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例えば"持物"としての柳行李

美術、絵画に親しむご仁にとって宗教画などを眺める場合に"持物"という観察点を置き去りに出来ないことは書くまでもないこととしてご理解いただけるのだろう。別の書き方をするのならアトリビュートでありシンボルという書き方になる。書き出しで「宗教画」としたがこれは限定されるわけではない。例をあげれば歴史上~ということであり、神話~ということであり……要は持物の存在が絵画におけるシンボルとしての存在感に紐づけられているのである。

ときには植物であり、ときには動物の場合もある。分かりやすいところでは宗教画におけるハトや羊となるだろうし、月桂樹であり赤い薔薇でありとなるだろう。即ち"寓意(アレゴリー)"というところにも繋がってくる。

小説で云えばチェーホフの銃であり暗喩(メタファ)という修辞法がこれらに近いと云えるだろう。

                ※

 先日脱稿した夢殿「秋 涙」令和六年版だがお陰様で多くの皆様にダウンロードを頂戴しており、エセー集と併せて既に45件のダウンロードとなっている。データ量も多いことから、その場で読んで頂けた方たちもおられるだろう。お運び頂けたお一人お一人にこの場をかりて心から厚く御礼申し上げたい。有り難うございます。

 さて、秋涙では前作から「柳行李」の存在感がたっていた。話の中度々に柳行李が顔を覗かせた。正直申し上げてわたしはこの柳行李を作品の持物(アレゴリー)であり暗喩(メタファ)まで育てるつもりでいたのだが、残念ながら腕足らず効かせられずに終わっている。
 悩んだ点は、現存するエピソードの中に落とし込み効かせようとするのか、新たにエピソードをそれ用に仕込むのかという点だった。
結果的に脱稿してしばらく経った今になって考えてみると、柳行李単独のエピソードを仕込むことが最善のように思われてならない。

例えば~子供にとって柳行李とはどの様な存在であるのか。
"嫁"にとって柳行李の存在とはどんな意味を持つのか。
戦中の柳行李とは、戦後の柳行李とは~昭和の高度経済成長期の柳行李とは如何な存在であったのか。例えば、不染鉄と柳行李を絡めたエピソードを仕上げたとしたらどうだろう。
 実際、テーマと密接に結びつくであり、テーマを挿すでありにとって過不足なくその役割りは担えたはずである。 

結果的にチェーホフの銃は不発に終わっているのである。


ね。。。こうして反省するとさ、もう一度書いてみたくなるわけよ。
もっと…もっと……まだ、まだまだ美しくなれる。そうなるのだわ。
ダ・ヴィンチがラ・ジョコンダ(La Gioconda )を死ぬまで手元に置いた理由に通じるのかもしれぬわなぁ~
 ダ・ヴィンチの画は17作程度と云われており少ない。
 まぁ、わたしもこのぐらいの作品は残しておきたい。
凍裂であり細氷であり、異端のKARASは闇夜に二度啼くでありとあれこれ書いているのだが、不思議と手を入れる気にならないのは何故だろう。
オモシロイ。

~了~



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