない奴は日本人じゃない」
「これが面白くない奴は変な奴だ」

みたいな感じで「その作品を利用した他人への負のレッテル貼り」みたいな文言は絶対によろしくなくて、それを投稿してあまつさえ声が大きい人がそれを言って変な共感を呼んでしまうとそれについていけない人の負の感情を呼び起こしてしまうこともままあります。

全てのエンタメレビューをする時にも読む時にも気を付けて欲しいのは全ての主語は「自分」ってことです。自分がレビューする時には "I"が主語だし、読む時にはレビュアー自身(Himself / Herself)が主語になるということを絶対に頭に入れておいてください。

そうすることによって良くある

みんなが面白いというので見にいきましたが、こんな作品が面白いと思う人の気が知れません、某芸能事務所のタレントを安易に起用したキャスティング、安っぽい邦画にありがちな演出、恋愛の入れ方も良くある形で本筋とは全く関係ないところが好きではありませんでした。もっと海外の⚪︎⚪︎という作品を見習うべきだと思いました。

こういうレビューを翻訳することができます。( )内はそれを受けた自分のツッコミ。

みんなが面白いというので見にいきましたが、
→自分がそれほど見たくないけど、話題を合わせるためや見ないでボロクソいうというツッコミを受けたくないので仕方なく見にいきました。(ご苦労様です。)

こんな作品が面白いと思う人の気が知れません。
→自分は全く楽しめませんでした。(ここで終わっとけ)

某芸能事務所のタレントを安易に起用したキャスティング、安っぽい邦画にありがちな演出、恋愛の入れ方も良くある形で本筋とは全く関係ないところが好きではありませんでした。
→そういうありがちなものを見抜ける俺かっこいいでしょ。(聞いてない)

もっと海外の⚪︎⚪︎という作品を見習うべきだと思いました。
→俺はこういう作品が好きなんだよ。(じゃあ見に行くなよ)

って翻訳できれば良くあるクソレビューの9割以上は"Not For Me(自分向きではない)"を主語を大きくすることによって共感を得ようとしている残念な人の自己紹介文という風になるので、そういう視点で読むと面白いですよ。性格悪いというツッコミは禁止。

それが好きな人もいるということを念頭におく

話は変わってゲームのレビューになりますが、私嫌いなんですよ。カタンってゲーム。

世界三大ボードゲーム(カタン・ドミニオン・カルカソンヌ)と言われるほど有名で人気なゲームなのですが昨日も某ボードゲームカフェでプレイした時にボロクソに負けまして・・・ボドゲ仲間のチャットでキレ散らかすという失態をしていたわけです。

↑友人にめちゃくちゃ心配されている図。仲間チャットではさらにキレ散らかしてた。反省はしている。ちなみにこの後に行きつけのバーのマスターから「わかります」というLINEが来ました。やはり負の共感は連鎖を産む。

でも、世界にはカタンが好きな人もいれば私みたいに嫌いな人もいるわけでその勢いでレビューを書いてしまうと当然むかつく人もいるわけです。

なのでエンタメレビューに関しては「それが好きな人もいるということを必ず念頭に置いて書くのと合わなさそうな人が出会って不幸にならないように配慮して書く」ということを心がけるといいと思います。

例えば私のチャレンジャーズというボドゲのレビュー

こんなゲームだ!
・みんなでワイワイデッキ構築からのオートバトルで勝負!
・初見はどんなカードが来るかワクワク、上級者は思うような構築ができるかどうかでハラハラ。
・デッキ構築型ゲームの新機軸

こんな人におすすめ
・TCGやDCGが好きで遊んでいる人
・正直、ドミニオンが複雑すぎてついていけない人
・大人数でワイワイ盛り上がりたい人

こんな人にはおすすめできない
・運の要素は極力少ない方がいい人
・人数が多い状況を楽しめない人(一人でも楽しめます)
・自分の理想とするデッキ以外ではプレイする気が失せてしまう人

https://bodoge.hoobby.net/games/challengers/reviews/43239

必ず本文に入る前に私はサマリーを書くように心がけています。理由は明白で「このレビューを読みにくる人はゲームを探しているか興味があるけど中身がわからない人」なので、その人たちに無駄な時間を取らせたくないというのがあります。私個人的には「いかがですか系アフィリエイトブログ」も好きではないので笑 できるだけ読みにきた人を後悔させないことを心がけてます。

あとは、例えのためにジャンル名を書いたりはしますが、他の固有名詞は極力出さないということを心がけています。

テレビ番組とかで良くあるのが「昔の番組名を執拗に出してその番組の魅力をアピールする人」っていると思いますが、あれもやりすぎると逆効果になるのでやめておいたほうがいいです。自称とか目標として適度にいうならいいんですけど、それをいつまででも擦るのはやめておいたほうがいいと思います。あれも元の番組のファンならず、その番組自体のファンにも違和感を感じる人が多いと思うので。

好きなもの=自分の魅力じゃない

多くの人がなんで前述のようなことをしてしまうかというと自分の好きなものが自分の人格の一部になってしまっているんですよね。

「これ」を好きな自分に共感してほしいのと、これが好きな「自分」に共感してほしいっていうのは大きく違います。

「⚪︎⚪︎っていいよねー。」「わかるー私も好き」って輪を広げたくてSNSをやっていたはずが、いつの間にかその作品が好きな「自分」に共感を得たくてついつい負のクソデカ主語の敵作りポストをやってしまうんですよね。

「その好きなものは好きなもの自身であってあなた自身じゃない」という単純なことをSNSやってるとついつい忘れがちになってしまいます。

よくある「ヲタクキモい」とかいう発言も、厳しいこと言いますが「その人が目の前にしているヲタクがキモい」のであって、もしそれが自分に向けて言われたなら「自分がそのいった相手にとって嫌いな人間だった」というたったそれだけの話なのです。それ以上でもそれ以下でもない発言にそんなに怒っても無駄です。

それに怒るぐらいなら「その人のお眼鏡にかなうぐらいの魅力を提示するか、その人を2度と視界に入れないようにするだけ」で良いのですから。

最後に

色々書いてきましたがSNSはその側面上負の感情が大きく拡散されやすいメディアです。そのメディアに書く時には上記のことを気をつけるとですね・・・

「全くバズらない」

ですね笑 そらそうですよ。アサヒスーパードライ並みにドライな語り口になってしまいますから笑 それか好き好きーっていうほとんどの人にうざがられる惚気みたいな文しか書けなくなりますから笑

でも、好きで満たされた優しいSNSを目指していきたいので健忘録的に置いておきました。

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